作家・呉勝浩が語る、コロナ禍で“理不尽への抵抗”を描いた意味 「悲劇に抵抗し、未来へと繋げていく」

 呉勝浩(ご かつひろ)の新作『おれたちの歌をうたえ』が2月10日に発売される。日本推理作家協会賞と吉川英治文学新人賞をW受賞した前作『スワン』に次ぐ本作は、昭和47年から令和2年まで、時代を跨いで展開する長編作だ。

 元刑事の河辺のもとに届いた「茂田」と名乗る男からの電話。茂田が導くままに長野県・松本市のとあるビルへ向かうと、そこにはかつての親友「五味佐登志」の亡骸があり、その側には暗号が書かれた紙が残されていた。河辺は親友だった男が残した暗号を解読すべく、向き合うことを避けてきた過去の事件、もう決して会うことはなかったであろう仲間と交わり、事件の解決と同時に諦めかけていた人生を取り戻そうと、必死にもがくというストーリーだ。

 呉勝浩が本作で伝えたかった、悲劇を超えた未来とは。前作『スワン』との関連は。物語を大きく印象づける雪の描写や文学ネタの背景まで、本作を書き進める心のうちを語ってもらった。(とり)

現地取材が産んだリアルさ

写真提供・文藝春秋

――この作品は読者の年齢によって感じ方が異なる作品だと思います。昭和47年生まれの主人公が忘れようとしていた過去に向き合う姿にとても感情移入し感動しましたが、もしかしたら20代のときに読んでいたら、正直そこまで感動できなかったかもしれません。

呉:ありがとうございます(笑)。仰るように、年齢によって読後感や印象が異なる作品だと思います。僕も20代でこの作品は書けなかったでしょう。本作のきっかけは、1995年に発売された藤原伊織さんの江戸川乱歩賞受賞作品『テロリストのパラソル』。僕がまだ中学生だった頃、初めてお小遣いで買った単行本です。全共闘運動が物語の核となっているのですが、当時中学生の僕はどこまで理解できていたんですかね(笑)。とはいえ、いまだに心に残っている思い出深い一冊です。編集の方に「今、呉勝浩の『テロリストのパラソル』を書いてみませんか」とお誘いをいただき、ずっと挑戦したいと思っていた題材だったこともあり、是非という形で書き始めました。昨年はデビュー5周年で、通算10作目、今年40歳になることも合わせて、いいタイミングでお話をいただけたと思っています。

――本作は長野を舞台にしています。

呉:物語の背景として、「あさま山荘事件」が頭に浮かびました。僕は物語を書くとき、頭に浮かんだ映像が元となることが多いのですが、最初に浮かんだのは雪のなかで誰かが亡くなっている情景だった。なので本作においては雪が大きな要素になっています。また、雪に限らず、台風や天候、山といった人間の力では抗うことのできない自然の力を利用したかったということもあって、長野県を舞台にしました。

――「あさま山荘事件」の映像は雪の印象が強いですよね。実際に長野には行きましたか?

呉:昨年の2月に取材に行ってきました。でも、その時は暖冬の影響で雪がまったく降っていませんでした。それが、取材を終えて東京へ戻ろうとした直前、急に吹雪いたんです。このタイミングで降ってくれたことに感動して、さらに執筆意欲が高まったのを覚えています。僕は青森県出身なので、雪は見慣れたものですが、やはり物語の舞台となる場所で雪が降ってくれたのは純粋に嬉しかった。この作品を書くべきだと、背中を押される気持ちでした。

――やはり現地に足を運ぶと物語のシチュエーションが浮かんでくるものですか。

呉:写真で見る景色も間違いではないですが、実際その場に立って見るのとでは全然感覚が違いますね。ちょうどコロナウイルスで緊急事態宣言が出る前の2月、上田市、長野市、松本市の3市を取材して、一度訪れてみるべきだと改めて思いました。特に本作の舞台となっている真田町。現在は周りの町と合併し、上田市となっていますが、行ってみると山の麓のような場所で、坂が多く、道も凸凹で。写真だけでは分からなかったその地の特徴をリアルに体感し、幅広い視点で見られたことは、物語のシチュエーションを考えるうえで貴重な経験になりました。

――現地の方とはどういったお話を?

呉:作中の主人公たちと近い年齢の方にお会いして、主に1976年から77年頃の生活の様子や、当時流行った遊び、文化(映画・ドラマ・音楽)などをお聞きしました。採用するしないに関係なく、あらゆるお話を聞きましたが、時代背景を知るうえでとても役に立ったと思っています。固有名詞だけでなく、描写の力で時代感を覚えてほしいという本作の狙いに、生の声はとても助けになりました。

 天候についても伺いました。気象庁のホームページを遡って過去の天気を調べたんですが、主要都市以外の観測が残ってなくて。現地の方から「今とは比べものにならないほど雪が降った」「都市部と山では全然天候が違う」と伺い、これらを参考に作中の天候をイメージしました。やはり現地のことを全く知らずに、想像だけで世界観を作り上げるのは難しい。書いていても苦しさがあるので、お話を聞けたのは本当によかったです。特に本作では、時代を遡ることもありますし、取材があってこその作品となった気がします。

偶然に導かれて

――作中に登場するバンド名や本のタイトルなど、時代を感じる固有名詞が多く登場しているのも本作の醍醐味ですね。

呉:僕は生まれが1981年ですが、70年代は相当昔だと思っていたんですよ。でも改めて調べてみると、今でも全然通じるような作品が多いですよね。映画も、音楽も、文学も。

――永井荷風などの文学ネタがまた、人物像をイメージづけるのにいい働きをしていると感じました。

呉:実は、本作を書くまで永井荷風は名前しか知りませんでした。代表作も読んだことがなかったですし、じつは書き終えた現在もあまり特別な感情はない(笑)。そもそも、はじめに主人公の少年時代と壮年時代を現在で挟むという構想があって、少年時代に彼らが「栄光の5人組」と呼ばれるようになったエピソード、そしてこの5人組を教え導く先生の存在を思いついたんです。そして、もしかするとこの先生、永井荷風が好きなんじゃないか?と、直感的に思って、そこから荷風について調べました。

 特別な感情はないと言いましたが、それは荷風の小説についてのこと。エッセイは良かったし、何より彼が綴った『断腸亭日乗』という日記を読んで、自分の直感は間違いじゃなかったと確信しました。『断腸亭日乗』は、荷風が死ぬ直前まで書き続けた、日記文学とも呼ばれる作品ですが、40年間にわたる日々の記録は、最終的にもはやある種の「詩」のように感じられます。それが、本作で描きたかった主人公たちの人生と重なったんです。

――作品と密に絡んでいたので、直感というのが意外です。他の引用作品も同じような感じですか?

呉:太宰治の『ダス・ゲマイネ』は、星新一さんの文庫本からの孫引きになりますが、「読みかえした回数のもっとも多いのは『ダス・ゲマイネ』」「こういった百年に一人の才能に、まともに挑戦するのはむりというものだ」といった言葉が書かれてあったのを思い出し、せっかく荷風も読んだんだから太宰も読んでみるかと。軽い気持ちで手に取ったんですが、作中にフランスの詩人・ヴェルレーヌの詩の一節が出てきたんです。実は荷風のエッセイにも同じヴェルレーヌの引用があって、さらに中原中也もその詩を自作に引用していると知りました。中也は太宰の盟友で、いっしょに文芸誌を作ったりしている。これはどうやら、何かうまい具合につなげられそうだぞと(笑)。偶然に偶然が重なって、本作の文学ネタが形になりました。

 同時に、太宰が中也らと発足した文芸誌『青い花』における彼らの青春と、本作の主人公たちの青春が自分の中でリンクしたのも大きかった。長野で雪に降られた話と同様に、作中で文学ネタを扱うべきだと後押しされた気持ちになりました。本作は、雪といい文学といい、物語を書き進めるためのいい巡り合わせに恵まれたように思います。

――呉さん自身も、物語に導かれたかのようなエピソードですね。

呉:自分の意思ではどうしようもない、個人では太刀打ちできない運命のようなものを、作中では「巨人」と表現しましたが、ずっと書きたかった題材で。実際に、自分もそういう何かに導かれたのかもしれないですね。

――前作『スワン』のインタビューでは、映画『静かなる叫び』と『マンチェスター・バイ・ザ・シー』の2本から影響を受けたとお話ししていましたが、本作でも意識した映画はありますか?

呉:本作を書くきっかけとなった『テロリストのパラソル』はドラマ化もされていますし、もちろんそのイメージはありましたが、特に意識した作品はホラー映画の『IT(イット)』ですね。ペニーワイズによって引き起こされた悲劇があって、子どもたち(本作では高校生たち)が何かしらの傷を負わされ、バラバラになり、成長して再び集結する。ちゃんと映画を見たわけではないのですが、その構成は物語の主軸として参考にしました。悲劇に対する落とし前をつけるあたりも含め、思ったより意識した気がします。あと、似た構造の映画で『スリーパーズ』も頭にありました。これも昔から大好きな作品です。若きブラッド・ピッドの演技がちょっとチャラいとこだけ気になるけど(笑)。ちょうど執筆時期に見たのは『スウィート ヒアアフター』。カナダの、スクールバスが転落する話から始まる作品で、内容的には全然違うのですが、僕が青森の出身だからなのか、雪の中で人が死ぬという悲劇は、映像面において非常にしっくりきましたね。

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