手塚治虫の漫画はなぜ世代を超えて愛される? 「成功体験に固執しないチャレンジ精神」「若手と競い合う負けん気の強さ」
手塚治虫ほど「今の時代を生きていたら、こんなことをしたのでは」と語られる漫画家は、他にいないだろう。それは流行と結びつけて考えられることが多い。美少女ゲームが流行したときはその技法を取り入れた漫画を描いただろうと言われたし、ボーカロイドが出現したときはボーカロイドが登場する漫画を描いたのではと言う人もいた。
なぜこうした発言が相次ぐのかと言えば、手塚治虫ほど流行に敏感で、しかも積極的に取り入れたがる漫画家はほかにいないからである。劇画が登場したときはライバル視しつつも劇画の手法を取り入れ、妖怪漫画が流行したときは妖怪ものを描き、美少女漫画が流行ったときは……といった具合に、とにかく常に流行の中心でいようと考えていた。
実験的な漫画『ジュン』を発表した石ノ森章太郎をライバル視し、自身のファンにその内容を批判する手紙を送り、のちに謝罪したのは非常に有名な逸話だ。まるで子どものようなエピソードだが、手塚は大御所でありながら、実力のある新人漫画家が登場したときはその漫画家の作品をチェックし研究するようにしていたのである。
こうした手塚の性格ゆえ、作品の内容が中途半端になり、失敗することも多かった。とはいえ、生涯にわたり第一線で活躍できた原動力もまた、そこにあるといえる。どんなクリエイターであっても一度成功すれば過去のスタイルに固執してしまいがちだが、手塚はそれを良しとしなかったのだ。
手塚のアシスタントだった伴俊男が関係者に綿密に取材して描いた『手塚治虫物語』シリーズを読むとよくわかる。とにかく手塚治虫は自分が漫画界の中心でいたい、新人、若手とも同じ土俵で競いたいと考えていた。こうした気持ちを生涯抱いていたのだから、驚くべきものである。過去に発表された作品が再度単行本化される際は必ずと言っていいほど手を加え、時代に合った内容にするようにしていた。
このたび、AIを駆使して、あの『ブラック・ジャック』の新作が制作されることになった。6月12日の会見で、手塚治虫の長男・手塚眞氏が「手塚治虫が生きていたらAIを使ったと思う」という趣旨の発言をしていた。手塚治虫のこれまでの仕事ぶり、性格を見ると、その通りではないかと思う。
そして、こういう発言が出るたびに、「やっぱり手塚先生は生きていてほしかったなあ」と思わずにはいられない。手塚治虫は平成に改元された直後、2月に亡くなった。せめて平成という激動の時代をこの目で見て欲しかった、平成の流行にふれて欲しかったと思うのは記者だけだろうか。
なお、6月16日に『ミッドナイト ロストエピソード』が刊行されたが、この本には手塚治虫が連載を企図してカラー原稿まで仕上げたものの、お蔵入りとなった『ドライブラー』が収録されている。こうした未収録作品は手塚には多数あるが、いかに創作に情熱を傾けていたのかがわかるだろう。
また、今年は『ブラック・ジャック』の連載開始から50周年という節目の年だが、それに合わせて東京シティビューで「手塚治虫 ブラック・ジャック展」が開催される。10月6日~11月6日の約1ヶ月間の限定。こちらも漫画の虫であった手塚の世界観にふれることができる貴重な機会だ。ぜひ訪問したい。