高橋源一郎、YouTubeチャンネル開設に寄せて 各年代の代表作で辿る、作家としての変遷

 小説家・高橋源一郎が2020年1月4日、YouTubeチャンネル『高橋源一郎的YouTube』を開設した。高橋は「作家でYouTubeのチャンネルを持ってる方はあまりいないと思いますが、若い皆さんのご尽力もありまして、一緒におもしろいことをやろう!ということで開始することになりました」と説明。予定されているコンテンツは、自作の朗読、人生相談、社会問題へのコメントなど。各地で開催される講演なども順次アップされるという。

 1月5日には最初のコンテンツを投稿。「2002年に上梓した自作の短編集『君が代は千代に八千代に』(文藝春秋)から「Mama told me」を朗読」という内容だが、爽やかな朝の陽ざしのなか、“小さい子供たちが、ポルノ女優の母親が出ているヴィデオを観て……”というストーリーを淡々と読む動画は相当にシュール。高橋源一郎のことをあまり知らない人がこれを観たらどう感じるのだろうか?と余計な心配をしたくなるが、このスリリングさこそが高橋源一郎だという気もする。高橋は一貫して、社会の変化に向き合い、メディアやテクノロジーの変遷とも同期しながら、自らの作品世界を広げてきた作家だからだ。

 リアルサウンド ブックに「高橋源一郎はなぜ、YouTubeチャンネルを開設したのか?」について取材しましょうと持ち掛けたところ、「まず高橋さんのブックガイド的な原稿を書いてほしい」と依頼を受けた。デビュー当初から高橋の著作を読み続けている身として、これほど光栄なことはない。

1980年代『さようなら、ギャングたち』

『さようなら、ギャングたち』(講談社)

 高橋源一郎が『さようなら、ギャングたち』で第4回群像新人長篇小説賞優秀作受賞し、小説家としてデビューしたのは1982年、31歳のときだ。1969年に関西の名門・灘高校を卒業し、横浜国立大学に入学した高橋は、学生運動に加わり、逮捕。69年11月から70年8月まで拘置所で過ごした。10代の頃から日本の現代詩、フランスの現代小説などを読み耽り、文才を示していたというが、拘置所生活によって一種の失語症に陥り、何も書けなくなってしまう。20代を通し、肉体労働を続けていたが、ぎっくり腰で働けなくなり、再び書くことを志した高橋は、現代詩や批評の表現(70年代は小説よりも詩や批評のほうが“イケてる”表現だった)を小説のなかに取り込むことを思いつき、試行錯誤を繰り返す。最初に書いたのは、第24回群像新人文学賞に応募して落選した『すばらしい日本の戦争』(改稿を加え、1985年『ジョンレノン対火星人』として出版)。担当編集者から群像長編小説賞に応募してみたらどうかと勧められ、すでに用意してあったタイトルとプロットをもとに短期間で執筆されたのが『さようなら、ギャングたち』だった。本作は吉本隆明、瀬戸内晴美(現・瀬戸内寂聴)、中上健次らに激賞され、高橋は作家としてのキャリアをスタートさせた。

 手元にある『さようなら、ギャングたち』の初版本の裏表紙には、吉本隆明氏評として「『さようなら、ギャングたち』は現在までのところポップ文学の最高の作品だと思う。村上春樹があり糸井重里があり、村上龍があり、それ以前には筒井康隆があり栗本薫がありというような優れた達成が無意識に踏まえられてはじめて出てきたものだ」とある。当時、地方の中学生だった私にとっては「なんのこっちゃ」だったが、確かにこの小説は、それまで私が知っていた(教科書などに載っていた)小説、文学とは何もかも違っていた。脈略なく連なる断片的なストーリーは読んでいてまったく飽きなかったし、いきなり少女マンガのページが挿入されるなど、「そんなのアリ?」という構成も圧倒的に楽しかった。その体験は“小説を読む”といよりも、興味を持ち始めたポップスやロックを聴いているときの感覚にきわめて近かったのだ(そもそも私がこの小説を知ったきっかけは、NHK FMで放送されていた『サウンドストリート』の後にやっていたラジオドラマで取り上げられたことだった)。その後、この小説に関する様々な評論や解説を読み、「なるほど、確かにゴダールっぽいな」とか「学生運動や肉体労働の影響も反映されているのか」ということもわかったが、この作品の凄さはやはり、当時既に古色蒼然としていた日本の文学にポップという要素を持ち込み、蘇生させたことなのだと思う。

1990年代『ゴーストバスターズ 冒険小説』

『ゴーストバスターズ 冒険小説』(講談社文庫)

 『優雅で感傷的な日本野球』(1988年)で第1回三島由紀夫賞受賞。『Dr.スランプ アラレちゃん』をモチーフにした『ペンギン村に陽は落ちて』(1989年)などの話題作を次々と発表した高橋は、『惑星P-13の秘密 二台の壊れたロボットのための愛と哀しみに満ちた世界文学』(1990年)を最後に、小説家として長い沈黙の時期に入る。世間はバブル崩壊の時期で、数年間ずっと好調だった新卒大学生の就職がいきなり冷え上がったり、未来に対する不安が充満していたのだが、時を同じくして、高橋の小説も停滞してしまったのだ。ただ、執筆活動そのものは好調(?)で、『文学じゃないかもしれない症候群』(1992年)『文学王』(1993年)など、文学そのものをテーマにしたエッセイを次々と発表。古典文学、近代文学はもちろん、マンガ、ファッション、ゲーム、テレビなど幅広いフィールドの表現を対象にした“文芸批評”はその後、高橋作品のひとつの軸となっている。また『スポーツうるぐす』(江川卓がメインMCをやっていたスポーツ番組)に出演し、競馬の予想で存在感を示すなど、積極的にメディアに露出。既存の小説家のイメージを気持ちよく裏切る言動でも多大な注目を集めた。

 メディアで華やかに活躍するも、待てど暮らせど新しい小説が出ない。私にとっての90年代は大袈裟ではなく、“高橋源一郎の新作”と“The Stone Rosesのセカンドアルバム”を待ち続けた日々だと言っていい。その均衡が破られた(?)のは、1997年。じつに7年ぶりとなる小説『ゴーストバスターズ 冒険小説』が出版されたのだ。長年に渡って書き続けられ、改編と改稿が繰り返された本作の主人公は、謎のゴーストを探してアメリカ横断の旅に出たブッチ・キャシディとサンダンス・キッド(念のため説明すると映画『明日に向って撃て!』のキャラクターです)。さらにBA-SHOとSO-RA、「俳句鉄道888」に乗って失踪した叔父を探すドン・キホーテの姪、東京の空を飛び回る正義の味方“マン・タカハシ”も加わり……という時空を超えた冒険小説。パロディ精神に溢れた荒唐無稽なストーリー構成は、しかし、読み進めていくうちに“全体小説”と称したくなるような深さを帯びてくる。他の作品同様、この小説も賛否両論があったが、私にとっては(長い間待たされたことを含めて)90年代を代表する小説の一つだ(ちなみにThe Stone Rosesは1994年にセカンドアルバム『セカンド・カミング』を発表。しかし、次々とメンバーが脱退し、96年に解散した)。

関連記事