音楽プロデューサー・松尾潔が語る、エンターテインメントの価値 「売れるために何かを捨てることはしていない」

荒唐無稽な話を書いているつもりはない

——(笑)撮影はいかがでしたか? 

松尾:彼の音楽の志向はもちろん知っているし、もともとB-BOYですからね。フォトセッション中も、90年代のRedmanのライブの話なんかをしたり。岩ちゃんは歌い手ではないので、彼とは小説のなかの悟と義人みたいな会話をしたことはなくて。だからこそ、表紙の撮影をお願いできたところもあったでしょうね。もし、僕がプロデュースしたことのあるシンガーの方だったら、「こういう写真が撮りたい」なんて言えなかっただろうし。……この話、照れますね(笑)。

——数多くのアーティストをプロデュースしてきた松尾さんですが、作家としては、編集者にプロデュースされる立場だったのでは?

松尾:そうなんですよね。岩ちゃんとの対談でも話したのですが、僕はこれまで、多くの演者のみなさんのお手伝いをしてきた。小説を書いたことで初めて、彼らの気持ちが少しわかった気がしますね。逆に言うと、「いままでわからずにプロデュースしてた。ごめん」ということなんですが(笑)。ただね、わからないからこそ出来るお願いもあるだろうし、それが良い結果を生むこともあると思うんです。たとえばトラックメイカーの方に打ち込みでストリングスをアレンジしてもらうとします。それを生楽器に差し替えようとしたら、演奏者の方に「これはバイオリンを弾かない方が作ったアレンジですよね? このフレーズは物理的に弾けません」と言われる。でも、フレーズ自体はおもしろいから、だったら打ち込みのままいこうという判断もできるわけですよ。

——弦楽器を演奏しない人が作るからこそ、新しい発想のフレーズも生まれ得ると。

松尾:はい。しかも最近は打ち込みの音質が向上しているので、生のストリングスにしか聞こえない音で、実際には演奏できないフレーズを取り入れることもできる。つまり、ある時代には「それは無茶だよ」と思われることも、その後、当たり前になるかもしれないんですね。今回の小説でいえばーー少しネタバレになってしまいますがーー企画がなくなったドラマのために作った曲を、そのままドラマの主題歌としてリリースするというのは、今の時点ではファンタジーですよ。音楽関係者が読めば「こんなことはあり得ない」と思うでしょうが、この先はそれも普通になるかもしれない、と言っておきましょう。

——実際にはあり得ない物語にどれだけリアリティを持たせられるかが、小説の醍醐味でもあると思います。

松尾:小説っておもしろいなと思うのは、「月が見えない夜だった」と書けば、天気が悪いということになるし、次のページで「ひょっこり月が見えた」と書くこともできる(笑)。もちろんスクリプトの段階で吟味してますが、起こりえないことを書けるのはおもしろいですよ。歌詞でもそういうことがありますね。山下達郎さんの「クリスマス・イブ」の「雨は夜更け過ぎに/雪へと変わるだろう」という有名な歌詞がありますが、実は12月の東京ではそんなことはなかなか起きないそうなんです。でも、山下達郎というシンガーの歌によってリアリティが生れ、リスナーはその情景を共有できる。それもエンターテインメントの素晴らしさですよね。僕もこの小説のなかで、まったく荒唐無稽な話を書いているつもりはなくて。「もしかしたら、こんなこともあるのかな」と読んでいただけると思うんですよね。

——なるほど。特にドラマプロデューサーと悟との会話は、シビれるほどの生々しさがありました。

松尾:僕も書きながら、身を削るような気持ちでしたね。勘のいい人が僕のプロフィールを見れば、「このドラマのことかな」とある程度、特定できるかもしれません(笑)。実際には、主題歌を制作したドラマが放送中止になったという経験はないんですけどね。

書き手と読み手の最低限の約束

——2011年の東京の描写も印象的でした。ビルボードライブ東京でライブを観るくだりや、実在するレストランで食事をする場面もそうですが、この時期の東京の文化を追体験できるのも本作の読みどころだと思います。

松尾:レストランの名前を微妙に変えてあったり、虚実が混ざってるんですよね。小説に出てくるレコード会社やグループ名なども、本当にありそうな名前にしてたり。紀尾井町の放送局とか、ありそうじゃないですか(笑)。エンストを気しながら車を運転するなんて、EVが主流になるこれからはお目にかかれない光景になるでしょうが、2011年はそうだったわけで。それもリアリティの担保になるのかなと。具体名、固有名詞をどこまで織り込むかは、小説というものが日本に入ってきて以来、ずっと書き手を悩ませてきたことだと思うんですよ。それを書くことで作品の風化が早くなるかもしれないけど、僕としては、その時代を書き留めることも小説という器の役割だと思っていて。

——なるほど。

松尾:僕自身もそういう小説を読み手としても楽しんできましたからね。たとえば大江健三郎の昭和40年代の作品には、当時の風俗が描かれていて、今となっては噴飯ものであっても、「これは古いよ」ではなく、「当時はこうだったんだな」と読むべきなんです。それは書き手と読み手の最低限の約束だし、『永遠の仮眠』でも恐れずに2011年の東京を書き込んでやろうと。まあ、用心深い性格なので、先人たちはどうしていたのか調べましたけどね(笑)。ちなみに日本の文学に初めて“コカ・コーラ”が出てきた作品ってご存知ですか?

——え、わからないです。

松尾:大正3年(1914年)に出た高村光太郎の第一詩集『道程』と言われています。あの中の「狂者の詩」に出てくるんですが、昔の人のほうが、新しい言葉をバンバン書かれているような気もして。この小説を書いているときも、ちょっと迷ったりすると「小さい小さい。思い切って書けよ」と自分に言い聞かせてますね(笑)。でも、間違いはないはずです。新潮社の校閲も通っているので。

——一方で、松尾さんにしか書けないフレーズもあって。「この夜を止めることは~」もそうですし。

松尾:あ、それは初めて気づかれました(笑)。じつは自分で書いた歌詞のフレーズをいくつか散りばめてるんですよ。タネ明かしするのも無粋ですが、言い当てられたら「その通りです」と言うしかないです(笑)。

——さらに悟と妻との関係、不妊治療など、いろいろな要素が込められているし、本当に間口が広い作品だと思います。音楽制作と同様、やはり、ヒットさせることは意識していましたか?

松尾:そうですね。岩田剛典さんという人気俳優が表紙を飾ってくれたことで、多くの注目を集めることができましたし、発売前から重版がかかって。そのことを素直に喜ぶ僕がいますね。ただね、音楽もそうなんですが、売れるために何かを積み重ねることはしても、売れるために何かを捨てることはしていないつもりなんです。

——「売れるために何かを捨てる」というのは?

松尾:僕が関わった楽曲に対して、「あれほどのR&Bマニアが、こういう曲を作るのはあり得ない」という言い方をされることがあるんですよ。つまり、「“これくらいでいいんじゃないの”という態度でJ-POPをやっているところが見受けられてイヤだ」ということなんですが、僕としては「ふざけるんじゃない」と言いたいです。そんな簡単な引き算だけでやれるなら、苦労はないですよ。脚色、演出、アダプテーション、ローカライズ、カスタマイズ、いろんな言葉がありますが、それを丹念にやってきたし、何かを捨てたり省いたように聴こえても、それは“マイナス”を加えているんです。それは小説も同じだし、だからこそ自信があるんですよ、自分が作るものに。万人にウケるはずなんて思ってないけど、ある人にとっては、ちゃんと響いて、人生のなかに何かを残せるものを書いたつもりなので。だからこそ一人でも多くの方に手に取ってほしいし、一生懸命、プロモーションもしたいと思っています。だって、僕みたいにR&B/ソウルのレコードを1万枚以上も聴いてきた人間でさえ、「え、83年にこんなにいい曲があったの?」ということが、いまだにありますから。

——知られていない名作がたくさんある、と。

松尾:本当にそう。先日、ロバータ・フラックの「What’s Going On」(マーヴィン・ゲイ)のカバーがリリースされましたが、これは1970年代初めに録音されたんです。音源が存在しているという話は聞いていたけど、どうして当時のアトランティック・レコードはリリースして、宣伝しなかったのか……。つまり、どんなにいいものでも、知られてないものがたくさんあるんです。だからこそ必死でプロモーションするし、「どれだけやっても届いてない人はいる」という心構えは死ぬまで必要でしょうね。

■書籍情報
『永遠の仮眠』
著者:松尾潔
出版社:新潮社
価格:本体1,700円+税
https://www.amazon.co.jp/dp/4103538414

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