はらだ有彩の『持続可能な魂の利用』評:おい、お前だよ、次はそこで笑ってるお前が書くんだよ、『持続可能な魂の利用』の続編を

 「持続可能な魂の利用」があれば、「持続可能でない魂の利用」もある。

 魂がすり減って、いつかライフゲージがゼロになって、残機もゼロになって、倒れて、力尽きることがそうだ。人が個人で、ひとりの裁量で戦いに身を置くことがそうだ。

 シスターフッドが叫ばれて久しい。シスターフッドとは共感なのか? 共鳴なのか? そうやって「シスター」の名のもとに慮る行為を終結させることそのものが、シスター=姉妹=女を再定義してしまっていないか?

 いやいや、でもやっぱり名前がなかった今までに比べたら、「シスターフッド」という言葉を使える現在は呼吸が楽になったのも事実ではないか? 今は厳密な分類をひとまず置いておいて、ダイナミズムをどかーんと起こして世界をひっくり返した方がいいのではないか?

 そんな議論が今日もあちこちで起こっている。その議論が亀裂に変わり、戦いに変わり、体力を削り合う愉快なシーンが来ないかと笑いながら待っている者もいる。

 私はシスターフッドとは、というか(精神的ネイバーフッドを実現するためのシスター)フッドとは、サステナブルな体系のことだと思っている。「というか(精神的ネイバーフッドを実現するためのシスター)フッドとは」と書いたのは、「ヒューマニズム」を実現するために今はまだ「フェミニズム」が必要という状況であることを断っておくためだ。

 どこかで誰かがレポートを書いてくれている。自分の行動にインスピレーションを受ける人がいる。自分の働きが駒を進め、誰かがもう一度同じことで苦しまなくて済む。

 それは、例えば明日自分が会社を休んでも、たぶん誰かがちゃんと「進めておいて」くれるはずだと私にもあの子にも漠然と力強く認識できているから、40度の高熱を押して出社しなくてもいいことに似ているかもしれない。

 で、未来である。

 可能な限り持続して、我々はどの未来へ向かうのかという話である。

 この本では、「あれ? 案外、やってられたんだっけ?」が実は気のせいで、本当には「やってられねえ」状況であることが浮き彫りになった。この本の結末は、持続しているようで持続していないとも言える。

 だいたい、別に、ぶっちゃけ、滅んでもいいのだ。自分の魂をすり減らして世界の犠牲になるくらいなら、自分の魂を優先して、世界が滅んでいくのを眺めていたっていいのだ。それでもやっていってやろうと思うから、こんなにも藻掻いて泳いでいるのだ。息ができる小さな陸を探して。

 そしてそれでも「やっていこう」と一念発起するのは、少女たちだけではない。女性だけではない。

 この次の未来に、人類は【少女が見えなくなった「おじさん」の話】を書かなければならない。例えば、雑誌『ユリイカ』(青土社)2020年9月号で「女オタク」特集をやったのなら、今まで見えないことにされてきた「女オタク」を可視化したのであれば、その次に「女オタクを排除してきてしまった側」の現状把握と成長を書かなければならないはずであるように。そして【少女が見えなくなった「おじさん」の話】の書き手は、松田青子さんである必要はない。当然だが、「必要がない」というのは、「松田青子さんに書けない」という意味では全くない。あはは、言うまでもないが。

 おい、お前だよ。お前が書くんだよ、お前がやるんだよ。

 次はそこで笑ってる「おじさん」、お前が書くんだよ。

 そういう意味だ。

 それが持続可能な世界の利用なのである。

■書籍情報
『持続可能な魂の利用』
松田 青子 著
価格:¥1,650
出版社:中央公論新社

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