【直木賞受賞】『極楽征夷大将軍』謎に満ちた将軍・足利尊氏をどう描き直す? 野心的かつ痛快な歴史小説

 ページをめくってまず目に飛び込んできたのは、「Don’t think, feel. Be water  ――Bruce Lee(李小龍)」というエピグラフだった。なるほど、そうきたか。これは、面白そうだ。第169回直木三十五賞を受賞した垣根涼介の『極楽征夷大将軍』(文藝春秋)。それは、謎に満ちた将軍「足利尊氏」の実像を新たな解釈によって描き直そうとする、実に野心的かつ痛快な歴史小説なのだった。

 いろいろと史実や文献を当たってみても、とにかく足利尊氏はつかみどころのない人物なのだ。まず、その目的がいまひとつはっきりしない。彼は室町幕府を樹立することを、本当に望んでいたのだろうか? 望んでいたとしたら、それはいつの時点から? 鎌倉幕府を開いた「源頼朝」、江戸幕府を開いた「徳川家康」に比べると、どうもその意思がはっきりしないのだ。そもそも、必ずしも一貫しているとは言い難い彼の「行動原理」は、どこからきているのだろう。

 ちなみに、「中先代の乱」を主導した北条家の生き残り「北条時行」を主人公とした漫画『逃げ上手の若君』(集英社)を現在連載中の松井優征は、その漫画の中で尊氏のことを「史上最も『わけのわからない』天下人である」と形容している。まったく、その通りである。尊氏の生涯は、いわゆる「立志伝」的なわかりやすい物語を、どこか拒むようなところがあるのだ。しかし裏を返せば、だからこそ、興味が尽きないとも言えるだろう。

 『太平記』はもとより、杉本苑子の『風の群像』(講談社)、あるいは岡田秀文の『足利兄弟』(双葉社)など、これまで何人もの作家が描いてきた足利尊氏。吉川英治の『私本太平記』を原作とした、1991年のNHK大河ドラマ『太平記』もあった。『光秀の定理』(角川書店)、『信長の原理』(角川書店)などの作品で、歴史上の人物に新たな息吹を注ぎ込んできた作家・垣根涼介は、そんな尊氏の生涯を、どんなふうに描いてみせるのか。それが個人的には、いちばんの注目ポイントだった。そして、そのヒントが、冒頭に挙げた「エピグラフ」にあるのだった。

 14世紀の初めごろ、鎌倉は由比ヶ浜で幕を開ける本作は、足利尊氏(又太郎/高氏)の実弟・直義(次三郎/高国/慧源)と、足利宗家の家宰を代々務めきた高家の嫡男・高師直(五郎)の2人を主要な「ナラティブ」として進んでいく。2人の尊氏評は、なかなか辛辣だ。「兄は込み入ったことをやること、考えることが苦手だ。勉学もそうだ。根気がなく、すぐに投げやりになる」。一方、師直も「又太郎は、昔から茫洋とした顔つきをしていた」「お人好しそのものの顔の造作で、これは茶坊主には向いても、侍には向かぬ顔だと常々感じていた」と容赦ない。どうやら尊氏は、家中の者たちから、陰で「極楽殿」と揶揄されるような存在だったのだ。

 そんな尊氏が、長兄・高義の急死に伴い家督を継ぐことになってから、事態は少し変わってくる。師直の弟・師泰は言う。「失礼ながら、高氏殿は頭陀袋のようなものかも知れませぬな。何でも好き嫌いなく包み込む。入れる物に応じて、いかようにも形を変えられる――そう見れば、まさに担ぐには重くもなく、ほどよい大風呂敷にも思えてきまする」。それを受けて師直は思う。「神は、その中身がないからこそ広く人に愛され、様々な便利使いの願掛けにも使われるのだ。少なくとも、この日ノ本ではそうだ。高氏も、同じだ。虚無だからこそ、頭の中が頭陀袋同然であるからこそ、かえって万人に受け入れられる」。配下の郎党であるにもかかわらず、なかなかの物言いである。

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