『ONE PIECE』麦わら海賊団にブルックが必要な理由とは? 今こそ見直したい、その存在意義
先に述べたように、絵と文字だけでは、音楽家である彼の必要性はほかのメンバーと異なり、なかなか立証するのが難しいところだ。けれども、何よりもここに、“マンガを読む”という行為における想像の余白があることを忘れてはならないだろう。私たちが試されるのは、想像力だ。“麦わらの一味”は楽しいひととき、どんな音楽を耳にしているのだろう? ひるがえって私たちの社会において、とある音楽家はどのような音楽を人前で奏でたいと願い、その音楽家のファンはどのような音楽を欲しているのだろうか? 私たちの実生活でも求められているのは、やはり想像力だ。
ところでブルックは、一味の中でも少々“おふざけ”が過ぎるキャラクターでもある。彼の節操のない言動は、「ブルック不要論」を後押しする可能性もあるだろうし、さらには一味にとって、“音楽=不要なもの”と印象づける助けにもなってしまいそう。しかしだ、“おふざけ”ができる環境というのは、極めて健全で豊かなことではないだろうか。この“おふざけ”とは、“アソビ(=物事にゆとりのあること)”とも言い換えることができる。ひいてはそれは現在の環境下で、“不要不急”とされているものをも指すだろう。私たちを取り巻く環境においても、製造業、運送業、サービス業はもちろん優先すべき重要なものだが、“不要不急”なものを良しとし、認めることが目指すべき社会なのではないだろうか? アソビの多い、愉快な“ルフィ海賊団”を見ていれば明らかだ。その先に見えてくるのは、“寛容さ”である。
最後に、ブルックが音楽家にして、“ヨミヨミの実の能力者”であることに触れておきたい。これは、死んでも一度だけ蘇生することができるというもの。この能力を使った結果が、肉体を欠いたガイコツの姿なわけだ。ところでこの“ヨミヨミ”とは、とうぜん“よみがえる”の“ヨミ”を意味するのだろうが、“黄泉”とも読むことができる。黄泉とはもちろん、死んだ者の行き先、つまり“あの世”だ。音楽というものは、いつまでも残り続けるものである。その作曲者が、たとえ亡くなってもだ。そしてその音楽は、世に知られる名曲だとはかぎらない。幼い頃に耳にした、私やあなたにとっての、誰かの懐かしき鼻唄かもしれないのだ。ブルックの技に「鼻唄」があることは、非常に示唆的なものに思える。彼はこの、“どんな音楽でも、いつまでも残り続ける”という事実を、死してなお、体現している存在のように思えるのだ。
■折田侑駿
1990年生まれ。文筆家。主な守備範囲は、映画、演劇、俳優、服飾、酒場など。最も好きな監督は増村保造。Twitter