『コロコロコミック』はなぜ子どもたちを魅了し続ける? 飯田一史が語る、「子どもの本」市場の変遷
メディアミックスの効能
――本書の指摘で、メディアやコンテンツにとって重要なのは、いかにしてユーザーの生活の中に組み込まれるかだというものがありました。メディアミックスもまた、そのために有効な手段であると。
飯田:深夜アニメがアニメの主流になってしまった今となっては実感しづらくなっていますが、かつてテレビアニメ化が原作マンガにとって大きな影響力を持ち得たのは、視聴者の子ども・若者の生活の中に毎週「アニメを観る時間」として組み込まれたからです。毎週毎週、その作品のことがリマインダされる。しかも昔のアニメは今みたいに1クールじゃなくて1年くらい平気でやる。だからこそみんなで共有できる娯楽として広まった。
本にしろ雑誌にしろ自立したメディアではありますが、その時代時代の子どもに対して強い影響力を持つメディアとうまく組む、ないし取り込むことで、波及力をブーストできる。たとえば50年代なら街頭紙芝居、60年代以降はテレビ、80年代にはゲームが、近年ではYouTubeが加わった。80年代から90年代にかけて児童書が影響力を失い、しかし対照的にマンガが伸長したのは、力を持つメディアとの関係性構築の成否が大きかった。
――実際、最近の『コロコロコミック』は「コロコロチャンネル」というYouTubeチャンネルを立ち上げるなど、新しいメディアとの連携に積極的ですね。
飯田:出版業界人はゲームや映像、ネットに対して「どうやって可処分時間の奪い合いに勝つか」という捉え方をしがちですが、『コロコロ』の発想は「全部と組めばいい」「ハブになればいい」。子どもは思いついたもの、興味のあるものにすぐ飛びつきますから、とにかく接点を増やす、全部取り込むほうが結局マンガのことも知ってもらえて、見てもらえる。
ーーたしかに、Webサイトでも人々の生活に根ざしているNHKの朝ドラの記事はよく読まれます。漫画やアニメやゲームとの連携について、大人は「けしからん」と思うかもしれませんが、しかし本書を読むと、例えば70年代頃に生まれた『大きなかぶ』や『ぐりとぐら』といった創作絵本も当時は「けしからん」と思われていた節があって面白かったです。
飯田:福音館書店や岩波書店が日本人の絵描きや作家を起用した創作絵本をはじめた最初期には、世界名作全集を子ども向けに再話したものなんかが「正しい絵本」みたいな価値観があったようで、当時の「良識ある大人」から反発されたと。海外の創作絵本に倣って判型を大きく、かつ横書きにしたら「こんなの棚に入らない」と書店から批判され、「国語の教科書は縦書きなのに、なぜ絵本が横書きなんだ」と学校の先生からクソミソに言われたと松居直氏の本にあります。でも今『ぐりとぐら』を叩く人はいないですよね。新奇なものはつねに否定され、しかし、時代が下っても残れば扱いはポジティブなものに変わるんです。
――むしろ名作として残っていますね。私は子どもの頃、中川李枝子さんの『いやいやえん』が好きで読んでいたのですが、何が面白いかというと、主人公のしげるの行動があまりにもバカバカしくて笑えたんですよね。『おぼっちゃまくん』や『クレヨンしんちゃん』みたいな感じで、どちらも当時は大人たちから散々に叩かれた作品だと思いますが、その意味では子どもが好むコンテンツの内容は普遍的なところがあるのかなと思います。
飯田:そのコンテンツが教育的な内容か否かは子どもにとってどうでもいいことで、主人公が自由に好き放題やっている方が魅力的に映る。『ノンタン』もそうだし、『長くつ下のピッピ』なんて小さな女の子なのにめちゃくちゃ金持ちで大人より力も強くて、“なろう系”の一部の主人公並みにチートです(笑)。『かいけつゾロリ』だって、ゾロリが真面目なキャラクターだったら、子どもたちはこれほど愛していなかったはずです。