『鬼滅の刃』剣の天才・時透無一郎が証明した“血の繋がりよりも大事なもの” 

 ここ半年ほど、リアルサウンド ブックで不定期で書かせてもらっている『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴)のキャラクター評だが、今回は長髪の美少年剣士――時透無一郎を採り上げたいと思う。

血のつながりよりも強いもの

※以下、ネタバレあり

 時透無一郎は、14歳の小柄な少年だが、修行を始めてわずか2カ月で鬼殺隊剣士の最高位――「柱」にまでのぼりつめたという剣の天才である。「霞の呼吸」を極めた「霞柱」である彼は、物語初登場時(単行本6巻)からしばらくのあいだは、何を考えているのかわからないような、冷たい印象を読者に与えることだろう。だがそれにはそれなりのわけがあり、無一郎は、かつて双子の兄(有一郎)を鬼に殺され、自らも瀕死の重傷を負ったためにショックで記憶を失っているのだ。さらにその後遺症だろうか、鬼殺隊入隊後も、新しく経験したことを次から次へとすぐに忘れてしまうらしい。

『鬼滅の刃(14)』表紙

 これはなかなか難しいキャラクター設定であるといえるだろう。なぜならば、単なる記憶喪失ならまだしも、現在進行形で次々と記憶をなくしていくというキャラが、どうやって鬼殺隊の剣士の仕事を継続できるというのだろうか。それ以前に、日常生活すらままならないのではないのか。だが、この問題(?)については、実は、作者は一応論理的だといっていいような説明を14巻で暗にしており、それによると、「記憶を失っても、“怒り”は体が覚えている」ということである。つまり、日々経験する瑣末(さまつ)なことは忘れてしまうが、鬼を殺すために必要な情報だけは忘れない、ということだろう。だから彼は、「お館様」を敬う気持ちや鬼殺隊の使命、そして、「霞の呼吸」や日々鍛錬して身につけた剣技を忘れることはないのだ。

 それゆえに、つまり、鬼を殺すこと(=兄の復讐)にしか関心がないために、無一郎はどこかクールな(よくいえば合理的な)印象をまわりに与えてしまっているのだが、やがて、刀鍛冶の隠れ里で主人公の竈門炭治郎から“人を想う気持ち”を教わったことで、その性格は大きく変わっていく。というよりも、隠れ里を急襲した上弦の鬼との戦いの最中に、彼は失われた記憶(=自分)を取り戻し、さらには剣士としてひと回りもふた回りも大きく成長するのだった(そして炭治郎がいっていたことが、かつて亡父がいっていたことと同じだということも思い出す)。

 この、「成長する余地がまだある(あった)」というところが、時透無一郎の魅力を、他の「柱」たちのそれとはまたひと味違うものにしているのは間違いないだろう。なぜならば、他の「柱」たちの多くは人間としても剣士としてもすでに成熟しており、彼(彼女)らが炭治郎のがんばりを見て何かに気づかされることはあっても、それは成長ではあるまい。ところが、無一郎にはまだ、「主人公と共に成長する」という“伸びしろ”があった。これは少年漫画のヒーローとして、極めて重要な要素のひとつである。要するに、(よりわかりやすくいえば)無一郎が自分を取り戻した瞬間から、読者はみな彼のことを応援せざるをえないだろう、ということだ(それを「キャラが立つ」といいかえてもいい)。

 さて、この時透無一郎だが、物語が進むにつれ、実は上弦の壱・黒死牟の子孫だったということがわかる。黒死牟は、もともと「月の呼吸」を使う鬼狩りのひとりでありながら、自らの心の闇(と鬼舞辻󠄀無惨の悪魔の囁き)に負けて鬼になった戦国時代の剣士である。

 「継承」がある種のテーマである本作において、このふたりのキャラクター設定は何を意味するのだろうか。それはたぶん、この世には血のつながりよりも強いものがある、ということではないだろうか。その証拠に、鬼殺隊と上弦の鬼との最終決戦の場になった無限城の一角で、無一郎は黒死牟に冷たくこう言い放つ。「何百年も経ってたら お前の血も細胞も 俺の中には ひとかけらも残ってないよ」。だから、俺はあくまでも鬼殺隊の一員として、先人たちから受け継いだ技をもって、人に害をなすお前を倒す、というわけだ。

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