「短歌×デザイン」が生み出す“あたらしい本”のかたちとは? 歌人・伊藤紺×デザイナー・脇田あすかトークイベントレポート

 初版300部ではじまった私家版歌集『肌に流れる透明な気持ち』(2019年)と、それに続く『満ちる腕』(2020年)。入手困難となっていた二歌集の新装版が、2021年に短歌研究社より同時発売され、今もファンを増やし続けている。これらは伊藤紺という新しい感性の歌人と、既存の歌集の形にとらわれないブックデザインを行った脇田あすか、二人により生み出された。

 そんな歌人の伊藤紺とグラフィックデザイナーの脇田あすかによるトークイベントが、6月24日に青山ブックセンター本店にて行われた。二人の出会いから歌集ができるまでの過程、本やブックデザインについて思うこと、そしてお互いへのリスペクトや関係性など、イベント参加者からの質問も交えながら、はじめて実現した対談で語られた内容とは。(取材・文=安田彩華)

どのように二つの歌集をつくっていったか


伊藤:最初にあすちゃんのことを知ったのは、『装苑』の表紙のデザインを見てかっこいいなあと思ったのがきっかけ。「女の子」特集という号で、誌面に登場している女の子の名前が表紙にずらっと並んでいたんだけど、その絶妙なバランス感覚に感動しました。それでSNSをフォローして。

脇田:フォローしてもらって紺ちゃんの投稿を見たら、その頃すでに短歌を少しずつSNSに上げていて、「すごく素敵!」と思って私もフォローしました。

伊藤:そこから数カ月空いて、自分の作品集をつくろうとしたときに、あの『装苑』のデザイナーさんにお願いしたいなあと思って。でも出版社を通しているわけもなく自主制作だから難しいだろうなあ、でも想いだけでも伝わったらいいなあと、ダメもとで一度お願いしてみました。「是非」と返事をもらったときは、電車の中で声が出ちゃった。

脇田:ふふふ。そもそもそのとき、なんで歌集をつくろうと思ったの?

伊藤:短歌をはじめてちょうど3年くらい経ったタイミングだったから、自分の作品集をつくりたくて。友達のイラストレーターさんとZINEもつくっていたけど、自分一人のものをつくって本として残したかった。短歌もたまってきていたし、こんなにあるのに人に見せないのはもったいないなあと。

脇田:そうだったんだあ。それで、はじめましてがカフェでの打ち合わせだったんだよね。


伊藤:そうそう、最初はすごく緊張してた……。そういえば、『肌に流れる透明な気持ち』はもともと歌集の中の一首をそのままタイトルにしていたんだけど、あすちゃんに「タイトル、違うんじゃない……?」って言われて(笑)。タイトルつけるのすごい苦手なんですよ。たしかに自分でもしっくりきているわけではなかったから、そのおかげで考え直して今のタイトルになって。本当によかった。

脇田:そう言ってもらえてよかった……。一首を代表みたいに抜き出すんじゃなくて、タイトルはタイトルとして、一つの歌集のまとまりとして別の名前があったほうがいいのかなって思ったんだ。ちなみに1ページに一つだけ短歌をのせるっていうのは、紺ちゃんの希望で、それって歌集として珍しいよね?

伊藤:うーん、そうだね。一般的ではないかも。歌集は1ページに2、3首、フォントは明朝体で、縦に一行、改行しない……みたいな形がなんとなく基本かな。それが適している歌もたくさんあると思うんだけど、自分の歌の場合は1ページに何首もあると、歌同士がいらない影響を与える気がして、1ページに一首っていうのは曲げたくなかったんです。

脇田:それを聞いていたから、通常はよりも判型を細長くしました。そして、ひとまず短歌を1ページ一首で流し込んだときに、改行したりちょっと傾けたり、遊びを加えてみた。「たとえばこういうのはどう?」と紺ちゃんに見せたら、「もっとやってくれていいよ」って言ってくれて。そのあと紺ちゃんからも改行位置などを提案してもらいながら、今みたいな形になっていきました。

伊藤:もともと自分も短歌を縦一行で書いていなかったので、遊びは全然ウェルカムだった。たぶんこういうことに抵抗がなかったのは、もともと本を全然読まなくて、活字がただ並んでいることに苦手意識をもっていた時代があった、というのはあるかも。

 短歌って小説と同じ速さで読まないじゃないですか。でもそういう短歌の読み方なんて誰も教えてくれないわけで。そうなると、ちょっと曲がっていたり、改行があったり、なにかデザイン性があることによって、通常より遅いスピードで読む仕掛けになるというか。日常の言葉とは少し違う詩の言葉なんだと、無意識に感じて触れることができるんじゃないかと。頭で考えていたわけじゃないけど、今思えばそうかも。だから、あすちゃんに提案してもらったときはすごくうれしかったです。

脇田:よかった。短歌自体を明朝じゃなくゴシックで組むことが決まっていたので、表周りも、あまり情緒性あふれるものにするのは違うのかなと思った。それで、タイトルの“透明な気持ち”からのイメージで、冷たさや涼やかさのある色、さらさらとしたビジュアルに決まりました。

伊藤:中に挟んだオレンジの紙も一緒に決めたよね。それを肌の下に流れる血の色なんだって言ってくれた人もいたよ。さらさらの肌の表紙で、めくったら血肉の色なんだって。

脇田:わぁ、それだね!


 『満ちる腕』に関しては、読んだときになんとなく上製本が似合うと感じた。『肌に流れる透明な気持ち』は片手でぱらぱらと読めるくらいがいいと思ったけど、『満ちる腕』は両手で読んでほしいというイメージがあって。短歌以外の詩も入るから細長い必要はなくて、正方形に近い判型にしました。

 紙もすぐに決まった気がするなあ。「こっちは肌っぽい色がいいよね」って話して一緒に選んだ。中面の紙も少しだけピンクがかった色味にして全体的にやさしい肌色みたいな感じで……栞の紐を差し色で緑に。

伊藤:思いやイメージを的確に形にしてくれてありがとう。前に編集者さんが話していたんだけど、たぶん脇田さんは自主制作の本だからというところまで考えていて、独立系書店とか小さめの本屋さんに置いたときに、最大限の光を放つように設計しているんじゃないかなって。

脇田:そうだなあ、いわゆる出版社を通して出される本だと、どうしても帯をつけることになる。帯が悪いとは思わないんだけど、帯やバーコードが入るのが自費出版の本とは違うところだと思う。作品として出すことを考えると、宣伝やわかりやすさみたいなものよりも、そこにあって美しい状態というのを優先してつくりたいみたいなのはあるかな。

伊藤:本当に、二冊ともそれが完璧な形になっていると思う。

脇田:すごく兄弟感のある二冊だよね、不思議と。判型も違うし、組み方も色も違うけど。

伊藤:うん、全然違うのに兄弟みたいだよね。

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