『フルーツバスケット』本田透が教えてくれた、人を愛することの意味 

 夾が憑りつかれているのは、猫の物の怪。猫はねずみに騙されて宴会に参加できなかったはぐれ者だ。おとぎ話と同じように、「猫」である夾は草摩家の物の怪憑きの中でもさらに蔑まれ、のけ者にされている。

 そんな生い立ちゆえに、人一倍劣等感が激しく、すべてを憎んでいるような夾。彼の硬い殻を、透はゆっくりとひとつひとつはぎ取っていく。そこに残るのは、少し人見知りだけど、慣れれば人を惹きつける魅力を持った、ただの男の子だった。

 自然と惹かれあっていく二人。だがここで、透を守ってきたはずの「好き」という感情が障害となって立ちはだかる。それは、「母を忘れていく」ことへの恐怖と、罪悪感だった。

 亡くなってからもずっと「お母さんのために」「お母さんが一番」と言い聞かせて自分を支えてきた透にとって、夾を好きになって、優先順位が変わってしまうことは、母への裏切りのように思えたのだ。

 そんな透の葛藤を打ち破ったのは、クライマックスシーンでの草摩家当主・慊人との対峙だ。慊人は十二支の物語における「神様」にあたる人物で、由希や夾たち十二支を縛り、苦しめてきた元凶でもある。けれど、徐々に呪いが解けていくことで、慊人は逆に置いていかれる側になる。そんな慊人の姿が、透には薄れる母の思い出に重なっていく。

“変わっていく事が生きていく事なら、なんて残酷な優しさだろう”

 生きることは変わること。それは寂しいことかもしれないけれど、それを乗り越えて、透は前に進むことを決意する。自分の、夾への想いを受け入れて。

 その言葉はあまりにも透らしく、強い。

“大好きです、夾君”

“それはとっても、無敵です”

 「好き」は循環する。空っぽの状態から自分一人で生み出すのは難しくても、誰か一人からでも与えられたことのある人は、それをちゃんと持っている。持っている人は、別の誰かにもそれを渡すことができる。今日子から透がもらい、夾に、由希に、慊人たちに与えていったように。

 愛が欠けて停滞していた人たちに、透は「好き」を注ぎ続けて緩やかに循環させていった。その愛情は今もなお、物語を読み返すたび、読者である私たちにも差し出されているのだ。

■満島エリオ
ライター。 音楽を中心に漫画、アニメ、小説等のエンタメ系記事を執筆。rockinon.comなどに寄稿。
Twitter(@erio0129

■書籍情報
『フルーツバスケット』愛蔵版 全12巻
著者:高屋奈月
出版社:株式会社白泉社
白泉社『フルーツバスケット』サイト

『フルーツバスケットanother』1~3巻
著者:高屋奈月
出版社:株式会社白泉社
掲載:マンガPark(https://manga-park.com/title/109

関連記事