女優・若月佑美、初フォトエッセイで紡いだ真っ直ぐな言葉「マイナスだと思う部分も捉え方次第で強みに変えられる」

 女優の若月佑美が、自身の29歳の誕生日である6月27日に初のフォトエッセイ集『履きなれない靴を履き潰すまで』(扶桑社)を発売。2019年8月より約3年半『週刊SPA!』(以下、SPA!)で連載してきたエッセイを中心に、連載時には未掲載だったアザーカット、彼女自身がコンセプトを考えた撮り下ろし写真などが収録された本作。優しく真っ直ぐな言葉。美しさの中に親しみのある笑顔が垣間見える写真。そのすべてに、若月佑美の人柄が表れているような一冊だ。

 普段、女優・モデルとして活動している彼女にとって、飾らない文章を綴るとは、どんな意味を持つ行為だったのだろうか。履きなれない靴を履き潰そうと試みた彼女が、書くことを通して辿り着いた、新たな発見とは。一冊にまとまった連載を振り返りながら、話を聞いた。(とり)

自分の気持ちを伝えられる貴重な場所


——すごく読み応えのあるエッセイ集でした。元となった『SPA!』での連載は、どのような経緯で始められることになったんですか?

若月:グループメンバーとして活動していたときに更新していたブログを『SPA!』の担当編集さんが読んでくださっていたみたいで。卒業後に「うちでエッセイを書いてみませんか?」とお声がけいただき、連載を始めさせていただくことになりました。まさかのお話でびっくりしましたが、何よりも嬉しさが勝って、すぐに「やりたい!」と前のめりになった記憶があります。

——文章を書く仕事には前から興味があったのでしょうか。

若月:いえ、むしろ、自分の書く文章には、ずっと自信がありませんでした。簡潔な言葉で思いを伝えるのが苦手なんです。自分の意図しない形で言葉だけが一人歩きして、誰かを傷つけてしまったらどうしよう……と考えると、例え話が多くなったり、比喩的な表現が増えたりして、つい長文になってしまうんですよね。イジられたこともありますし、「返って分かりづらくなっているんじゃないか?」「ただの自己満足なんじゃないか?」と不安すら感じていました。

 でも、そんな私の文章を読んで「とても素敵だから、仕事にしてみませんか?」と言っていただけたんです。連載をやってみて、初めて自分の文章を認められた気がしました。今は、文章を書くのが楽しくて仕方ないです。

——詩的な表現含め、全体的に個性があって面白い文章ですよね。ただ、ファンに向けて書くブログと違って、本連載は、もう少し幅広い層の方が読まれていたかと思います。その辺りは、エッセイを書くうえで意識されていましたか?

若月:『SPA!』の読者層を考えると、やはり会社勤めをされている男性が多いじゃないですか。だからこそ、通勤時間に読んで気分の良い内容を心がけつつ、かといってターゲットを絞りすぎることなく、より多くの方に共感していただけるようなメッセージを込めることを意識していましたね。ただ中には、私の連載を読むために『SPA!』を購読されていた女子高生の方もいらっしゃったそうでうれしかったです。

 どのエッセイも自分が思っていること、感じていることを素直に書かせてもらったものばかり。仕事柄、女優としては役を通して言葉を伝えることになりますし、モデルとしては、ファッションやメイクなどのビジュアルを伝える役目があるので、自分の気持ちを直接みなさんにお伝えできる場面って、意外とないんですよ。そういう意味では、とても貴重な場所になっていました。改めて、約3年半も続けさせてくださった『SPA!』編集部のみなさんには感謝しかないです。

——数々のドラマ出演が相次いだ3年半でもあったと思います。毎週分のエッセイを書き上げるうえで、苦労はありませんでした?

若月:全然! こう言うのも何ですが、エッセイの執筆は、すごく仕事の息抜きになっていました。例えば、撮影終わりのロケバスで窓の外を眺めながら、ボーッとしている時間にスマホのメモ機能を使って書くとか。あるいは散歩中、ふと目に入った景色から言葉を繋げていくとか。仕事の合間の何もない時間が、自分の気持ちを整理する時間になっていたので、苦労どころか、なくてはならない時間だったと言っても過言じゃないですね。

——移動中や散歩中に書かれていたとは! 斬新ですね。

若月:グループ時代に、歌手の家入レオさんを取材させていただいたことがあって。「歩いているときに見たもの、感じたことから歌詞を膨らませていく」とおっしゃっていたのが、とても印象に残っていたんです。

 実際、アイデアが浮かぶのはボーッとしているときが多い気がしますし、「よし、書こう!」と気合いを入れて机に向かっていたら、今よりもっと堅苦しい文章になっていたかもしれません。自分の気持ちを言葉にするには、移動中や散歩くらいの気の抜けた心持ちが、ちょうど良かったんじゃないかな(笑)。なので本作は、あまり身構えず、それこそ通勤時間や隙間時間に読んでいただきたいですね。

グループ時代に得た“考え過ぎ”の活かし方

——連載を続けられた約3年半の間で、若月さん自身に何か変化はありましたか?

若月:自分への理解が、かなり深まったと思います。そもそも連載を始めたのは、グループを卒業して、新しい一歩を踏み出そうとしているタイミング。タイトルにある通り、当初は「履きなれない靴を履き潰すくらい頑張ろう!」と意気込んでいました。

 実際、グループを離れてからは新しい体験の連続でした。まず、一人になった分、自分自身と向き合う時間が格段に増えたんです。グループにいたときは、同じような悩みを抱えたメンバーが周りにいたので、みんなで辛さを共有し合い、一緒に戦っていくことができましたが、ソロ活動における悩みは、私個人のものなので、一人で向き合っていくしかなくて……。

 そんなとき、自分の思いを素直に言語化できる連載という場所があって、すごく救われましたね。定期的に感情をアウトプットできたおかげで、自分の心の動きが読めるようになった、というと大袈裟ですけど、我ながら、複雑な思考のある程度のパターンは分かるようになってきた気がしています。

——若月さんって考え過ぎやすい性格ですよね。エッセイを読ませていただく中でも感じましたが、こうしてお話させていただいても回答が丁寧ですし、考えて話されているのが伝わります。

若月:アハハ、そうですね。いや、もうかなり考え過ぎな性格であるのは間違いないです。この“考え過ぎ”は、今に始まったことじゃありません。学生時代に好きだった科目は、国語と倫理。数学は、公式を教わっても「どうして、その公式ができたのか」「誰が考えたのか」が気になって、素直に使えないような生徒でしたから。面倒くさいというか、厄介な子どもですよね(笑)。

——教わった公式をそのまま当てはめれば良いだけなのに! その思慮深さが味のある文章を生み出しているんでしょうけど、特にグループ活動中なんかは「考え過ぎないほうが得だよな~」と思ったりしませんでした?

若月:思いましたね。グループにいた頃は「選ばれるか、選ばれないか」がすべてでしたし、結果が至らないときは、とにかく自分を責めてしまっていましたから。

 メンバーと悩みを相談し合っていても、やっぱり私は考え過ぎなほうなんです。「私も相当悩んでいたけど、若月ほどじゃないかも」と、逆に元気を与えていた部分もあったので、「グループを支えるという意味では、必要な“考え過ぎ”だったのかも?」とも思うのですが、一人、ネガティブな思考が止まらなくなってしまう日が多々あったのも事実。パッと前を向ける子たちが、羨ましくて仕方なかったですね。

——そうですよね。

若月:ただ、他人を羨ましがってばかりもいられなかったです。ネガティブな思考に陥ったままでは、どんどん“選ばれない人”になってしまいますから。自分を鼓舞できるのは、自分しかいない。自分にかける言葉を、可能な範囲で前向きなものにしていけば、毎日を明るくすることだってできる。前を向いて頑張ろうとしている子たちに囲まれるうち、そうやって、ポジティブに考えられるようになっていきました。

 この、グループ時代に得た“考え過ぎ”をポジティブに変換する考え方は、本作にも大きく反映されているように感じます。連載中、結果的に読んでくださる方を励まそうとする言葉が多く出てきたのは、グループでの活動を通して、“考え過ぎ”の活かし方を見つけられたからなんですよね。

——“考え過ぎ”をポジティブに変換、ですか。それ、すごく強みになりますよね。

若月:逆に、グループに所属する前は、とにかくネガティブでした。私、中学から進学校に通っていたんですけど、小学生の頃はクラスで1、2を争う学力があったのに、そういう子がたくさん集まった中学では、どんどん順位が下がってしまって。どれだけテスト勉強を頑張っても上には上がいる。これ以上、自分のダメさを痛感したくない……と思うと、途端に頑張れなくなってしまったんですよね。完全に、心が折れていました。

 そんな中、高校生で芸能界に入りました。最初は周りと比べて落ち込むことも多かったですけど、この業界での評価は学業と違って、100点だから良いわけでも、必ずしも正解があるわけでもなくて。何なら、欠点が自分のキャラクターとしてプラスに評価されることも珍しくないんですよね。

 一般社会ではマイナス評価を受けてしまうであろう、“運動音痴”や“料理下手”も、バラエティでは重宝されて立派な個性になり得る。一度、学業で落ちこぼれた自分からすれば、信じられないことでした。「こんな世界があるんだ……! もう少し、自分を信じて頑張ってみよう」って。どんどん価値観が変わっていきましたね。

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