デスマッチファイター葛西純自伝『狂猿』
葛西純自伝連載『狂猿』第11回 ジャパニーズデスマッチの最先端、伊東竜二との対戦は……?
カミさんと抱き合って泣いた日
タイトルは二の次、とにかく伊東を追い込んで、そろそろ一騎打ちか、というムード高まっていた頃、俺っちの体に異変が起きた。
WWSという、ポーゴさん(ミスター・ポーゴ)がやっていた興行に出て、試合が終わって伊勢崎でメシを食って、電車で家に帰ってきた。疲れがひどくて、帰宅するなり寝た。真夜中になって猛烈に腹が痛くなってきて目が覚めた。脂汗流しながら寝ているカミさんを起こして「めっちゃ腹痛いんだけど」と言ったら、「夜中で病院もやってないから、明日朝起きてまだ痛かったら近所の内科に行ってきな」と諭された。「そういうレベルじゃねえんだけどな……」と思いながら、胃薬だけ飲んで寝ようとしたんだけど痛くて寝られない。
そのまま朝になって、カミさんに頼み込んで総合病院に連れてってもらった。受付に「どうにもこうにも腹が痛いのですぐに見てもらえないか」て言ったら、「順番がありますし、ちゃんと自分の足で歩けてるくらいだから大丈夫でしょ? しばらく待っていてください」と言われて、受付のベンチに横になりながら1時間くらい待っていた。ようやくお医者さんに診てもらえて、「ちょっとレントゲン撮ってみましょうか」と言われて撮ったら、「それじゃこっちも」みたいな感じでCTも、MRIも撮った。あれ、CTとかMRIなんて予約がないと撮れないんじゃないのかな、なんて思ってたら、検査しているうちに、どんどん医者や看護師さんが増えてきて、ただ事じゃない雰囲気になっていた。
検査が終わって、医者に呼ばれた。「結果から言えば、腸重積、腸閉塞(へいそく)。小腸に赤ん坊の拳ぐらいの腫瘍ができていて、その影響で虫垂炎も患っている。即入院で、即手術です」と告げられた。
一般的にこういう腫瘍は大腸にできることが多く、小腸というのはすごく珍しいケースだと説明された。
「最悪の場合、その腫瘍がガンの可能性もあります。とりあえず良性か悪性かは、腫瘍を取って調べない限りは分かりません……」。
俺っちはこんな風貌だけど、根はネガティブだから、医者にそう言われた途端に「これはガンだ。終わった」と思った。入院する病室へ連れて行かれて、看護士さんにベッドの用意してもらって、「では、お大事に」と言われて看護師さんがいなくなった瞬間、カミさんと抱き合って号泣した。「もう俺は先が無いかもしれないから、息子を頼む」ぐらいのことを言った。カミさんが帰ってしばらくしたら、病院へ来たときに対応してくれた受付の人が血相を変えて来て、「本当に申し訳ありませんでした。普通の人は、あんな痛みがある状態で自分の足で歩いて病院に来ないので……」と謝られた。俺っちは痛みに強いほうではないんだけど、痛みに慣れてしまうのもよくないな、と思った。
入院中は、さすがに伊東のこともデスマッチのことも考えなかったし、プロレスに対する気持ちもポーンと抜けた。生きるか死ぬかという心境だったし、どちらかといえば死を覚悟した。念願だったプロレスラーにもなれて、お客さんの前で試合をして、普通の人では経験できないことを散々やってきたから、ここで死んだとしてもいい人生だったな、と自分を納得させた。ただ、家族を残して先に逝くのは申し訳ないと思った。
結果的に、腫瘍は良性で、ガンではなかった。とはいえ、しばらくは静養しなくてはならない。
プロレスラーとしては「内臓疾患で長期欠場」という立場。お見舞いには大日本の選手も来てくれたし、珍しく登坂(栄児)さんも来てくれた。金村(キンタロー)さんは、『葛西純エイド興行』を開催してくれて「欠場中の生活費に充てろ」と、売上金を全部くれた。本当にありがたかった。欠場中に入ってきたお金はそれぐらいで、貯金はすぐに底を突いた。仕方ないので、買ったばかりで全然乗ってなかったステップワゴンを売って生活費の足しにした。
この頃は、タイミング的にもZERO1-MAXを辞めて、いちばんカネが無い頃だった。フリーとしてして大日本にあがりはじめたときも、それだけじゃ食えないからこっそりバイトもやっていた。倉庫の仕分け作業とか、パン工場で、イチゴのヘタを取ってショートケーキにひたすら置いていく作業とかもやった。どこかでプロレスファンが見ていたら嫌だなと思ったけど、生きてくためには仕方がない。それでもプロレスを辞めよう、という気持ちには全然ならなかった。欠場中に、さらにモチベーションは高まった。生きて、試合ができるんだから、ここから死にもの狂いでやってやる。デスマッチでのし上がって、有名になって、家族に一軒家を建ててやる。
ハングリー精神というより、「いつか見ていろ」という気持ちで復帰を目指していた。
■葛西純(かさい じゅん)
プロレスリングFREEDOMS所属。1974年9月9日生まれ。血液型=AB型、身長=173.5cm、体重=91.5kg。1998年8月23日、大阪・鶴見緑地花博公園広場、vs谷口剛司でデビュー。得意技はパールハーバースプラッシュ、垂直落下式リバースタイガードライバー、スティミュレイション。twitter
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