加藤シゲアキ『オルタネート』が問う、SNS時代の人間関係 マッチングアプリは青春をどう塗り変える?

 ここまで来て、園芸部のダイキの重要性が見えてくる。植物を育てるダイキこそ、本作のテーマのキーを握る存在だからだ。作中、ダイキはマリーゴールドに触れつつ、凪津に「コンパニオンプランツ」について説明をする。「一緒に育てると、良い影響を与える組み合わせのことだよ」と。本作のテーマが「育つ」ことだとすれば、何気ないこの場面はとても大事だ。つまり、「育つためには誰かが必要だ」ということだ。自分を確かなものにするためにこそ、自分以外の存在が必要なのだ。ダイキは、他者こそが自分を確かなものにすることを教えてくれている。

 ところで、SNS以降の人間関係を強烈に生きているのもまた、ダイキだった。同性愛者のダイキ(「にべもなく、よるべもなく」のケイスケを思い出す)は、友人である蓉にはなかなかカミングアウトできなかった一方、「オルタネートでは(カミングアウトが)できるんだ」と言う。そして、オルタネートで知り合った恋人の日枝ランディと一緒に動画を投稿している。ランディとの動画でちょっとした有名人になっているダイキは、他人の視線を浴びながら学校生活を過ごしている。

 ここからは筆者の勝手な思い込みなのだが、他人の視線を織り込みながら、どこか生きづらそうにしつつ、しかしまっすぐに生きているダイキに、作者である加藤シゲアキの姿を見てしまう。筆者は以前、「演じる自分と演じられる自分の区別が曖昧になっていく」芸能人のありかたとともに加藤シゲアキを論じたことがあった(「ワイルドサイドを歩け――加藤シゲアキ論」『ユリイカ』2019.11)。友人にはカミングアウトできないがSNS上ではカミングアウトできる、というダイキは、もはや「演じる自分/演じられる自分」があやふやになっている。

 とは言え、SNS以降を生きるわたしたちは、少なからずそのようなあやふやさを抱えて生きているのかもしれない。オンラインとオフラインが折り重なった複雑すぎる人間関係が取り巻く世界。わたしは誰とつながっていて誰とつながれていないのか。複雑するぎる世界でもがきながら、それでも確かな自分を見出そうとする『オルタネート』の人物たちに、遠くシゲの姿を重ねつつ、いち読者として共感してしまう。

――どこかで生きてる誰かに悩んで/どこかで生きてる誰かに頼って/どこかで生きてる俺も誰かでどうすりゃいいの(加藤シゲアキ「世界」)

■矢野利裕(やの・としひろ)
1983年、東京都生まれ。批評家、ライター、DJ、イラスト。東京学芸大学大学院修士課程修了。2014年「自分ならざる者を精一杯に生きる――町田康論」で第57回群像新人文学賞評論部門優秀作受賞。近著に『SMAPは終わらない 国民的グループが乗り越える「社会のしがらみ」 』(垣内出版)、『ジャニーズと日本』(講談社現代新書)、共著に、大谷能生・速水健朗・矢野利裕『ジャニ研!』(原書房)、宇佐美毅・千田洋幸編『村上春樹と一九九〇年代』(おうふう)など。

■書籍情報
『オルタネート』
著者:加藤シゲアキ
出版社:新潮社
https://www.shinchosha.co.jp/alternate/

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