カウンターカルチャー神話が音を立てて崩れていくーー速水健朗の「『ローリング・ストーン』の時代」評
『ローリング・ストーン』誌も、この路線に乗っかる。もっとも売れた特集は、パトリシア・ハースト誘拐事件を巡るルポルタージュだった。メディア王の娘で当時まだ10代だったパトリシアが極左グループのシンバイオニーズ解放軍(SLA)に誘拐される。だが彼女がそのメンバーと一緒に銀行強盗に参加し、機関銃を構える姿が防犯カメラに写された。世間は大騒ぎした。『ローリング・ストーン』誌は、彼女とSLAの逃避行のルポという特ダネを手に入れて公開した。パトリシアの逮後のタイミングで出せたことも大きかった。
手記は、犯罪グループのからのルートで入手したものでFBIからは圧力を受けた。一方、極左組織側からもクレームの電話が編集部にたくさんかかっていた。体制も反体制も敵に回して彼らは雑誌を作り、部数は急増した。ロックや音楽の批評は関係なく、『ローリング・ストーン』誌は黄金時代を迎える。
1980年12月8日にジョン・レノンが暗殺された。これは、ヤン・ウェナーのメディア人生でもっとも重要な出来事となった。レノンの死に際し、大々的な追悼号を発行した。レノンは、特別な存在だった。一方、以後、雑誌では、レノンの政治への関心を利用し、キャンペーンに写真を利用するようになった。“愛と平和のシンボル”としてレノンを祭り上げたのは、この雑誌だった。それがヨーコとウェナーの“共闘”の姿勢だったと、その一端に本書は触れている。ヨーコも『ローリング・ストーン』誌を利用した。「レノンこそビートルズ唯一の重要メンバーである」という姿勢は、両者が一体となって推し進めたキャンペーンだったと。
カウンターカルチャーを神聖視する人々、またはそれをあとから純粋に追いかけようという人からすれば、神話がガラガラ音を立てて崩れるような一冊だ。カウンターカルチャーが無効になっているだろうという話は、哲学者のジョセフ・ヒース、アンドルー・ポターの著作『反逆の神話:カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか』ですでに批判されている。ヒースらは、こうした文化は、むしろ体制を強化する作用にしか働いていないと。だが、それ以上に痛烈なのが、本書だ。ジョー・ヘイガンは、最初からそんなものはなかったかのように、ウェナーの半生を描く。
最後に、ヤン・ウェナー自身は、どのような文章を書いていたのかに触れたい。ウェナーによる1970年代論。ウェナーは、70年代を「意味の追求が無意味」と判明した時代だったと解釈する。つまり、1960年代の否定だ。そして、「誰かを責めたりする」よりも「無分別になったり、世間に名を知られたり、愉快に過ごしたりするーー言ってみれば金持ちになるーーほうがいい時代である。」と断言した。田中康夫の『なんとなく、クリスタル』のような思想。これをウェナーは、田中康夫よりも数年早く唱えていたということ。
カウンターカルチャーの神話とウェナーという編集者の物語。この両者の関係を相入れないものと感じるか、または、ロックってそういうものとの見方もある。どちらが正解か、まあ答えは風に吹かれているのだろう。