『流浪の月』が描く、人と人の濃密な関係性 4月期月間ベストセラー時評

気軽に他者と交流できない時代だからこそ、フィクションで満たしたい

 いま、真偽不明な情報が洪水のように押し寄せ、人を不安にさせ、感情的にさせている。そもそもヒトの認知は、フィルターバブルのせいで、先天的な遺伝によって、後天的な環境の影響で、それぞれに大きく違う。しかし、人間によって見えている世界は大きく異なることに気付き、「このひとにはどんな風に世界が見えていて、どうしてそんなことをするのか」に想いを巡らせることは難しい。表面的な情報と一方的な思い込みをもとに他人に感情をぶつけてしまうことは、人間である以上、避けられない。

 『流浪の月』では「知っているつもり」「わかったつもり」という他者からの浅薄な理解が人を追い詰め、「誰もわかってくれない」という孤独感を抱かせる過程を徹底して描く。読んでいて驚くのは、その無理解に苦しめられてきた主人公・更紗自身が、「知っているつもり」から逃れられていないことまで描く点だ。

 しかしそれを乗り越えて深く交流するなかで、自分の想像が及ばなかったこと、認識が間違っていた部分に気づき、相手の内面を理解する。人間には、そういうこともできる。

 気軽に他者と触れ合えなくなった今だからこそ、そういうレベルでのコミュニケーションを描いた作品に、私たちは飢えている。  

 たくさんのひとと浅くつながることが孤独を癒すのではない。たったひとりかふたりでも、得がたい経験を分かち合えた、心から信頼できる相手をもつことが安らぎをもたらす。そのことを『流浪の月』は示す。

 文と更紗の関係は「お互い近づいてはいけないけれど、そばにいたい。ひとりはこわい」というものだ。文や更紗とは違ったかたちで、私たちもこうした感覚に襲われていたはずだ。

 現実でこの課題を解決する方法はすぐにはないのだろうという不安と絶望を多くの人が感じていただろう2020年4月。少なくとも私は『流浪の月』をひとりで読んでいる間、濃密な人間関係を擬似的に体験し、社会的な存在としての飢餓感から癒されていた。

■飯田一史
取材・調査・執筆業。出版社にてカルチャー誌、小説の編集者を経て独立。コンテンツビジネスや出版産業、ネット文化、最近は児童書市場や読書推進施策に関心がある。著作に『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの? マンガアプリ以降のマンガビジネス大転換時代』『ウェブ小説の衝撃』など。出版業界紙「新文化」にて「子どもの本が売れる理由 知られざるFACT」(https://www.shinbunka.co.jp/rensai/kodomonohonlog.htm)、小説誌「小説すばる」にウェブ小説時評「書を捨てよ、ウェブへ出よう」連載中。グロービスMBA。

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