『鬼滅の刃』煉󠄁獄杏寿郎はもっとも重要なメンターだったーー命がけのメッセージが炭治郎たちに残したもの
古今東西の物語において、主人公がなんらかの壁にぶちあたった際に現われて助言や力を授けてくれる存在のことを「メンター」と呼ぶ。メンターは魔法や武術の奥義を極めた老人である場合が多いが、こうした主人公をさらなる高みへと導いてくれる賢者の役割については、神話学者ジョーゼフ・キャンベルの名著『千の顔をもつ英雄』に詳しい。ちなみに若き日のジョージ・ルーカスがキャンベルの研究を分析して『スター・ウォーズ』の構想を練ったというのはあまりにも有名な話だが、同作におけるメンターとは主人公ルーク・スカイウォーカーにジェダイの教えを授けるオビ=ワン・ケノービとヨーダのふたりにほかならない(さらにエピソードⅦ~Ⅸでは、ルークは新たな主人公レイのメンターとして彼女を導く存在になる)。
それでは、いま漫画界でもっともホットな作品だといっていい『鬼滅の刃』におけるメンターとはいったい誰なのか、という話を本稿ではしたい。
鬼殺隊屈指の剣士・煉󠄁獄杏寿郎
吾峠呼世晴の『鬼滅の刃』は、家族を鬼に惨殺された少年、竈門炭治郎が鬼狩りの組織「鬼殺隊」の剣士になって戦うバトルアクションである。敵の名は、鬼舞辻無惨。「最初の鬼」である彼の配下には、上弦の鬼と下弦の鬼で構成される「十二鬼月」と呼ばれる凶悪な鬼どもがひかえている。
※以下、ネタバレ注意。
まず、家族が惨殺された山中で、炭治郎は鬼殺隊剣士の最高位「柱」のひとりである冨岡義勇と出会い、彼の勧めで「育手」、すなわち剣士の育成者である鱗滝左近次の弟子となる。そしてその修行の過程で兄弟子の錆兎の霊からも剣術を教わる。とまあ、この段階(単行本でいえば1巻の終盤)ですでに炭治郎にとってのメンター的な存在は3人も登場しているわけだが、鬼殺隊入隊後も彼は当主の産屋敷耀哉や義勇以外の柱たちからもさまざまな教えを受けるのだった。そう、つまり、この『鬼滅の刃』という漫画は、誤解を恐れずにいわせてもらえば炭治郎にとってのメンターだらけの物語なのである。では、そんな本作に登場する数多いメンターたちの中で最大のメンターは誰か、という問いには、私は「炎柱」の煉󠄁獄杏寿郎をおいてほかにはいない、と答えたい。
鬼殺隊屈指の剣士である煉󠄁獄杏寿郎は、恵まれた天賦の才に溺れることなく日々の鍛錬を怠らない、「炎の呼吸」を代々伝えてきた名門・煉󠄁獄家の長男である。彼が物語に初登場するのは単行本の第6巻。溌剌としてまっすぐな心の持ち主である煉󠄁獄は、その段階では、炭治郎と鬼になってしまった妹の禰豆子、そして禰豆子が人を襲わない様子を見てあえて逃した義勇に対し、「鬼を庇うなど明らかな隊律違反! 鬼もろとも斬首する!」と冷たく突き放している。しかし、のちに人々を守るため血を流しながら戦う禰豆子の姿を見て、「命をかけて鬼と戦い、人を守る者は誰が何と言おうと鬼殺隊の一員だ」といって彼女の存在を認めるまでになる。
そしてこの煉󠄁獄といえば、すさまじいのは、上弦の鬼、猗窩座との死闘である。本作ではこののちも鬼殺隊と鬼たちの壮絶な戦いが繰り広げられていくが、そんななかでもこのふたりの戦いが特に印象に残るのは、憎い敵であるはずの猗窩座がある意味では清々しい戦い方をしていたからかもしれない。かつて人間だった頃には寡黙な武術家だった猗窩座は、卑怯な技はいっさい使わず、拳ひとつで煉獄の刀と向かい合うのだ。そして、かつての自分と同じような鍛え上げられた技と格闘家としての強い精神を持った煉獄にいう。人間は老いて死ぬ、だからお前も俺と同じように鬼になって至高の領域に踏み込めと。だが煉獄はその悪魔の囁きを即座にはねのけるのだった。「老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ。俺は如何なる理由があろうとも鬼にならない」
そして最終的に煉獄は猗窩座の拳を腹に受け、致命傷を負うが、やがて陽が昇ってきたために(注・鬼は陽光に弱い)勝敗はうやむやになる。ふたりの戦いをほとんど見ていることしかできなかった炭治郎は逃げる猗窩座を追いかけ、こう叫ぶ。「煉獄さんは負けてない!! 誰も死なせなかった!!」と。この段階で煉獄の教えは炭治郎に充分伝わっているといっていいが、命の火が消えてしまう前に煉獄は後輩を呼び寄せ、こういう。「胸を張って生きろ。己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと、心を燃やせ。歯を喰いしばって前を向け」