速水健朗「90年代は馬鹿みたいに浮かれていた時代」 『1973年に生まれて 団塊ジュニア世代の半世紀』インタビュー

世代論は擬似社会問題になりやすい

――カルチャーをめぐる体験に関しては、都市と地方の差も大きいかと思われますが、その点は、どうとらえていますか。

速水:僕は子ども時代を、仙台、秋田、新潟で過ごしています。地方って民放のテレビ局がフルにないので、人気があるテレビ番組を実は見ていなかったりします。「夕やけニャンニャン」は秋田では放送されてなかったし、新潟時代は新潟では「イカ天」(「三宅裕司のいかすバンド天国」)は放送されてなかった。だけど、秋田の小学生はおニャン子クラブのことを事細かに知っていたし、新潟の高校生は、どのバンドがイカ天キングになったかを詳細に知っていました。多分、雑誌を通して耳年増になっていたからです。でも動いてる姿は見ていないだけみたいな。当時は、ラジオも雑誌も東京のテレビの話一色だったから、東京への憧れは増幅されていたんだと思います。僕は初めて代官山へ行った時も周辺の地図は把握したんです。当時の雑誌には必ず地図が載っていた。のちにそれがマガジンハウスの『hanako』によって生まれた文化だと知りましたが。

 ちなみに僕は、父親が単身赴任で東京にいたせいもあるし、新潟からよく東京には出かけていました。高速バスで深夜に新潟を出ると、朝の5時前にサンシャイン前につくんです。深夜営業のポーカー喫茶に入ろうとして、追い出されたりして。なので80年代末くらいの東京はよく知っているつもりでもある。でもショックなこともあって、新潟のニュース番組のお天気コーナーは「関東甲信越地方」というくくりなんですよ。だからずっと東京と新潟は同じ地域なんだって思ってました。でも、東京に来たら東京の天気予報は「関東地方のニュースです」といって伝えているんですよ。東京に裏切られたなって思いました。

――『1973年に生まれて』で興味深いのは、バブル崩壊後の「失われた××年」とかロストジェネレーションとか、わりと暗いイメージで語られがちな1990年代をあつかった第2章が「1990年代はもちろん浮かれた時代である」と題されていたことです。

速水:90年代が暗いという印象は、主に野島伸司ドラマの影響でしょうね。実際にはエイベックスとビーイングの全盛時代なので、馬鹿みたいに浮かれていた時代ですよ。あとロスジェネ世代、就職氷河期世代という、経済政策の失敗に直撃した世代という印象が強い。でもそれは2007年になってあとから突きつけられたもので、そこからさかのぼった1990年代論が主流になったせいもあると思います。不況とデフレと銀行破綻という話になる。まあ、僕もそういう世代についての本を書いてきた1人ですけど。

――『フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人』、『東京どこに住む? 住所格差と人生格差』など、分断、格差がキーワードになっていましたね。

速水:実際の経済格差の拡大時期は、1980年代なんですよね。それと90年代のメディア業界、特に音楽業界、出版業界の1990年代は、むしろ80年代以上のバブルだった。実感もあります。僕は1994年ごろの大学時代にウェブ制作のデザインの仕事をはじめて、たいして成功したわけではないですけど、大手企業のウェブサイト制作の仕事を受注したりしてました。まだ誰もHTML(ウェブの記述言語)がわからない時代にそれを覚えてたので、それがちょっとした仕事にはなった。その延長で知り合いの紹介でコンピュータ雑誌の創刊のスタッフ募集に応募して、アスキーという会社にもぐりこむんですけど、たかだかバイトでも1人にパソコン1台とメールアドレスが与えられ、すぐに有名な作家の担当を何人もしたりしました。大学生のまま契約社員として仕事して、就職活動も同時にしていました。出版社の面接で次々落とされたりしてるんですけど、その帰りに有名作家の打ち合わせに行って、帰社後に入稿作業をしたりしていた。当然、目の前の仕事の方がおもしろかったし、勉強になることしかなかった。社会全体では確かに不況で大手企業の就職という扉が閉ざされてたのは事実とはいえ、椅子のない椅子取りゲーム状態にただ放り出された世代という話ではまるでなかったなと思います。

――本を書きあげてみて、団塊ジュニア世代とはどういうものだと思いましたか。

速水:世代論は、世代間抗争を無闇に作り出す擬似社会問題になりやすいということは大前提です。なので、あまり自分の世代だけを特権化して声高に語らないようにしています。あまり声高な結論はないんですが、他の世代からは「あーあの世代ね」って言われてしまっているのは、手遅れなのかなとは思いますけど。

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