冬季五輪の華・フィギュアスケートは小説でどう描かれてきたか 壁を乗り越え栄光の舞台に立つ選手たちの肖像
羽生結弦選手の男女合わせて史上3人目となる3連覇に期待がかかる北京オリンピックのフィギュアスケート競技。スポットライトを浴びて演技する選手たちは、どのような過程を経て晴れの舞台へとたどり着いたのか。そして、どのようなことを考えて滑っているのか。フィギュアスケートをテーマにした幾つもの小説が、そんな選手の心の中や演技の注目ポイントを教えてくれる。
五輪の場に立つトップアスリートたちの誰もが、順調に成長して今の地位にたどりついた分けではない。風野潮の『クリスタル エッジ』(YA!ENTERTAINMENT)にはそんな、挫折を味わいながらも自分を見つめ直して復活を遂げるフィギュアスケート選手の物語が描かれる。
フィギュアスケートの元選手だった父親をコーチに、幼いころからフィギュアスケートを続けてきた中学生の桜沢輪。下手ではないが、同じ世代に瀬賀冬樹という次世代のホープがいたり、輪と同じスケートクラブにいる結城葵がぐんぐんと成績を上げていたりすることもあって、フィギュア漬けの毎日に疑問を覚えるようになっていた。
自分は本当にスケートが好きなのだろうかと悩む輪。そこに現れたのが小池和馬という少年で、始めたばかりでスピンもジャンプもこなす才能を見込んで、父親は和馬を家に住まわせ面倒を見ると言い出した。自分に向けられていた関心を奪われるような寂しさを覚え、伸び悩みによる挫折感を味わっていることもあって、輪はスケートを続けるべきか迷い始める。
スポーツや音楽を嗜んでいた子供たちが、その分野で本物の才能を目の当たりして壁を感じるのは誰にでもある話。大切なのはそこで自分の“好き”を貫き通すことだが、これがなかなか簡単ではない。練習に行かなくなった輪は何をきっかけにして壁を乗り越えスケートに戻っていったのか。その心の流れを知ることで、北京五輪のリンクに立つ選手たちの華やかさの奥にある、競技にかける情念なようなものを感じ取れるだろう。
『クリスタル エッジ』には続編『クリスタル エッジ 目指せ四回転』『クリスタル エッジ 決戦・全日本へ!』もあるから、読んで続けて読んで輪や葵、和馬の成長を追っていこう。風野潮作品では別に、『氷上のプリンセス』シリーズ(青い鳥文庫)もあって、こちらはで小学生の女子を主人公に、挫折を乗り越えいくストーリーに触れられる。
小学生女子は、碧野圭『銀盤のトレース』(実業之日本社)でも主人公になっている。こちらはメンタルに加えて、簡単に滑っているように見えて、氷上のフィギュアスケート選手たちが様々なテクニックを駆使していることに気付かせてくれる作品だ。
名古屋にあるリンクで練習している小学6年生の竹中朱里だったが、うまく飛べないジャンプがあってバッジテストの5級になかなか合格できないでいた。選手になれないのに成績を下げてまで、レッスンにお金がかかるフィギュアスケートを続ける意味はあるのかと母親は言い、朱里も自分の限界を見たようで辞める気になっていた。そこに救世主。休日に行った郊外のリンクでジャンプの癖を指摘するおじさんがいて、コンパルソリーをやればジャンプも上手く飛べるようになると言われる。
同じ円の上を何度もトレースして技術を競うコンパルソリーは、地味だからと何十年も前に競技種目から外されていた。けれども重心のかけかた、エッジの使い方を体にたたき込む意味から重要性は失われていない。朱里に見せるために綺麗なトレースを描いてみせたおじさんは誰で、そして朱里は壁を突破できたのか。答えは中学、高校と成長して、フィギュアスケート界で活躍する朱里を描いた『銀盤のトレース age15 転機』『銀盤のトレース age16 飛翔』が出ていることからも明らか。まとめて読んで技術の神髄に迫りたい。
碧野圭は、最新刊の『跳べ、栄光のクワド』(小学館文庫)でもフィギュアスケートを舞台にしているが、こちらは選手ではなくフィギュアスケートに様々な角度から携わっている人たちの競技への思いを描いたものとなっている。実力と人気を兼ね備えた男子フィギュアスケート選手が全日本選手権を前に失踪してしまう。その事件を耳にしたジャッジは、選手だった時の採点への不満がジャッジになったことで解消され、厳密なジャッジによって選手たちは自分の弱点を克服していけると気付いたことを思い出す。
トレーナーは選手からの信頼に応える大切さを改めて自覚する。幼いころから世話をし続けた母親は、自分が重荷になっていた可能性に思い至り、振付師は順位だとか見映えとかのためではなく、自分のためにスケートを踊りたいという選手の思いを指摘する。そしてファン。熱烈なファンの存在があって選手たちは頑張って声援に応えようとしているのかもしれない。フィギュアスケートの世界を立体的にとらえた作品だ。