平野啓一郎が語る、疲弊した社会に必要なこと 「知的になることで感情的な苦しさから解放されることはあるはず」

小説のデザインについて考え方が変わった

——平野さんの小説のスタイルについても聞かせてください。『マチネの終わりに』『ある男』そして今回の『本心』もそうですが、ここ数年の平野作品は、物語のアウトラインが捉えやすく、同時に様々な哲学的、社会的なテーマが織り込まれている構造になっていますね。

平野:『かたちだけの愛』(2010年)という小説を書いたときに、プロダクトデザイン(製品のデザイン)を自分なりに勉強して、小説のデザインについて考え方が変わったところがあるんですよ。多くの人にとってリーダブルなものを書きたいという気持ちは以前からあったし、『決壊』(2008年)という小説なども「すごく長いけど、読みだすと最後まで読めた」という人が多かったんです。ただ、その頃はリニア(直線的)な構成というか、おもしろい場面を繋いでいくイメージで書いていて。先が読みたくなるところで切って、別のエピソードを繋ぐという、アメリカのドラマでいうと『ER緊急救命室』や『プリズン・ブレイク』みたいな手法ですよね。ただ、そのやり方で途中に哲学的な問いや社会情勢のことを書くと、読者によっては「物語が寸断されている」という感じを持ってしまうんです。

——「関係ない話が挟まっている」という印象になる?

平野:ええ。そういう経験を踏まえて、リニア構造ではなく、積層構造のようなデザインにしたほうがいいと考えるようになりました。表面ではできるだけ単純な物語がエレガントに描かれていて、下のレイヤーには社会的、哲学的な問題、言葉にできないアポリアのような事柄を込めるようにしたんです。会話のちょっとしたサイン、引用などで切れ込みを入れておいて、そこに気付いたり、興味のある人はさらに深い部分を読み込める。そうすれば、いろいろな読者に対応できます。再読でも楽しめますし。あとは、作品のコンセプトをひと言で表せるくらい単純化できれば理想的だと思ってます。昔の作家は、インタビュアーに「今回の作品のテーマは何ですか?」と聞かれて「それをひと言で言えるんだったら、わざわざ小説なんか書かない」と怒るようなこともあった。それも一つの意見だと思いますが、僕自身はーー最終的にはひと言で言い表せないことを書きたいですがーー小説のレイヤーのトップでは、できるだけ簡潔にテーマを集約したいんですよね。

——『本心』では、“最愛の人の他者性”という言葉に集約されているわけですね。

平野:はい。「この世界の複雑さと情報量をどうやって物語として成立させるか」ということを考え続けていますし、僕としては、かなり新しい書き方だと思っています。

——今の話は、音楽や映画など、他の表現分野にも共通しているかもしれないですね。わかりやすさと複雑さを共存させた表現が増えている印象もあるので。

平野:そうですね。僕にとって物語は、音楽におけるメロディなんですよ。メロディがある音楽と、メロディがない音楽では、聴いてもらえる人口が全然違う。僕自身もキャッチ—で美しいメロディがある音楽が好きだし、自分のポップな気質は大事にしたほうがいいなと。メロディラインが美しく伸びやかに描かれ、それを支える楽器編成やアレンジメントはとても凝っている。小説においても、それが理想ですね。

——平野さんは音楽への造詣も深いですが、現在進行形の音楽から影響を受けることもありそうですね。

平野:(音楽は)20世紀後半はちょっとがんばりすぎたかもしれないですね。だからといって、ドン決まりのベタなメロディに戻るのもどうかと思うし、優れたミュージシャンは絶妙なラインを狙ってますよね。現在のジャズもそうですが、キャッチ—でありながらも、雑多な要素が混ざり込んでいて、しかも決して難解ではない。聴く人を増やす方向に発展しているのはいいことですよね。

——平野さんと世代の近いロバート・グラスパーなどは、まさにそういうアーティストだと思います。

平野:そうですね。ジャズでさえ、ともするとエリート主義に陥りそうになりながら、(ロバート・グラスパーは)ヒップホップなどを融合させながら、一種の第2次フュージョン・ブームを生み出して。(ラッパーの)ケンドリック・ラマーも、ジャズミュージシャンのバックアップがあったからこそ、あれほどの音楽を作り出したわけで。良い作用を及ぼしていると思いますよ。

——『本心』の主人公・朔也は、物語の最後で、未来に向けた行動を起こします。この小説の読者に対しても、より良い生に向かって行動してほしいという思いもありますか?

平野:具体的なアクションまでは考えていませんが、僕自身の体験を振り返っても、この世界で生きていて、辛さ、孤独を感じたときに小説を読み始めて、非常に救われてきましたからね。感情的に共感するだけでなく、思想的にも練られたことは、とても良かったと思います。辛い状況にある人が、どうやってそこから抜け出すかということで言えば、いちばん大きいのは知的になることだと思うんですよ。なぜ、自分はこういう状況にいるのか。そして、なぜ自分たちに対して、社会はこんな態度を取るのか。それを感情的に受け取っているうちはなかなか解決できないんですが、よく考え、よく勉強し、知的になることで感情的な苦しさから解放されることはあるはずなので。作家のほうも、(作品に)心情的に共感してもらうことも大事ですが、“現実に対して知的に対処すべき”ということを書くことがすごく重要です。小説を読むことで、読者が自分の状況を整理できて、共感の先に“自分だったら、こんなふうに生きていけるんじゃないか”と具体的な生が控えているのであれば、それがいちばん望ましいですね。

——小説という形式には、その力があると。

平野:僕はそれを期待しています。僕はソーシャルメディアも使っているし、好きなほうだと思いますが、TwitterやFacebookでは、「じっくり議論した末に、考え方が変わる」ということには滅多にならない。たまに有名な人たちがSNS上で議論をやって、それを眺めながら、いろいろ考えることはあるかもしれないけど、それほど期待できないですね。一人の人間がある考えを持つに至るには長い年月が必要だし、そのためには小説のほうが有効ではないでしょうか。小説にはいろいろな登場人物がいて、その関係が描かれている。そこから生まれる物語を深く読み込むことで、凝り固まっていた思想が解きほぐされ、新しい考えに開かれる。そういう経験をしてもらえたらいいなと思っています。

——平野さんは以前から、「あまりにも社会の状況がひどいので、優れた小説を読むことで正気を保っている」と発言されてますが、それは今も変わらないですか?

平野:そうですね。「そもそも自分が小説を読み始めた動機はそれだったのでは」と思うくらいなので。心が落ち着くんですよ、まともな文章を読むと。日々、メディアを通して政治家のわけのわからない言葉を聞かされていて、それに対して反応もしますが、しょせんは無力じゃないですか。そんなことを繰り返していると、こっちのほうがおかしくなってしまう。優れた小説を読むことで心の平穏を保つことは、社会をまともに機能させるためにも必要だと思いますね。

■書籍情報
『本心』
平野啓一郎 著
発売中
価格:1,980円(税込)
出版社:文藝春秋

関連記事