独ソ戦を題材にした小説『同志少女よ、敵を撃て』が異例の大ヒット! 圧巻のおもしろさを解説
幾つもの書店の平台で多面積みされ、ネットでは熱い感想が飛び交う。今、第十一回アガサ・クリスティー賞の大賞を受賞した、逢坂冬馬のデビュー作『同志少女よ、敵を撃て』が大きな話題を呼んでいる。独ソ戦を題材にした作品が、これほどヒットするとは驚きだが、たしかに読者の興味を惹くフックはある。主人公は、ソ連の女性狙撃兵だ。最近の流行である、シスターフッドの要素も盛り込まれている。ミステリー・ファン以外にもアピールするポイントがあるのだ。
さらに注目したいのが、独ソ戦に対する敷居が低くなっていること。独ソ戦を簡単にいえば、第二次世界大戦中のドイツとソ連の戦いである。ドイツの侵攻によって領土を蹂躙されたソ連は、苦しい戦いを経て反攻に転じ、ついには勝利した。しかし、時間的にも空間的にも規模の大きい戦いであり、多くの日本人はバルバロッサ作戦やスターリングラード攻防戦など、有名な作戦や戦闘を聞きかじる程度であった。独ソ戦の全貌を把握していたのは、戦史の専門家やマニアだけであっただろう。
だが、ここ十年くらいで状況は変わった。漫画家の速水螺旋人は、ロシアの魔女っ娘とお目付け役の女性少尉が、独ソ戦の最中をウロチョロする快作『靴ずれ戦線』を刊行。また近年では、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチがソ連の従軍女性など、独ソ戦にかかわった五百人以上の女性にインタヴューをした『戦争は女の顔をしていない』が、コミカライズ(作画・小梅けいと、監修・速水螺旋人)されている。こうした漫画作品から独ソ戦の世界に入った人は少なくないだろう。その一方で軍事史研究家の大木毅が、独ソ戦の全貌をまとめた『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』を岩波新書で刊行。容易に独ソ戦を俯瞰することができるようになった。それに伴い、独ソ戦に興味を抱く人も増加していったのである。すでに本書が受け入れられる土壌があったのだ。
と、理屈を捏ねてみたが、物語を読み始めて、そんなことはどうでもよくなった。凄い。メチャクチャに凄い話ではないか。主人公のセラフィマは、モスクワ近郊の農村で母親と共に、半農半猟の生活をしている少女だ。しかし独ソ戦が激化する一九四二年、突如現れたドイツ軍により母親を始めとする村人が殺されてしまう。セラフィマも危機に陥るが、赤軍の女性兵イリーナに救われる。かつては狙撃兵だったが、今は狙撃訓練学校の教官長をしているイリーナにより、訓練学校に放り込まれたセラフィマ。さまざまな事情を抱える生徒たちと共に訓練を重ね、ついに狙撃兵として最前線で戦い始める。だがそこはセラフィマの想像を上回る地獄であった。
聡明で狙撃の才能もあるセラフィマだが、戦いの中で迷いは尽きない。戦争の狂気。殺戮の衝動。民族問題。権力の理不尽。身勝手な男の理屈。幾つものエピソードが、セラフィマの心を揺さぶる(終盤のサプライズはショッキングだ)。また、母親を殺したドイツの狙撃兵だけではなく、家族との思い出を踏みにじったイリーナへの憎しみもあり、彼女の胸中は複雑である。そんなセラフィマが、地獄巡りの果てに、どこにたどり着いたのか。読み始めたら、最後まで彼女の人生を追いかけずにはいられないのだ。