巨人によって滅びる世界を眺める快楽ーー成馬零一が紐解く『進撃の巨人』の特殊性

 稀代の傑作『進撃の巨人』は人類に何を問いかけるのかーー2021年4月に約12年に及ぶ連載に終止符を打った漫画『進撃の巨人』を、8人の論者が独自の視点から読み解いた本格評論集『進撃の巨人という神話』が3月4日、株式会社blueprintより刊行された。

 ドラマ評論家の成馬零一は、『進撃の巨人』の作劇について考察。1巻の特殊性を紐解きながら、巨人という存在に抱くアンビバレントな感情や、賛否両論となった結末まで論じている。(編集部)

巨人によって滅びる世界を眺める快楽

 全34巻の長編漫画となった『進撃の巨人』だが、改めて読み返すと1巻の特殊性が際立っている。

 まず、表紙を見てほしい。筋繊維がむき出しとなった超大型巨人に斬りかかる主人公のエレンが描かれているのだが、エレンの姿は背中越しで顔が見えない。対して超大型巨人の顔は大きく描かれている。視線が向かうのはあの赤い顔で、超大型巨人の方が主役なのではないかと錯覚してしまいそうになる。 

 物語においてもそれは同様だ。メインキャラクターとなるエレン、ミカサ、アルミンは幼少期が丁寧に描かれているため、三人が巨人と戦う動機に関しては理解できる。しかしそれはあくまで物語上の役割でしかないため、それぞれのキャラクターならではの個性が描けているとは言い難い。

 漫画原作者の小池一夫や週刊少年ジャンプの元編集長の鳥嶋和彦を筆頭に「まずは個性の強い魅力的なキャラクターを作れ」と漫画の作劇論を語る者は多い。

 漫画はキャラが命。どれだけ物語が稚拙で細部が荒くても、キャラさえ魅力的なら読者人気は獲得できる。

 SFやファンタジーのような、序盤から細かい設定を長々と語り、大勢のキャラクターを同時に出すような始まりは、話が複雑すぎて読者は離れてしまう。

 最初に主人公のキャラクター、次はストーリー、最後は世界観。これが今も変わらない漫画の必勝条件だというのが漫画家や編集者、漫画読者の考える面白い漫画の共通認識だ。しかし『進撃の巨人』は真逆のアプローチで始まった。

 はじめに本作では「壁に囲まれた街」と「外から襲いかかってくる人食い巨人」いう独自の“世界観”が提示される。

 次に「巨人対人類」という対立構造が提示され、最後に各キャラクターの個性が描かれる。しかし、主人公のエレンも含めた各訓練兵たちの個性は乏しく、当初は誰が誰だか見分けがつかない。

 これは少年漫画としては大きな欠点である。だが、誰が誰だかわからない状態で突然戦争が始まり無差別に人が死んでいく導入部には戦争漫画のような説得力がある。何より「巨人から見れば人間は個別の判別ができない羽虫のような存在でしかない」と作者が宣言しているように見える。

 実際、主人公として威勢よく巨人に戦いに挑んだエレンは、すぐに足を食いちぎられ、アルミンを助けようとして巨人に食われてしまう。主人公と思われたエレンがあっけなく死んだことで物語の緊張感が一気に高まり「いつ誰が死んでもおかしくない漫画なのだ」と読者は理解する。

 『進撃の巨人』というタイトルから察するに、おそらく本作の本当の主人公は人類を蹂躙する巨人たちなのだろう。それが、1巻をはじめて読んだ時に感じたことだ。

 破壊される壁や巨人に食われて死んでいく兵士たちの姿を見た時、多くの読者と同じように筆者も深い絶望を感じた。だが一方で、爽快感のようなものも感じていた。巨人の側から世界を眺め、人類を蹂躙する快楽に酔いしれていたのだ。

 おそらく自分の生きている現実に不満を抱き、「こんな世界は滅んでしまえ!」と思っていた読者ほど、巨人たちの進撃に喝采を叫んだのではないかと思う。

 この感触は『ゴジラ』等の怪獣映画や『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のようなゾンビ映画を見ている時の高揚感ととてもよく似ている。

 『進撃の巨人』の連載が始まったのは2009年9月(「別冊マガジン」2009年10月号)。単行本の1巻が発売されたのは2010年3月だ。

 2011年の3月11日に起きた東日本大震災と2020年から世界中に広がった新型コロナウイルスのパンデミックを通り過ぎた今となっては、“世界の終わり”に対して甘美な気持ちを託すことは、たとえフィクションであっても難しくなっている。

 何より『進撃の巨人』という物語自体が危機的状況になった世界で真っ先に犠牲になるのは弱者であり、強者は安全な場所で生き残るということを物語の中で徹底的に描いてきた。だから、どこまで行っても自分は「巨人に食われる側でしかない」ことは頭では理解しているのだが、たとえ真っ先に自分が死ぬことになったとしても、巨人によって滅びる世界を眺める快楽が、この1巻にはあったのだ。

(続きは『進撃の巨人という神話』収録 成馬零一「巨人に対して抱くアンビバレントな感情の正体」にて)

■書籍情報
『進撃の巨人という神話』
著者:宮台真司、斎藤環、藤本由香里、島田一志、成馬零一、鈴木涼美、後藤護、しげる
発売日:3月4日(金)
価格:2,750円(税込)
発行・発売:株式会社blueprint
購入はこちら:https://blueprintbookstore.com/items/6204e94abc44dc16373ee691

■目次
イントロダクション
宮台真司 │『進撃の巨人』は物語ではなく神話である
斎藤 環 │ 高度に発達した厨二病はドストエフスキーと区別が付かない
藤本由香里 │ ヒューマニズムの外へ
島田一志│笑う巨人はなぜ怖い
成馬零一 │ 巨人に対して抱くアンビバレントな感情の正体
鈴木涼美 │ 最もファンタスティックなのは何か
後藤 護 │ 水晶の官能、貝殻の記憶
しげる │立体機動装置というハッタリと近代兵器というリアル
特別付録 │ 渡邉大輔×杉本穂高×倉田雅弘 『進撃の巨人』座談会

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