デスマッチファイター葛西純 自伝『狂猿』

葛西純自伝『狂猿』第4回 大日本プロレス入団、母と交わした「5年」の約束

母とした「5年」の約束

 テストのメニューもこなせたから、もう受かった気でいたんだけど、待てど暮らせど連絡がこない。そのまま2カ月くらい経っても連絡がこないから、事務所に電話して合否を聞いてみようかなと思ってた頃に、すごいタイミングで大日本プロレスが帯広に巡業に来ることがわかった。これは電話よりも、直接会場に行って聞くしかないな、と思って、とりあえずチケットを買って、帯広市総合体育館に向かったわけだよ。


 受付にグレート小鹿さんがいたから、恐る恐る「2ヶ月前に後楽園でテストを受けたものなんですけど……」って言ったら、小鹿さんがキョトンとしてね。これは話が伝わってないな、と思ってたら山川さんを呼んでくれた。奥から出てきた山川さんは、俺っちをみて「お前……あの時の……!」って顔をしてね。それで「結局、俺はどうなったんでしょうか」って聞いたら、山川さんが例の口調で「悪りぃな! 実は、お前の履歴書無くしちゃってな……連絡取れなかったんだよ。まぁ、合格だよ、合格!」と。この2カ月間は何だったんだとズッコケたけど、小鹿さんから「もう明日からでもいいぞ。オメェのタイミングで、布団担いで道場来い!」って言われて、それから1週間後くらいに上京。俺っちは大日本プロレスに入門して、寮生活を送ることになった。

 母親からは「5年やって目が出なかったら帰って来なさいよ」と言われてた。俺っちは23歳になってたけど、カラダは鍛えたからイケイケだったし、パワーだけなら誰にも負けないくらいの気持ちだった。雨が降るなか、大日本プロレスの道場がある鴨居駅に降り立ったんだけど、場所がわからなくてね。駅前の交番で道を教えてもらって、迷子になりながら40分くらいかけてたどり着いた。

 道場っていっても、倉庫みたいな建物で、でかいシャッターを開けて入ったら、リングはあるけど、薄暗くて、洗濯物が干してあったりして、なんだか陰気な雰囲気だった。自分が想像していたプロレス団体の道場とは相当違うなって思った。入り口に突っ立ってたら、階段から練習生が降りてきて、「これからよろしく。一緒に頑張ってプロになろう!」って、嬉しそうに出迎えてくれた。その練習生は俺っちより1カ月くらい前に入ったらしいんだけど、この数ヶ月後、残念ながら辞めてしまった。いまは九州のほうで接骨院を何件も経営している実業家になってる。道場の2階には、寝泊まりするスペースがあって、そこが新弟子たちの寮になっていた。

 そのころ寮に住んでいたのは、藤田穣(現・藤田ミノル)、本間朋晃、小林洋輔(現・アブドーラ小林)、越後雪之丞。あとは山川さんもいたみたいだけど、そろそろ道場を出て一人暮らしを始めるという時期だった。実は、この頃の大日本プロレスはケンドー・ナガサキさんが、ケンカ別れみたいな形で離脱して結構な騒ぎになっていた。それと並行して、田尻さん(現・TAJIRI)さんも、勝手に外国に行っちゃたみたいで、団体としては不安定な時期だった。

 でも、俺っちはイケイケだったから、だれがやめても、俺がこの団体を立て直してやるくらいに思ってた。(第5回に続く)

(文=葛西純/構成=大谷弦/写真=高橋慶佑)

■葛西純(かさい じゅん)
プロレスリングFREEDOMS所属。1974年9月9日生まれ。血液型=AB型、身長=173.5cm、体重=91.5kg。1998年8月23日、大阪・鶴見緑地花博公園広場、vs谷口剛司でデビュー。得意技はパールハーバースプラッシュ、垂直落下式リバースタイガードライバー、スティミュレイション。
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