『チェンソーマン』は現実と戦う漫画だーージャンプ大好き評論家3名が「第二部」を語り尽くす

思考停止している人たちへの手厳しさ

倉本:先ほどの、一方向から物語を見ないという点にも繋がる話なのですが、『チェンソーマン』って自分たちだけは安全だと思って思考停止している人たちに対して、結構手厳しいところがあると思うんです。物事を自分で選択するのか否か、または周りに委ねてしまうのかみたいな。これは、『アンデッドアンラック』(戸塚慶文)のNo.122で風子が言い放つ「辛い事も楽しい事も全部人間(じぶん)のせいにしたいんです」というセリフと通じるものがあるなと。

成馬:『アンデッドアンラック』は「否定者」と呼ばれる異能力者たちが主人公で、その能力が原因で、大切な人を失った人間たちの物語なんですよね。風子たちの目的は、そんな世界を“普通に生きて普通に死ねる世界”にすることで、そのために理不尽なルールを押し付けてくる神に戦いを挑み、世界をやり直そうとしている。その決意が表れているセリフですよね。

倉本:そういう、今置かれている現状に委ねてしまうのか否か、という問いが『チェンソーマン』に繋がるところだと思います。

成馬:第一部って、無知で愚かだからこそ強かったデンジが、大勢の仲間を失ったことで、最終的に「考える」ようになるまでの話なんですよね。藤本タツキ先生は、昔のパンクロックのように初期衝動だけで大暴れしている漫画家だと思われがちなんだけど、実は細部まで構成を練った漫画を描いている。だから、考えに考え抜いて作品を作っている漫画家なんですよね。

社会情勢によって変わるマンガ表現

岡島:第一部の最後でマキマはデンジに敗北して、その後地獄で転生し、新たな支配の悪魔として中国で生まれるわけですよね。

成馬:岸辺さんは、その支配の悪魔を回収するために中国へ行くと……。

倉本:そうだ。支配の悪魔が中国で生まれるって、よくよく考えると、おぉって思いますよね。

成馬:この2年間で、中国やロシアといった言葉の持つ意味がだいぶ変わってしまったじゃないですか。戦争やパンデミックもそうですが、かつてはフィクションの世界の中で済んでいたことが急速に現実化して洒落にならなくなっている。

 例えば、『SPY×FAMILY』(遠藤達哉)も、連載当初とは位置づけが変わりつつあると思うんですよね。あの作品はスパイ映画のパロディになっていて、スパイ映画全盛だった冷戦時代の記憶が過去になったからこそ、ファンタジーとして楽しめたのですが、ロシアのウクライナ侵攻が起きたことで、読まれ方はもちろん、描き手の意識も変化しつつあるように感じます。主人公・ロイドの過去編(62話)はウクライナ侵攻が始まってから描かれたエピソードですが、幼少期のロイドが体験した空爆の描写がすごく生々しいんですよね。

 さじ加減を間違えると、今まで積み上げてきたコメディとしてのバランスが崩壊しかねない危ういエピソードでしたが、あれを描かなくてはいけないと作者が思う気持ちはすごくわかるんですよね。今までなら「フィクションだから」ということで済まされていたことが、次々と現実化していることで、読者の反応がセンシティブになっている。社会情勢の変化を真摯に受け止めた上で、エンタメとしてどう打ち返せるのかを、フィクションの作り手が要請されているのが、今の時代なのかなぁと思います。

岡島:『ルックバック』は、公開当初に不適切な表現があったとして炎上しましたよね。だから『チェンソーマン 第二部』では、かなり考えているでしょうね。そうした意図はなくとも、偶然社会と合致したことが起こるかもしれませんし。

倉本:一方で『チェンソーマン 第一部』や『ルックバック』は、生活の面をすごく丁寧に描いているじゃないですか。それに対して、第二部はアサの暮らしぶりがあまり描かれていないんですよね。親のいないアサがどうやって生活してるのか、細かいところがよく分かってないし。それが少し意外だなと感じています。

成馬:アサは高層建築のマンションに住んでいますが、ユウコは郵便ポストが剥がれているくらいのボロ家に住んでいますよね。本当にあそこに住んでいるのかすら、怪しいですけど。

倉本:“生活の積み上げ”みたいなものがあまり描かれていないんですよね。例えば、『ルックバック』は春夏秋冬を同じ構成でしつこいくらい描いてたし、第一部はデンジがパワーやアキと暮らしたときの洗濯物の風景があって、すごく印象的だったんですよね。

岡島:街並みの雰囲気は第二部の方が印象的かも。

倉本:『鉄コン筋クリート』(松本大洋)みたいだなと思いました。

成馬:違法建築が多いというのは、香港にあったスラム街・九龍城のイメージですよね。一方で、101話でコウモリの悪魔が登場する場所は、現代のショッピングモールみたいだと思いました。もしかしたら、世界観自体がモザイク状になっているのかなと。チェンソーマンが食べたことによって、この世界からなくなったものがいっぱいあるという裏設定があるのかなと推測しています。

倉本:余談なんですけど、そのショッピングモールみたいな建物も、現代のイオンみたいな箱状のものではなく、90年代に香港とかシンガポールで作られた陸橋で繋がっている建築と形状が近いなと思っていて。もしかしたら、90年代へのこだわりがあるのかなと感じながら読んでいました。

成馬:それは気づかなかったです。再構築された90年代というのが面白いですよね。

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