林真理子はなぜ『風と共に去りぬ』を描きなおしたのか? 悪役令嬢な「スカーレット」に託した本音
以後も、スカーレットの性格は変わらない。アシュレが自分を愛していることも疑わない(どう考えてもストーカー思考である)。変わるのは時代であり社会である。南北戦争で南部の敗色が濃くなると、それまでの社会通念が崩れていく。さらに南部が敗北すると、スカーレットたち南部の人々は、苦しい生活を余儀なくされる。このとき変わることのない驕慢な性格が、スカーレットを支える。タラに戻って、家族・雇人やメラニーとアシュレなど、多数の人々を抱えて孤軍奮闘する。二度目の結婚をして、商売の面白さに目覚める。混乱した時代の中で、スカーレットがどんどん魅力的に見えてくるのだ。
でも、やっぱりスカーレットはスカーレット。二度目の夫が不慮の死を迎えると、いろいろな因縁のあるレット・バトラーと再婚。子供も生まれる。スカーレットとレットは、共に時代からはみ出した人間であり、実は相性抜群だ。しかしスカーレットは、レットとの夫婦関係が破局する直前まで、そのことが分からなかった。下巻377ページのスカーレットのセリフを見てほしい。何度もの困難を乗り越えながら、ついに彼女の性格は、十六歳のときのままなのだ。何があっても変わらないまま、ズタボロになっても前に進んでいく姿は、逞しくも切ないのである。
最後になったが作者のことに触れておきたい。コピーライターとして活躍していた作者は、1982年にエッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』を出版する。女性の本音を赤裸々に表明した内容は、多くの読者の支持を受け、ベストセラーになった。以後、小説にも乗り出し、1986年には『最終便に間に合えば』『京都まで』で直木賞を受賞した。本書も、スカーレットという女性の本音を赤裸々に表明した内容であり、『ルンルン』と通じ合う。先に、スカーレットが変わらないと書いたが、林真理子も本質的な部分は変わらない。デビューから一貫した姿勢を持ち、女性の本音、人間の本音を見つめてきた。その視点があったからこそ、名作を自分の世界に引き寄せ、“私のスカーレット”にすることができたのである。