「もし、あの時こうしていたら」選ばなかった人生を想像する痛切な物語 カツセマサヒコ『夜行秘密』

 本作の登場人物たちは、決していい人ばかりではない。小説部分の書き出しとなる2章「左恋」の主人公は、冒頭数ページだけで実に憎たらしい印象を抱かせる、映像作家のトップランナー・宮部あきらである。トップクラスの才能を持つ彼は、意図せずして、彼に魅せられ集まってくる人々の運命を動かし、残酷に傷つける。

 彼と関係を持ち、それ以来執着し続ける富永早苗。「一発屋」で終わりたくないと次の作品を模索する過程で宮部にコンタクトをとり、翻弄されることになる、SNSから突如ブレイクしたバンド「ブルーガール」の岡本音色。そしてスーパーの店員として音色と出会う、劇団員の凛。特にこの、4章『フラれてみたんだよ』をはじめとした、音色と凛の物語は、若者たちの夢と恋の生々しい葛藤に満ちていてとてもよかった。

 そして後半のキーマンとなる、高校生の松田英治。花屋でチューリップの花言葉を交わし合って出会ったナツメとメイ。一見無関係のような群像劇が、宮部あきらという人物を軸にゆっくりと絡み合い、少しずつ輪郭を露わにしていき、終盤に繋がっていく。

 「夜行」をモチーフにした最初の見開き一ページの物語が一体何を意味するのか。終盤読者は驚きと共に、最初のページを読み返すことになるだろう。

 「もし、あの時こうしていたら」と選ばなかった側の人生を想像すること。目の前にいる誰かを「救える」と過信すること。この小説の登場人物たちはそれらを繰り返す。すれ違い続ける彼らは、後悔と共に、もう会えない人の意志を継いで、いや、その意志が確かなのかさえももはやわからないけれど、意志を汲んだフリをして行動する。そうでもないと、自分が自分でいられなくなってしまうから。

 この作品は、「誰かを救う」話ではなく、「救えないと分かっていてもそれでも互いに向かって、手を伸ばし合わずにはいられない」人々の物語。人は人を心の底まで理解することはできないし、「救う」なんてただの奢りにすぎないと、痛いほど理解している人が吐き出す、痛切な物語だ。

■書誌情報
『夜行秘密』
著者:カツセマサヒコ
カバーイラスト:与
カバーデザイン:岡本歌織(next door design)
企画:AOI Pro.
出版社:双葉社
発売日:2021年7月2日
予定価:1,540円(本体1,400円)
特設サイト ※5話まで無料公開中
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