天童荒太が語る、新たな物語が生み出される理由 『包帯クラブ ルック・アット・ミー!』刊行

 30万部のベストセラーとなり、柳楽優弥、石原さとみといったキャストで映画化もされた天童荒太の小説『包帯クラブ』(筑摩書房)。長引く新型コロナウイルスの流行やロシアのウクライナ侵攻によって多くの人の傷が深まる中、その16年ぶりの続編『包帯クラブ ルック・アット・ミー!』(筑摩書房)が刊行された。 

 傷ついた心の代わりに、傷ついた場所に包帯を巻きにいく。前作で〈包帯クラブ〉のメンバーが行ったその活動は、周囲の無理解や反発を受けて自粛を余儀なくされる。代わりに彼らがはじめたのはバンド活動だった。今作ではライブシーンやパフォーマンスの祝祭的な雰囲気が繰り返し描かれ、新たな物語を生み出している。また、大人になったメンバーの姿も描かれている。 

 長い時を経て、なぜ物語が再び動き出したのか。作者の天童に聞いた。(小沼理) 

ベストセラー『包帯クラブ』16年ぶりの続編


――2006年に出版された『包帯クラブ』はどんなふうに生まれたのでしょう? 

天童:筑摩書房の編集者から「若い人に向けてエッセイを書いてもらえないか」と依頼を受けたことがきっかけです。自分は物語が好きなので、随筆よりも何か物語を届けたいと考えました。 

 当時の若い人たちは、自分の目には生きづらそうというか、息苦しそうに映りました。何か困っている時に、どう助けを求めたらいいのか、どう手を伸ばしたらいいのか、お互いにわからずにいるような感じです。少し前には「自己責任」という言葉が流行りはじめていたし、自分の傷なんて大したことないと思い込もうとしていたように思います。今とは違うかたちで心の問題が軽視され、認知が進んでいない時代でした。 

 失恋や受験の失敗、友達とのちょっとした行き違い。さまざまなことで心は傷つきますが、同じようなできごとでも人によって傷の深さはまったく違います。それならどんな傷も軽視せず、大切に扱うほうがいい。見ないふりをしていた傷に誰かが手を差し伸べることで救われるかもしれないと考えた時、包帯のメタファーを思いつきました。傷ついた体には包帯を巻くけれど、心には巻くことができない。それなら、傷つく経験をした場所に巻くのはどうか。景色の中で白い包帯がたなびいていれば、傷つきが可視化されて、気持ちが軽くなることもあるのではないか。そのアイデアをもとに、「包帯クラブ」の物語を作っていきました。 

――同作は2007年には柳楽優弥、石原さとみ、田中圭らを迎えて堤幸彦監督によって映画化もされましたね。その16年ぶりの続編が今作『包帯クラブ ルック・アット・ミー!』です。 

天童:映画化もあって周囲が盛り上がっていましたし、前作のあとすぐに続編を書きはじめていたんです。ただ、ちょうどその頃からアフガニスタンや中東で起きている紛争やテロのニュースを見て、人の死とは何か、悼むとはどういうことかと常に考えるようになって。それが直木賞を受賞した『悼む人』(2008年)につながっていくのですが、その取材や執筆で手一杯になってしまったんですね。ひと段落した頃には時間が経ちすぎてしまって、空白の期間に包帯クラブのメンバーがどうなったのかしっかり書き込まないと、続編が単なる自己模倣になってしまうと思いました。前作を読んでくれた人に誠実な作品を書きたいと思うほど時間が必要でしたし、そんな中で目の前の仕事もこなさねばならず、気づけば10年以上の年月が経っていました。 

 前作には「報告」というかたちで、大人になったメンバーからの近況報告を作中に挟み込んでいました。2020年頃に包帯クラブのことを考えていた時、「今の彼らはちょうどこの報告をくれたくらいの年齢だな」と気づきました。当時高校生だった彼らが成長したタイミングと、私が書けそうなタイミングがぴったり重なったんです。 

――サブタイトルを「ルック・アット・ミー」(私を見て)としたのはなぜでしょう。 

天童:現代はますます助けを求めづらくなり、若者たちが自分の内側へ閉じこもらざるをえなくなっていると感じます。厳しい競争社会の中で、彼らは助けが必要な弱い人間だと思われることを恐れているように見える。今は心療内科の受診率も増えていますし、自殺対策白書によると15~39歳の若者の死因の第1位が自殺です。そうして苦しんでいる若者の事件が起きた時、ワイドショーでは「どうしてもっと早く助けを求めなかったんでしょう」と言う。でも、彼らはその術を持っていないんですよ。「助けて」と言えない社会で生きてきたから。 

 本当は、誰もが「今、つらいです」、「助けて、自分を見て」と言っていい。その権利はみんなにあるんだという思いを込めました。

バンド活動を包帯の代わりに

――今作では大人になった包帯クラブのメンバーによる世界を舞台にした活動と、前作の直後の物語が並行して描かれていますね。 

天童:ワラは国際医療団の看護師、ディノは紛争地域に赴くフォトジャーナリストなど、大人になったメンバーがどんな職業につくのかは前作の時点で決まっていました。ただ、そこに至るまでの細かな経緯にリアリティがないと、とってつけたようなものになってしまいます。高校生活の中で、彼らは自分たちの活動が世界に届くかもしれないとなぜ気づけたのか。関東の地方都市に生きる彼らが、多様性の大切さやこの世界の歪みの中に自分たちも生きていることを理解するには何をすべきなのか。それがわかれば、彼らは今の生活の延長線上に進路を見出すだろうし、時間の飛躍があっても読者が理解できると思いました。 

――前作の直後の物語では、街中に包帯を巻くことを禁止されたクラブのメンバーが代わりにバンドを結成します。なぜ彼らは音楽を選んだのでしょう? 

天童:勘みたいなものでしょうか。僕が音楽が好きだからかもしれません。あまり疑いもなく、「包帯が巻けないなら、バンドを“巻く”だろう」と、ストーリーが見えていました。 

――ライブシーンや、彼らが仲良くなった特別支援学校の学生たちとのパフォーマンスの場面が印象的でした。 

天童:ライブやパフォーマンスのシーンは一番苦心しました。読者に届けばいいなと強く思っていましたね。 

 ライブシーンを書くこと自体はそんなに難しいことではありません。音楽に乗っている時の感覚や、印象的な歌詞を数フレーズ書いて「その歌詞は聞くものの心に響いた」とすれば、読者は「感動的なライブだったんだな」、「良い詞だったんだな」と想像してくれますから。 

 でも、今回は高校生の彼らがどんなふうに悩んで自分の言葉を作り出したのか、ちゃんと読んでもらうべきだと思いました。だから「巻けない日々に負けない日々」という彼らのオリジナル曲は、歌詞を全部書いています。自分が高校生だったらどんな詞を書くか。難しい言葉は知らないけど、難しい言い回しを使いたくなる年頃でもあるし……と、自分自身をメンバーに憑依させながら書きましたね。 

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