『SLAM DUNK』のルーツとなったものとは? シカゴ・ブルズや『ドカベン』からの影響を考察
能代工業高校
湘北高校が全国大会の2回戦で対戦した秋田県の山王工業高校。このモデルは、1933年創部、全国高校選抜、全国高校総体(インターハイ)、国民体育大会を通算58回制覇したことで知られる能代工業とされている。
白と黒を基調とし、胸に「山王工業」と書かれたユニフォームは能代工業とそっくり。また、湘北を苦しめたオールコートゾーンプレスも、能代工業が得意としたものだった。能代工業の強さは、山王工業となって『SLAM DUNK』で再現されたのだ。
月刊バスケットボール初代編集長・島本和彦氏
湘北高校の監督で「諦めたらそこで試合終了ですよ」という名言で知られる安西先生。彼のモデルは諸説あるが、その1人として囁かれているのが、月刊バスケットボール初代編集長の島本和彦氏だ。
バスケットボールに注ぐ愛情と熱い思いは、安西先生と共通している。ただし体型は、まったく異なるため、一部には「熊本のとある高校の監督」がモデルではないかという説もある。
私生活やその半生など、わかっていないことも多い安西先生。モデルとなった人物も、謎に包まれている。
さまざまなものをインスパイアした作品
『SLAM DUNK』は実際のバスケットボールや別の漫画など、さまざまなものをインスパイアし、素晴らしい漫画となった。作品だけではなく、影響を与えた人や物も、称賛するべき存在だ。