植本一子が語る、初めての写真集出版とECDとの思い出 「いまなら石田さんの写真にも向かい合える」

 夫・ECDや二人の娘との生活をエッセイに綴り記録してきた植本一子が、初となる写真集を発表した。ECDとの出会い、子どもたちの成長、そして突然訪れる永遠の別れ、それでも続く生活。10年間の日常を丁寧に切り取った写真集は読者をも「家族」にする。今回のインタビューでは、エッセイと写真の表現の違いや、シャッターを切る瞬間の気持ち、そしてECDとの別れを語った。(編集部)

写真家としての植本一子

『うれしい生活』より

ーー写真家になったきっかけはなんですか?

植本:中学生くらいから会社勤めには向いてないことが自分でもわかっていて、自分の手一本でできることを仕事にしなければいけないと思っていました。絵を描くことが好きだったので漠然と美術関係がいいなと思って、美術系のコースがある高校のオープンキャンパスに行ったんです。そしたら参加者全員が一箇所に集められてデッサンをさせられて。私は美術の予備校とか行ってなかったし、ただちょっと人より絵が上手いくらいだったから、そこに集まってくる人たちとの差に歴然として、絵じゃ勝てないって気づいた。じゃあどうしようかなって考えていた時に、平間至さんの出ていた『情熱大陸』を見たんです。タワレコのポスターをずっと撮っていた方なんですけど、それを見て楽しそうだなって思って、写真に興味を持つようになりました。高校では写真部に入ったんですけど、実質的には活動していない部だったので、1年生にもかかわらず部長になって、部費を確保するために生徒会に入ったりして……いろいろ動いていましたけど、いま考えるといやな高校生ですよね。

ーー写真新世紀の優秀賞を受賞したのは、専門学校に在学中ですか?

植本:専門学校に入って1年目で受賞しました。その前年に応募した作品(『私のことなら、彼らに聞いて』)が佳作に入って、アラーキーから「あともう一歩だね」みたいなコメントをもらったんですね。だったらもう1年やってみようと、高校3年の1年間を撮った作品で応募したら、それが受賞作になった(『18歳だった。』)。ただ、専門学校に入学してすぐに受賞が決まったので、このまま学校にいてもダメなんじゃないかと思うようになって。それで平間さんのアシスタントに応募したんですが、『18歳だった。』を見た平間さんから「あなたは人に就く人じゃない」って言われて。ずっと人につかずに一人でやってるのは、平間さんの一言が大きいですね。

自然な表情と自然光が好き

ーー影響を受けた写真集はありますか?

植本:MOTOKOさんっていう女性の写真家の『ファーストタイム』っていう写真集が好きでした。もう絶版になっていますけど、何度も見ましたね。MOTOKOさんは、カッコ良く撮るんじゃなくて、何気ないけどその人らしい表情を撮っている。時代にも合っていたし、そういうことをやりたいと思いました。

ーー普段どのように写真を撮っていますか?

植本:雑誌の仕事はデジタルですが、日常を撮影する時はフィルムのコンパクトカメラを使っています。私は目が悪くて『フェルメール』の取材時に初めてコンタクトを入れたぐらいなんですが、それまでは見えなくてもいいやと思って生きてました。だからよく見えていない中でずっと写真を撮ってきたんですが、よくよく考えると光に反応していたんですよ。自然光が好きで、その光がきれいに写っていればいいやと思って撮影していた。それから決めポーズでは撮らないようにしてますね。その人らしさというのは表情のなかにあると思っているので、写真を撮るときは「自然にして」ってよく言ってます。

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