上條淳士『SEX』連載35周年 アクション・コミックの傑作が問いかける、がんじがらめの「金網」世界で私たちはどう生きる?
2022年11月18日(金)から29日(火)まで、東京・吉祥寺の「リベストギャラリー創」にて、漫画『SEX』をテーマにした上條淳士の個展が開かれる。
同展は、『SEX』の連載開始35周年を記念してのものだが、白と黒のコントラストが美しい上條の原画をまとめて鑑賞できる貴重な機会でもあるので、行ける方はぜひ、(物語の舞台の1つでもある)吉祥寺へ足を運んでほしい。
極上のエンターテインメント作品
上條淳士の『SEX』は、「ヤングサンデー」(小学館)にて、 1988年から1992年にかけて連載された、アクション・コミックの傑作である。
主人公は、ユキという名の謎めいた青年(ヒロインのカホを主人公とする見方もあるだろうが、私は、この作品は、「時おりカホという少女の視点が織り込まれた、ユキの物語」であると思っている)。
物語は、このユキが、「共犯者」であるナツ、カホとともに、福生、横須賀、そして、沖縄という“基地の街”で、法や秩序に縛られない者たちと争ったり手を組んだりしながら、自由に生きていく様子が描かれる。しかし、その破滅的とも言える生き方には訳があり、ユキには生まれながらの記憶がないのだ(さらには、色盲である彼は、彼だけの“色”で世界を見ている)。
と、そんなある時、カホの前に「ユキ」という名の美女が現われる。彼女の正体は、裏社会で生きる凄腕の殺し屋であったが、ふたりの「ユキ」を結びつけるものとは――?
凄い物語だ。上條淳士と言えば、どうしても美麗なアートワークに目が行きがちになるが、本作は、それ以前に、圧倒的に面白いエンターテインメント作品として読むことができる。そう、上條淳士はあくまでも漫画家であり、一流のストーリーテラーであるということだろう。
とは言え、もちろん、絵も素晴らしい。とりわけフィルムノワールの映像美を思わせる白と黒のキアロスクーロ(明暗対比)や、手作業による緻密なスクリーントーン・ワークの数々は、後に多くのフォロワーを生んだが、“本家”ならではの凄みはいま見ても全く衰えていない。
「金網」は踏み越えるためにある
さて、この『SEX』というタイトル、連載が開始された80年代は言うまでもなく、現代の感覚で見てもなんとも過激なものだと思うが、その裏には作者のある意図が隠されている。
と言うのは、このタイトルでは、そもそも単行本をレジに持って行くことをためらうファンも少なくないだろう。それでも読みたいなら(手に入れたいなら)、自分の中の一線を越えてほしいというのが、おそらくは、上條がこのタイトルに託した想いの1つだ。
そう、そうした境界線を越える(あるいは自分の殻を壊す)という行為こそが、『SEX』という作品全編を貫く大きなテーマであり、つまり、本作のタイトルには、「男と女」はもちろん、子供と大人、集団と個人、日本とアメリカ、本土と沖縄、理性と本能、正義と悪などを隔てる境界線が象徴されているのだ。そしてそれは、本編では、「金網」という言葉で表わされている。
物語の終盤、ユキの“相棒”ナツによるこんなモノローグが挿入される。
「俺」が「俺達」に
なってきた頃
金網の意味を知った
たとえば
基地の金網にだって
終わりがあるでも
ユキは言うだろう金網は
踏み越えるために
ある
という事を
〜『SEX 30th Anniversary Edition』第4巻・上條淳士(小学館クリエイティブ)より〜
いずれにせよ、本作が連載されていた頃と比べ、ある意味では、いまは「金網」(“システム”と言い換えてもいい)が見えにくくなってきている時代だとも言えるだろう。だが、よく目を凝らして見れば、別の形の恐ろしい金網が、私たちをいま、がんじがらめにしていると言えなくもない。
壊すべき金網――越えるべき境界線を目の前にした時、あなたはどうするだろうか。壊すか、壊さないか。越えるか、越えないか。それはもちろん一人ひとりの自由ではあるが、私は、ユキのように生きたいと思う。