村上龍文学の金字塔『コインロッカー・ベイビーズ』から40年……カルチャーに与えた影響を再考察

『テニスボーイの憂鬱』(集英社)

 『コインロッカー・ベイビーズ』以降の80年代の作品にも触れておきたい。この時期の村上龍は、作品ごとに内容、文体を大きく変え、小説家としての表現の幅を凄まじいスピードで拡大していた。

 『テニスボーイの憂鬱』(1985年)は、“横浜の地主の2代目で大のテニス好きの既婚男性が、自社のCMモデルを好きになり、恋愛関係になる”という恋愛小説。バブル景気を背景に、高級リゾートホテル、シャンパン、フランス料理といったアイテムをちりばめた本作は、当時の軽薄短小な日本の社会を映し出している。軸になっているのは、“退屈や憂鬱、自意識から逃れるためには熱狂が必要だ”という村上龍の根本的な哲学だ。

 初の自伝的小説『69 sixty nine』(1987年)も、80年代の村上龍を代表する作品。彼の故郷である長崎県佐世保市を舞台に、学生運動に影響を受けた学校のバリケード封鎖、フェスティバルの開催など、高校時代の村上の実体験をもとにした青春小説だ。この作品の根底にあるのも、(『テニスボーイの憂鬱』と同じく)徹底して退屈を嫌い、“楽しいこと”を追い求めようとする意志だ。

『愛と幻想のファシズム』(講談社文庫)

 1987年に発表された『愛と幻想のファシズム』は、90年代以降の世界の在り方を予見した作品。1990年代に入り、金融危機をきっけかにして世界経済は恐慌状態に入る。日本も大きな打撃を受け、社会に暗い影が落ちるなか、狩猟家の鈴原冬二を代表とする政治結社・狩猟社が台頭。学者、官僚、軍事の専門家などが集まり、影響力を高めた狩猟社は、ついに政権を狙うーーというのが物語の骨子だ。グローバル企業、経済格差、宗教的な対立、ファシズムの台頭など、『愛と幻想のファシズム』で描かれた要素は、驚くほど2020年の世界と合致している。

 『オールドテロリスト』(2015年)以降、長編小説を発表していなかった村上だが、『新潮』2020年1月号で新作「MISSING 失われているもの」を掲載。謎めいた女優と母親の声に導かれ、“小説家”が東京を彷徨い、幼児期から現在に至るまでの軌跡を辿る本作は、村上龍という小説家の創造性の根源を描いた作品だ。『限りなく透明に近いブルー』『コインロッカー・ベイビーズ』を想起させる記述もあるが、決してノスタルジックにならず、現実と対峙するような描写からは、村上龍の復調ぶりが伝わってくる。80年代の作品の理解を深めるためにも、ぜひ一読をおすすめしたい。

■森朋之
音楽ライター。J-POPを中心に幅広いジャンルでインタビュー、執筆を行っている。主な寄稿先に『Real Sound』『音楽ナタリー』『オリコン』『Mikiki』など。

関連記事