名作漫画の遺伝子
『映像研』のルーツ? 細野不二彦の80年代映研漫画『あどりぶシネ倶楽部』が伝える普遍的な想い
若き日の細野にしか描けなかったもの
ちなみに、全9話のいずれもが傑作だといっていいが、特にお薦めしたいのは第3話の『面影』である。この回で「あどりぶシネ倶楽部」は、大学の外で初の上映会を開こうとするのだが、その作品の選出に神野は不満があった。片桐が選んだ作品の中に、『舞子・MY・LOVE』が含まれていたからだ。実は同作のヒロインに神野は以前ふられているのだが、本人としてはそのことはあまり関係なく、どちらかといえば「あれよりほかに、まだマシなフィルムがあるってのに」というのが反対の理由らしい。
そんな神野は、久しぶりに街で「舞子」(本名は麻衣)と再会する。そして今度はなぜかふたりの関係はうまくいきそうになるのだが――というのがこの回の大きな流れだが、物語のラスト、ある騒動に巻き込まれた神野が顔に傷を作って(この様子から彼の恋がどうなったかは想像されたい)上映会の会場を訪れた時、ちょうどかかっていたのは『舞子・MY・LOVE』だった。
神野に何があったのか知らない片桐は、彼に優しくこう語りかける(注・片桐は男性キャラだが、いわゆるオネエ言葉で喋る)。
「こういう場所に足を運ぶ人達にはわかるはずよ………。どうせ映画撮るならと、かわいい娘(こ)を探してくる………。映画に出す! カメラを回す! その娘の魅力をもらさずフィルムに焼きつけようとして――いよいよその娘がかわいく見えてきてしまう。口説く――で、フラれる――」
そういう若さゆえのさまざまな熱い“想い”が、『舞子・MY・LOVE』には溢れているのだと片桐は続ける。だからプロデューサーとしては、この映画をプログラムから外すわけにはいかなかったのだ。そして神野もまた、その映像をあらためて観て、たしかに色褪せない“想い”がフィルムに刻まれているのを知る。これはひとつの秀逸な「映画論」であると同時に、この『あどりぶシネ倶楽部』という作品自体の批評にもなってはいないだろうか。
そう、本作はいまや「名匠」の名をほしいままにしている細野にとっては、過去の習作のひとつにすぎないかもしれない。だが、“あの頃”の――すなわち、少年漫画から青年漫画へ移行しようとしていた、若き日の細野にしか描けなかった“迷い”や“希望”が刻み込まれてもいるのもまぎれもない事実だ。そしてそういう青春時代の“想い”というものは、時代が変わってもそれほど変わるものではないだろう。だからこの『あどりぶシネ倶楽部』という作品は、80年代と比べ、漫画や映画の表現が著しく進化したいまの感覚で読んだとしても、きっと若い読者たちに、普遍的な感動や共感を与えてくれるはずだと信じている。
※ 現在、『あどりぶシネ倶楽部』は電子書籍のみが入手可能。ただし、『漫画家本vol.9 細野不二彦本』に第1話が再録されている(筆者)
■島田一志
1969年生まれ。ライター、編集者。『九龍』元編集長。近年では小学館の『漫画家本』シリーズを企画。著書・共著に『ワルの漫画術』『漫画家、映画を語る。』『マンガの現在地!』などがある。@kazzshi69
■書籍情報
『あどりぶシネ倶楽部』
細野不二彦 著
価格:税込605円(電子版)
出版社:小学館
公式サイト