翻訳家・黒原敏行に訊く故・コーマック・マッカーシーの凄み「徹底したリアリズムによって描かれた世界は現実さえも幻影となる」

■コーマック・マッカーシー作品との出合い

——黒原さんがコーマック・マッカーシー作品を翻訳することになったのはどのような経緯からだったのでしょうか

黒原:早川書房から『すべての美しい馬』の原書を渡されて、版権はもう取ってあるので、読んでみて、やる気があったら訳してくださいと言っていただいたんです。最初の数ページで心をわしづかみにされました。主人公の少年が夕方、生まれ育った牧場から馬に乗って、古い街道を見にいくところがあります。そこで少年は先住民の部族が長い列を作って旅をしていくところを幻視するんです。おそらく強制移住させられていくのでしょう、家財道具を全部馬車に積み込んで、大人も子供も、運命の命ずるままに苦難の旅をしていく。この幻が、豊かな比喩をちりばめながら、長い長いセンテンスで描写される。その美しさ、文章の恰好よさ。これにしびれました。日本語にしてみたいと思いました。文章はところどころスペイン語が英訳をつけずにそのまま書かれているし、読点のほとんどない独特の文体だし、ひどく難しそうではあったのですが、訳してみたい誘惑に勝てなかったのです。

■マッカーシー独特の文体

——コーマック・マッカーシー作品は読点がない文体が特徴的で、読んでいるとなにか特別な読書体験をしているような中毒性があります。この文体は彼の作品世界の大きな魅力でもあると思うのですが、黒原さんが訳し始めた初めのころは、編集者から読点を入れるようなチェックとか入っていたんですか?

黒原:入りました(笑)。『すべての美しい馬』の時に、徹底的に読点つけないでやったんですけど、「この辺で入れてみたらどうでしょうね」みたいな。その時の私はまだ駆け出しでもあったし、そうですね、じゃあ入れましょうかと。一般論として言えば、句読点の付け方は原書に忠実に従う必要はないですよね。一文をいくつかの文に切ったり、いくつかの文を一文につなげたりする。でもマッカーシーの場合、読点やアポストロフィーを極力省くのが自分の流儀だと言っているし、それは作品の内容とも関係していると思うので、作品を追うごとにどんどん徹底的に省くようになりました。原文でコンマが入っていてもつけないことすらあります(笑)。

——あえて訳文に入れない(笑)。

黒原:英語ではコンマをつけないと分かりにくい箇所で作者がつけているわけですが、日本語では読点がなくてもわかることもあるわけです。その場合、作者が日本語で書いていたら、やっぱり読点はつけないだろうと思うので、省いてしまうんです。逆に原文ではコンマがないのに訳文では読点をつける場合もありますが、ごく少ないです。

——会話文にかぎ括弧がないのも独特ですが、訳す際に気をつけたことなどありましたか。

黒原:これは難しくて、気をつけないと誰が喋っているのかわからなくなりますね。だから片方は敬語で話してもう片方はそうでなくするとか、一人称を区別するとか、口調に個性を持たせるとか、いろいろやる必要があります。ついでに言うと、英語は男言葉と女言葉の区別などがない等の理由から、たまに読んでいて間違えることがあって、翻訳原稿で人物Aと人物Bの台詞が途中から入れ替わってしまったこともあるんです。幸い校閲の方が気づいてくださって事なきを得ましたが(笑)。

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