『攻殻機動隊』銃器から浮かび上がる、戦争へのペシミズムと技術発展へのオプティミズム

現実には軍用の銃弾が大きく刷新されることはなかった

 『攻殻機動隊』の世界は第三次、第四次と二度の世界大戦を経ており、作中での90年代以降の銃器発達・運用の歴史は現実の世界とは大きく異なる可能性が高い。『攻殻機動隊』の世界ではサイボーグやアームスーツといった兵器が発達し、それらと渡り合うために現実世界では考えられないほどの強装弾、高速弾の運用が前提となったことから、軍や法執行機関での弾薬補給の体制は大きく変化したのだろう。一方でそれらの銃を使う側もサイボーグなどであり、通常の人間とは異なる照準プロセスや発射の反動への耐久性を持つ可能性がある。これらの事情から『攻殻機動隊』の銃器は、現実の発達史とは異なる道のりを辿ったと考えられる。

 一方で、現実世界における90年代以降の30年間は、「両手で保持し、目で照準し、火薬で弾を飛ばす」という現在の小火器の性能がほぼ頭打ちになったことが判明した時代だった。2001年の同時多発テロ以降続いた長い戦争も、銃器のあり方については抜本的な変化を促さなかったのである。

 例えば、冷戦終結後の米軍は国軍同士の大規模戦闘ではなく、主に発展途上国を戦場とする局地的軍事衝突が今後の戦争の主な形態になると判断した。同時多発テロ以降のアフガニスタンやイラクでの戦闘もこの見立ての範囲を大きく逸脱するものではなく、運用された銃器についてもこういった形態の戦闘に対応したものとなる。すなわち、従来用いられてきた5.56㎜×45弾と7.62㎜×51弾というふたつのNATO規格の銃弾を発射する歩兵火器が、依然として主流であり続けたのだ。

 他国に関しても同様に、軍用の銃弾が大きく刷新されることはなかった。PDW用の新型弾薬は前述の理由で軍や法執行機関に広く普及せず、各国は依然として従来の弾薬を使い続けたのである。銃弾に変化がなければ、それを撃ち出す銃に大きな変化は発生しない。90年代以降の軍用小銃に関する大きな変化といえばピカティニー・レールを使用して照準器など周辺機器の取り付けが前提となったことであり、そしてこれはレールの取り付けが容易なAR系の小銃が巨大なシェアを保ち続けることを助けたのである。『攻殻機動隊』出版後、現実の世界で起きたのは銃自体の進化ではなく、周辺機器やそれを用いた運用方法の進化だったと言えるだろう。

 前述のように、コミック版『攻殻機動隊』作中での銃器類は、このような現実の銃器が辿った歴史とは無縁だった。しかし、近年の『攻殻機動隊』関連作品は、前述の「銃弾が変化せず、それゆえに銃自体の変化も停滞する」という現実のルートを追認するような形になっている。

 コミック版『攻殻機動隊』に登場した実在の銃器は、第6話に登場するヤクザのスナイパーがサプレッサーをつけて使っていたPSG1程度である。トグサが自身の銃について言及するシーンもあるが、台詞のみで実物は登場しない上に、この時言及される「M2007」はマテバをベースにした架空モデルという設定である。しかし、1995年の劇場版『GHOST IN THE SHELL』では実在の銃が大量に登場。2002年の『攻殻機動隊 Stand Alone Complex』以降に制作された諸々の映像作品でも、実在する多数の銃が劇中で使われている。

 確かに『攻殻機動隊』は現実の国際情勢やコンピューターネットワークなどの発達をベースとしたSF作品であり、荒唐無稽というよりは地に足のついた「リアル」な内容を特徴とする作品だ。しかしだからこそ、士郎政宗は「サイボーグやアームスーツや思考戦車の存在が前提である世界での銃弾と銃はどのような物か」を思考し、架空ながら具体的なアイデアとして作中に登場させた。

 一方で、既存の銃器をそのまま作中に登場させれば、同時代の観客に対して「これはリアルな作品だ」と思わせることには確かに成功するだろう。しかし、「サイボーグとの戦闘はどのようなものか」「防弾性能や運動能力が大きく異なる相手との銃撃戦に、既存弾薬は通用するのか」という思考を突き詰めた結果として既存の銃器を登場させることは、果たして緻密なSF作品の描写として妥当なのだろうか。個人的には疑問である。

 現実でも、米軍では今後の使用弾薬を変更する動きがある。そもそも米軍は過去30年間の間に何度も新小銃のトライアルを続け、そのたびに研究計画を頓挫させてきた過去がある。現在進行している新小銃選定プログラムはNext Generation Squad Weapon(NGSW)という名称で、度重なるトライアルの結果シグ・ザウエル社のXM5/XM250が選定されたという。

 このプログラムの大きなポイントは使用弾薬を6.8㎜×51弾に変更することで、この銃弾は各国で普及が進んだボディアーマーへの貫通力と長い射程を持ち、なおかつ威力に対して軽量なのが特徴だという。

 つまり、従来の縦断よりも高い威力と長い射程距離を持った銃弾へ弾薬を刷新し、それに対応する火器を選定するというのがNGSWの目的なのであろう。この「状況が変化し、それに対応するために銃弾が変化し、結果銃自体が変化する」というプロセスは、『攻殻機動隊』での銃器の変化を彷彿とさせる。『攻殻機動隊』から派生した各種映像作品が現実の銃器をトレースしている間に、現実の方が時代の変化に合わせて新型弾薬を誕生させたことになる。

士郎政宗の作風

 『攻殻機動隊』は、全体にイノベーションを楽天的に捉えたことで、全体に軽いノリが漂っている作品である。疑似記憶を植え付けられたゴミ収集作業員のエピソードは劇場版『GHOST IN THE SHELL』では重いテイストで描写されていたが、『攻殻機動隊』ではラストはギャグ漫画のような雰囲気でまとめられていた。野放図な技術発展に対して悲観的にならず、むしろその可能性に対して楽天的になり、さらに発展を突き詰めた先に何があるのかを十分な説得力を持って描くのが、士郎政宗の作風と言えるだろう。

 単に『攻殻機動隊』に登場する銃ひとつとっても、この作風の影は濃い。既存の現実に追従してSFコミックのディテールを想定するのではなく、まず読者の想定を上回る現実が存在すると仮定し、その過程に基づいてディテールを設定する。そこでは当然現在の既存技術を超えたイノベーションが存在するため、ディテール自体の見た目や仕組みも既存のアイテムとは大きく異なって当然だ。そういった立ち位置に立脚しているからこそ、『攻殻機動隊』に登場する銃器類は、現在の軍用小火器のデザインと比較してずっと自由であり、またメカとしての説得力も持つ。

 銃はターゲットを撃ち殺すための道具である。そしてターゲットが変化する以上、銃も変化せざるを得ない。そんなハードな現実を受け止めて消化し、新たなデザインを生み出せるペシミズム、そしてそれと表裏一体になった、イノベーションへの期待と楽観を持ち続けるオプティミズム。『攻殻機動隊』は相反する要素が複雑に混ざった作品であり、そしてその複雑さの一端は劇中の銃器からも感じることができるのだ。

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