山崎ナオコーラが考える、性差のない未来 「父親も本当はおっぱいから乳を出したいんだろうな」

 『人のセックスを笑うな』で純文学作家デビューし、『母ではなくて、親になる』『ブスの自信の持ち方』『反人生』など、数々の話題作を発表し続けている作家・山崎ナオコーラの新作『肉体のジェンダーを笑うな』は、父の胸から「父乳」が出たら子育ての形はどう変わるかを描いた「父乳の夢」、ロボット技術で妻が怪力になった夫婦を描いた「笑顔と筋肉ロボット」など全4編を収めた想像力豊かな小説集だ。

 「時代が進むことによって悩みが解決していく物語にした」と語り、性差が減った未来をユーモラスに描いた本作に、山崎ナオコーラはどんな思いを込めたのか。(編集部)

母親である私が書くことで、意味のある作品になった

――新刊『肉体のジェンダーを笑うな』に所収されている「父乳の夢」は、男性の胸からお乳が出るようになる近未来を描いていますが、どういうきっかけでこの設定は思いつかれたんですか?

山崎ナオコーラ(以下、山崎):この小説を書いたとき、私がまさに、生後二か月の子どもに授乳中だったんです。ときどきはミルクもあげていたんですけど、そういうとき子どもの父親が嬉々として作っているのを見て、本当は自分もおっぱいから乳を出したいんだろうなあと感じたんですよね。私が「ミルクはこうやってつくるんだよ」とか「オムツはこうして替えるんだよ」って先輩きどりで教えたときに傷ついたような顔をしたのを見て、親としてのプライドがあるんだな、というのも伝わってきた。世の中、父親が育児に参加しない愚痴や批判で溢れている気がしていたけれど、意欲の問題というよりは、肉体の壁とか労働時間が長すぎるとかっていう物理的な障害のほうが大きいんじゃないかな、と思ったんです。

――「父乳の夢」の主人公・哲夫も、育児に参加する意欲はめちゃくちゃあるけど、授乳ができないことや、あたりまえのように“母子手帳”と書かれていることに傷ついていますね。

山崎:友人知人の話を聞いていても、参加意欲のない父親ってあまりいなくて、むしろみんな本当はもっと参加したいと思っているんですよ。医療技術によってどちらの性別も授乳できるようになった世界でなら、仕事をしたい妻のかわりに父親が働き方を変えることだって、きっとできる。父親の立場で書くと自己弁護のように映ってしまうかもしれないけれど、母親である私が書くことで、意味のある作品になるんじゃないかなあ、と思いました。

――出産が、家族のなかで代々続いてきたものとして語られるのを聞いて、〈祖母や母親たち、同性だけで手を繋いで、異性を追い出す排他的な空気を作ったのではないか。「仲間に入れてくれ!」と哲夫は叫びたかった〉と、哲夫が寂しくなる場面が印象的でした。

山崎:家族に限らず、世代を超えて女性同士が連帯することを是とする最近の風潮は、とてもいいことだと思うんですけど、同じ属性の人としか連帯できないのもさみしいなあと思っていて。父親と母親でわけるのではなく、ただの親として繋がったっていいわけだし、親じゃない人とつながって育児することもできるかもしれない。もちろん、同じ属性同士で結束することも時には必要かもしれないけれど、本当は手を差し伸べたいと思っているのに属性がちがうせいで入れずにいる人がいるかもしれない、という視点は忘れないでおきたいですね。

――連帯って、むずかしいですよね。同調とは、ちょっとちがう。3編目「キラキラPMS(または、波乗り太郎)」では、理解教というのが出てきます。念仏は「わかるよ」。教義は、周りの人に「わかるよ」と言ってあげること。

山崎:よく言うじゃないですか。会話のコツとして「話を聞いてほしいだけなんだ」とか「否定せずにわかるよって言ってあげるのがいい」とか。そのセオリーみたいなのがあまりに蔓延して、宗教みたいだな……って思っちゃったんですよね。

――主人公の太郎がパートナーになんでもかんでも「わかるよ、わかるよ」「うん、うん、うん」と言っているのを読んで、「わかってないのにうなずくんじゃない!」って思いました(笑)。

山崎:でもそれもまた、わかる人同士でしか繋がれない、みたいなことに通じるのかなあと。たとえば流産したとき、私はそのことについて誰かと話したいと思ったんですけど、ネットで調べてみると「そういう話は流産経験者としかわかりあえないし、そもそもするべきではない、相手に気を遣わせるし、傷つくことを言われたりもするから」という意見が常識のように語られていた。

――たしかに、タブーとして扱われがちな話題ですね。

山崎:学生時代からの性別の違う友人に話したとき、確かに「流産の手術っていわゆる堕胎と同じなの?」とか聞かれて傷ついたんですけど……。そこで会話をやめるのではなく、「そうなんだけど、こういうことがあって」と普通に返すことができて、最終的に友達は、私が望むような理解をしてくれました。そのとき、話せてよかったなと思ったんですよね。あくまで私の場合は、ですけど、どうせわかってもらえないからと会話を諦めてしまうのは、すごくもったいないことなんじゃないかなあ、と。「わかるよ、わかるよ」と言いあえる者同士だけで労わりあって連帯し、わかってくれない敵に対抗していくという構図が、私にはなんとなく生きづらいんですよね。自分とはちがう属性の人とも、最初はなかなか会話が成立しづらい人とも、繋がっていきたいという想いがたぶん、私のなかにはあるんだと思います。

――犬山紙子さんとの対談(https://www.bookbang.jp/review/article/649377)で、「この作品に出てくる夫婦は、受け入れるためにたくさん対話をする」という指摘がありましたが、どの夫婦もけっこうすれ違っているし、相手にひどいことを言ったりするじゃないですか。でも、ちっちゃく傷つけあいながらも、完全にわかりあうことができなくても対話を重ねていく、というのがともに生きていくためには必要なんだろうな、というのは読んでいて感じました。

山崎:そうですね。収録されている4編は、私自身の状況とも重なってどれも育児中のお話になりましたが、育児中って本当に他人からあれこれ言われるんですよ。「帝王切開ではなく、頑張ってちゃんと産んだほうがいい」とか「粉ミルクじゃなくて母乳のほうが」とか、年配の方に言われて傷ついたという体験談もよく聞きました。でも私は、言われてもいいんじゃないの?って思っていて。単に、この方は帝王切開じゃない産み方をして楽しかったんだなとか、この方は授乳を頑張ったんだなとか思えばいい。真に受けなきゃいいだけだな、って。

――「父乳の夢」で、哲夫のパートナーである今日子も同じことを言っていますね。「武勇伝は、語りたいものでしょ。語りたい人がいたら、聞いてあげる人もいなくちゃ」と。

山崎:お話として聞いてあげたらいいんじゃないかと思います。ああ、あなたはそういう物語なんですね、私はあなたのとは違って粉ミルク物語なんです、みたいに。心が耐えられないほど傷ついてしまう場合は距離をとるのも必要ですが、「私は違うんですよ」って思うようにしているだけで乗り越えられるものはあるんじゃないかな、と。シャッターを下ろして断絶するのもひとつの手なら、断絶しないで対話しようとする手があってもいい。少なくとも私は後者の方向で作品をつくりたいと思っています。

――ナオコーラさんが育児中だったことが影響しているのだと思いますが、とくに「父乳の夢」の夢は赤ちゃんの描写がかわいくて。子どもを育てるってこんなにも楽しくていとおしいものなんだな、って感じました。

山崎:そう思ってもらえたならすごく嬉しいです。授乳している時期って、なかなか映画に行ったり長い小説を読んだりできないからつまんないなあとも思うんですけど、実は赤ちゃんそのものがエンターテインメントなんですよね。起承転結ある出来事がわりと頻繁に起きたりして、日々に物語性を見出すことができる。文学に触れていなくてもそこには確かに文学があるんだ!ということを、半分悔しまぎれに(笑)、作品にしたいと思いました。

――授乳することで赤ちゃんとの一体感を味わった哲夫は、だんだん自分と赤ちゃんの境目がわからなくなっていきます。だけど「薫ちゃんは日に日に僕と距離を取るようになるよね。(略)やがて僕は、仕事なり趣味なりで、自分の人生を生きなければならなくなるんだろうな」と気づく場面に、親子と言えども別の人間なんだという思いも感じました。

山崎:文学でもマンガでも、物語における親子って“続いていくもの”として扱われがち。母の願いを娘が叶えるとか、父親の仇を息子が討つとか。神話なんて各国そういうものだらけだから、もしかしたら、人間の脳がそう解釈するようにできているのかもしれないけれど、ちょっとやりすぎだよなあって思っていたんです。おっしゃるとおり、親子とはいえ別の人間であるはずなのに、血が繋がっているというだけでまるで同じキャラクターのように扱われる。あるいは、リンクしているものとされてしまう。でも、親と子供が同化してしまうのはとても危険なことだし、私は親の物語を受け継ぎたくもなければ、子供に継いでほしくもない。社会が発展していくためにも、親子の区切りはちゃんとつけたほうがいいと思うんですよね。

――今日子の言う「結婚に主人公が耐えられない」という話はものすごく印象的でした。結婚もしくは関係の破綻でたいていの物語は終わってしまい、その後を続けて語ろうとすると、なにがしかの“受け継ぐ”話になってしまうと。

山崎:今回は今日子が語るにとどめましたけど、いずれそこを主題にした話も書いてみたいなと思っています。連帯の話にもつながりますが、家族じゃない人ともつながるために人は社会を発展させてきたはず。それなのに、親子の絆をあまりに強固にとらえて、家族の一体感をあおるような話を聞くと、なんのために社会をつくっているんだろう、って思ってしまいます。

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