宝塚歌劇団はなぜ100年を超えて生き残っている? 元総支配人が語る、ウィズコロナのエンタメ産業のあり方

70年代から培われてきたファンベースのコミュニティと阪急の共生関係/棲み分け

――宝塚のファンの方はどんな女性が多いという印象ですか。

森下:支配人をやった頃の感覚で言えば、乙女ちっくな心情をお持ちな、非常に純粋な方が多い。その純真さゆえに、宝塚の特徴である、女性が男性を演じる「男役」というこの世にないすばらしいものを知り合いや友達、家族に伝えたいという想いから、次のお客さんを連れてきてくださる。近年「ファンベース」だとか「ファンマーケティング」とよく言われていますが、宝塚はSNSが登場するはるか以前からファンが自主的にレコメンドして次のお客様を連れてきてくださる――阪急側からするとやはりプロモーションコストをかけずに集客できることが特徴的です。

――宝塚最大の提供価値は?

森下:キラーコンテンツは今申し上げたように、女性が男性を演じる「男役」です。そしてその男役を演じる役者が徐々に成長していくプロセスをファンが伴走できる。マーケティングで重要なのは「ありそうで『ない』もの」を提供することです。「いそうでいない」理想の男性を演じる男役はそのど真ん中をいくものです。

 ただし、時代に合わせて理想像は変化しています。たとえばかつてはいわゆる「男らしさ」重視でしたが、いまは「やさしさ」重視になっています。また、僕が総支配人をしていた20年ほど前はまだオリジナル中心を標榜していましたが、その後、時代の流れでマンガ原作が増えてきています。

 それでも人気は衰えない。表層的な部分は移り変わっていきますが、一貫して「ありそうで『ない』」世界を提供しているという根幹には変化はありません。

――本の中に「宝塚のファンは役者の成長に投資をして何度も観る」とか「ロングラン公演は行わないが『ベルばら』などでは『○○編』と区切ってシリーズ化して続編を制作をしている」と書かれていましたが、このあたりは最近の2.5次元の舞台に継承されているなと感じました。いかがですか。

森下:私もそう思います。「日本のエンタメはどれもどこかで宝塚で意識している」とよく言われてきました。「完成品を一度観れば満足」というものよりリピーターが付いて何度も来てくださるもののほうがマーケティング的にありがたいわけです。しかし宝塚は長期にわたるロングラン公演を行いません。つまり何度も観たいと思っても行ける回数はもともと限られている。花・月・雪・星・宙の5組を平等に扱い、ひとつの組の公演で同じ演目をやるのはたった50回しかありません。ところがそうすることでファンには「これを見逃すと次は半年先になってしまう」という気持ちが生まれ、限られているからこそなんとしても初日、中日、千秋楽いずれも行きたいという気持ちが生まれます。しかしチケットは入手困難であり、その飢餓感がさらに観たいという欲求を強いものにします。

――「この機会しかないから行きたい」は、行動の動機としてはものすごく強いですよね。

森下:「コレクションが欠けていると気持ち悪い」というのに近い感覚を作り出していると思います。それに加えて仲間内で「観てないの?」とか「知らないの?」と言われるのもいやですから、なるべく観ようという心理が働きます。

――宝塚ではスターのある種の神秘性を担保する、男役に対してファンそれぞれが解釈を自由にできるようにするために、スターのSNSへの投稿や外部メディアへの出演が基本的に禁止されています。ジャニーズですら解禁傾向にあるのに、非常に珍しいですよね。

森下:これは阪急の意思というより、ディープなファンの人たちの意思として「やってほしくない」ということが強いと思います。スターが素の自分を開示して一般の人たちにまで見られるようにしてしまうことに対して、ファンの方がナーバスなのです。

――ただ、ファンクラブ主催の、スターを招いての「お茶会」を通して直接触れあう機会はあるわけですよね。神秘化とほど遠いのが直接交流ではという気がするのですが……?

森下:お茶会は阪急サイドが一切タッチしていない空間ですから、どんな場なのか私も伝え聞く程度ですが、ホテルの小規模から中規模のパーティ会場でやれる範囲の限られた人たちだけが参加できる場です。つまり「私たちはにわかのファンとは違う」という意識を持った方たちの集まりで、そこで見聞きしたことはお茶会の外には出ません。

 宝塚ではトップスターになるとそこから下に落ちることはなく、2、3年で卒業します。スターは卒業までの限られた時間を、公演はもちろん公演外も含めてファンの方々といかに良いものとして共有していくかに注力する。ファンはファンで、お茶会に参加できるくらい近い存在になりたくてコミットしていく。そういう関係性のなかで行われるものです。ですからSNSでスターが一般向けに日常生活を発信することとは、意味合いがまったく違うと思います。機会が限定されている特別な場であり、選ばれた人しか参加できないことが重要です。

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