任侠BL『囀る鳥は羽ばたかない』過激な描写でも支持される理由とは? 矛盾に満ちたキャラの“人間味”

 あまりにも刺激的なBL漫画がある。『囀る鳥は羽ばたかない』だ。極道社会を舞台に、真誠会若頭の矢代(やしろ)とその付き人兼用心棒の百目鬼力(どうめき ちから)の変化していく関係を描いた作品だ。

 本作は一般常識が通用しない任侠モノとはいえ、暴力描写や性描写に手加減はなく、重く苦しい表現が目立つ。

 あまりにも過激な描写は、読者から毛嫌いされることも多い。しかし本作は2020年2月時点でシリーズ累計150万部を突破、劇場アニメ化もされ、続編の製作も発表されるなど、その人気がBLジャンルの中でも確立されている。

 なぜ本作はこんなにも支持されているのだろうか。それはきっと、“矢代”という人間にどうしようもなく“人間味”を感じ、猛烈に惹かれるからだろう。

“変態”矢代を形成する壮絶な過去

 ドМで変態、淫乱——。矢代には、ヤクザのナンバー2とは別にこんな一面もある。その変態っぷりは、友人の行為を盗撮する、事務所で部下が見ている目の前で“致す”、といった突飛なことにも及ぶため、読み手からすると到底理解しがたい人物のようにも見える。

 こんな彼のどこに人間味を感じるのか。それは彼が「自己矛盾」に苦しみ続けているところにある。

 「セックスなしでは生きられない」と言い、一方的に欲と痛みをぶつけられるセックスに明け暮れてきた矢代。実は彼がこうなったのにはきっかけがある。それは子どものころに母親の再婚相手から受けた性的な暴力だ。あまりにも理不尽な暴力のせいで大きな傷を負ったにも関わらず、彼を助けてくれる人も環境も周りにはなかった。そのため彼は、痛みや苦しみを「自分から望んだこと」として受け入れるようになる。つまり相手からの一方通行の痛みを伴う性行為を快楽として認識することで、自分を保ってきたというわけだ。

 この背景を知って、彼のことを“ただの変態”だと思う人はきっと少ないだろう。

矢代がずっと心に秘めている宝物

 “ただの変態”であろうと努める矢代だが実は、高校からの友人である影山(かげやま)に、密かに想いを寄せている。その度合いは「“人間”に惚れたのは後にも先にも一度だけ」というくらいの一途さで、想いをぶつけて拒否されるのを恐れてしまうくらいの片想いっぷりだ。

 極道とカタギ。本来であれば距離を置くべき関係だろう。矢代自身も日陰者となった自分の存在を影山の中でなかったことにしてもいいと言っている。ただそう言い放った矢代に怒りを向けた影山とは、なんだかんだでずっと腐れ縁が続いている。

 また矢代は影山に想いを伝えてはいないものの、実質ふられている。高校時代に影山から「親友として大事に思っている」と言われたからだ。しかもBLにおけるハードルになりやすい「男同士」という理由も取っ払われている。影山が矢代お気に入りのチンピラである久我(くが)と恋仲になるからだ。矢代は、自分が男だからではなく単純に“恋人としては考えてももらえていない”という事実に、打ちのめされることとなる。

 報われない想いを持つ苦しみを知った矢代は、ますますセックスに依存していくしかなくなったのではないだろうか。その一方で影山の存在は、矢代が誰かを想うことのできる証でもあるため、その“美しい苦しみ”にしがみついている部分もある気がする。

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