葦原海 × 乙武洋匡 超ポジティブ対談 車椅子ユーザーだからこそ見えた美しい景色

 車椅子ユーザーとしての日々をSNSやYouTubeで発信しているインフルエンサーの葦原海(あしはら・みゅう)が、5月25日に初の書籍『私はないものを数えない。』(サンマーク出版)を発売した。彼女の生い立ちから、現在の活動の裏側までが綴られた本書は、「エンタメの力で健常者と障がい者の壁を壊す」ことをテーマに活動する彼女の思いがまっすぐ伝わる一冊となっている。

 本書の発売を記念し、かつてベストセラーとなった著書『五体不満足』(1998年/講談社)で知られる作家・タレントの乙武洋匡との特別対談が実現。車椅子生活の話がメインになるかと思いきや、海外旅行と恋愛トークで大盛り上がり……? 世代、性別は異なるものの車椅子ユーザーという共通点を持つ二人による、ちょっぴり凹凸な対談を、どうぞご覧ください。(とり)

足がないことより、スマホがなくて辛かった

左、葦原海。右、乙武洋匡。

乙武:書籍の発売おめでとうございます。こうしてガッツリ対談させていただくのは初めてですよね。以前、一度すれ違いざまにご挨拶させてもらったことはありましたが。僕のこと、ご存知でした?

みゅう:もちろんです。ただ、私は16歳のときに交通事故に遭って両足を切断するまで、乙武さんの存在を知りませんでした。入院中に父から「『五体不満足』という著書がベストセラーになって話題になった人がいるんだよ」と教えられ、初めて著書を読ませていただいたんです。

乙武:『五体不満足』を出したのも25年前の話ですからね。……ってことは、発売当時葦原さんは?

みゅう:1歳になるか、ならないかくらいですね。今がちょうど25歳なので。

乙武:そうですよね。だから僕、今日の対談をとても楽しみにしていたんですよ。というのも僕と葦原さんって、車椅子を使っていること以外の共通点が意外と少ないじゃないですか。世代も違えば、性別も違う。使っている車椅子も、僕は電動だけど、葦原さんは手動。それに何より、僕は生まれつき手足のない先天性の障がい者で、葦原さんは事故が原因の中途障がい者。日常生活で大変なことも障がい者に対する考え方も違うでしょうし、いったいどんな話ができるんだろうって。

みゅう:確かに。私は今回、初めて書籍を出させていただきましたけど、普段は本を読むタイプじゃないですし、作家としても活動していらっしゃる乙武さんとは真逆なタイプだと思います。乙武さんのプロフィールには“好きな教科は体育”と書かれていますけど、私は体育がいちばん苦手だったし(笑)。

乙武:今お話しさせていただいたように、僕は生まれつき手足がなかったので、その不便性や障がい者であることを苦に感じる場面が、強がりでも何でもなく、本当になかったんですね。その点、僕の周りの障がい者を見ていると、中途の方のほうが、もともとあった手足が使えなくなった喪失感に苦しんでいたり、失った事実を受け入れるまでに時間がかかったり、乗り越えなければならないものが多い気がしているんですが、葦原さんの著書やインタビュー記事などを拝読させていただくと、「こんなにポジティブな方もいらっしゃるんだな!」って。スゴく驚きましたよ(笑)。

みゅう:「ポジティブですね」ってよく言われるんですけど、根が明るいのは、健常者のときから変わらない私の性格なんです。

 そもそも、健常者だった頃の自分と比べて“できなくなった”と感じることがあまりないんですよ。一人でできないことは増えたものの、誰かに手伝ってもらうことで乗り越えられる。それ以上に、「一人暮らしがしたい」とか「友達とディズニーランドに行きたい」とか、やりたいことのほうが多かったから、できないことを数える思考にはなれなかったというか。

乙武:最初は多少の葛藤もあったと思います。それでも、葦原さんはすぐに現実を受け入れて、“できないこと”より“できること”を探された。ポジティブな僕から見ても、とてもポジティブですよ。

みゅう:何なら入院中は、事故でスマホが破損して友達と連絡が取れなかったことのほうが辛かったです。「1日でも早く外に出たい!」「スマホを触りたい!」とばかり思っていました。

乙武:足がないことより、スマホがないことのほうが辛かったと(笑)。強いですね。あっ、今の見出しになりそうですね(笑)。

柄にもなく涙した異国の絶景

乙武:僕、海外に行くのが好きで、つい最近、目標だった100カ国訪問を達成したんです。日本ほど治安の良い国もないですし、海外に行く話をすると決まって周りから心配されてしまうのですが、僕の経験上、海外の方のほうが「大丈夫?」と声をかけてくださったり、実際に手伝ってくださったりする方が多い印象があって。葦原さんも、著書の中で海外に行かれた際のエピソードを書かれていましたよね。

みゅう:2022年に、日本人初の車椅子モデルとしてミラノコレクションに出演しました。実はイタリアが人生初の海外訪問で、その時のエピソードを本の中にいくつか書いています。確かに私も、イタリアにいる間、車椅子ユーザーとしての心配事はほとんどなくて。唯一、心配していたのはスリ。でもそれは、きっと健常者のみなさんも同じですよね。

乙武:イタリアでは、ミラノのほかにどこか行かれました?

みゅう:せっかくの初海外、初ヨーロッパだったので、ヴェネツィア、フィレンツェ、ローマを観光しました。

乙武:ヴェネツィア、大変じゃなかったですか? どこへ行くにも小さい橋を渡らないといけない上に、橋に差し掛かる前に必ず2~3段の段差があって。これは介助者がいないと大変だなぁと思った記憶があります。

みゅう:ホント、大変でした! 私の場合は、予約したホテルがバリアフリーだったにもかかわらず、行くまでに40段の階段を登って橋を渡り、また40段の階段を降りないと辿り着けない場所にあると、渡航の直前に知らされたんですよ。予約を変える時間もなく、とりあえず行ってみることにしたんですけど、私の分も合わせて二つキャリーケースを運んでくれている同行者に、40段の介助をお願いするわけにもいかないじゃないですか。「先に荷物だけ預けてまた戻って来ようか?」と言われても、異国の地でひとりで待つのは少し怖くて。

 そしたら、10ユーロで荷物を運んでくれるという方たちから声をかけられたんです。「詐欺じゃないかな?」と不安に思いながら、「周りの人たちも頼んでいるみたいだし大丈夫かな」と、お金を払って手伝ってもらったんですけど、介助されながらも、私はずっと運んでもらっている荷物から目が離せませんでした(笑)。無事、何事もなく終わりましたけど。

乙武:それは大変な経験でしたね(笑)。でも、どうです? 初めて海外に行かれてみて、「もっといろんな国に行ってみたい」と思えたのか、「しばらく海外は良いや」という感じなのか。

みゅう:もっといろんな国に行ってみたいと思いました。観光地ではないところや、ヨーロッパ以外の国にも。

 乙武さんは、これまで訪問された100カ国の中だと、どの国が良かったですか? バリアフリーの面で良かった国と、バリアフリー関係なしに良かった国があると思うんですけど。

乙武:バリアフリーが充実していて、かつ行って楽しかったのは、台湾とイスタンブールですね。台湾ではモノレールが、イスタンブールでは路面電車が走っていて、どちらもバリアフリーなんです。主要な観光スポットは、ほぼ介助なしで周ることができるので、とてもおすすめですね。早く100カ国を達成したかったから、基本的には一度も行ったことのない国から行くようにしていたものの、イスタンブールに関しては、既に4回行っているほどです。

みゅう:良いですね!

乙武:バリアフリー関係なしに良かったのは、いろいろありますけど、やっぱりポルトガルかなぁ。食べ物も美味しいし、景色も素晴らしい。何より、ユーラシア大陸最西端のロカ岬に行ったときは感動しましたね。

 僕は、この体で自分なりに仕事を頑張ってきたことで、それなりにお金を稼いできました。だからこそ自由に海外旅行にも行ける。とは言え、この体だとひとりではトイレにも行けないし、風呂にも入れない。身の回りの世話をしてくれる誰かがいないと、一泊以上の旅行はできないんです。それでも「お前と一緒に旅行に行きたい」と言ってくれる友人たちのおかげで、ついにユーラシア大陸の西の果てまで来ることができた。そう思うと、柄にもなく、あまりの感慨深さに涙が溢れちゃって……。ただの断崖絶壁で、広大な海がバーっと広がっているだけの景色ではあるんですけど、いつか葦原さんにも、是非こういう体験をしてもらいたいなぁと思いますね。

みゅう:素敵なお話ですね。ロカ岬、映えてました?

乙武:はい。スゴく映えていましたよ(笑)。

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