婚活迷子、お助けします。 仲人・結城華音の縁結び手帳

婚活のためにメイクや服装を変える必要はある? 『婚活迷子、お助けします。』第二話

 「ブルーバード」は、飯田橋駅と神楽坂駅のちょうど中間あたりに事務所をかまえる結婚相談所だ。19年前、紀里谷が母親の静子から引き継いで以来、所長の座におさまっている。エレベーターすらない、昭和の名残が漂う古びたビルの3階にある事務所は、決して見栄えがいいとはいえないが、広さは50平米強、小さいながらも面談用の個室を1つそなえているし、バブル時代に静子が購入した物件なので、リフォームも自由。いまだにときおり顔を出す静子が手を入れ続けているので、外観を見て不安を抱いただろう初見の客も、一歩足を踏み入れれば、その清潔感と明るさにほっと胸をなでおろす。

 とはいっても、紀里谷と華音、それからもう一人の仲人のデスクを並べ、応接用のテーブルとソファを設置するのがギリギリの広さなのだが、壁や家具の色や配置を工夫するだけで印象はずいぶん変わるのだと、華音は静子に教えられた。

「無難でも、生活感のある明るい場所ってお客さまを安心させるの。でもね、あまりに無機質だと親しみがわきづらいでしょう。だからほんのちょっと、好みのお花や絵を飾ることで私たちらしさをチラ見せするの」

 と、いつだったか静子は模様替えをしながらそう言った。

「初対面の人に見せる個性なんて、その程度でいいのよ。知ってる絵だ、好きな花だ、って思ってくれたら会話のとっかかりになるかもしれないし、奇抜だと思われたとしても、無難ななかにひっそりまじっていれば『どうして?』って気にしてもらえるでしょう。そういうの好きなんですか、ってやっぱり会話の話題になるかもしれない」

 婚活における服装と同じだ、とその話を聞いて華音は思った。

 実をいうとそれまでの華音は、深澤と同じように、自分の好みを曲げた服装をしてまで婚活しなくてはいけないものかとひそかに思うところがあった。統計的にそのほうがうまくいくから、とわかっていても、感情のうえで納得しづらかったのだ。静子はすべて見抜いたうえで、あえて部屋のたとえとして話してくれたのだろう。

 静子はそんなふうに、頑なな心の隙間にするりと入り込むのが上手だった。ブルーバードを立ち上げるまで仲人業はごく個人的な趣味だったらしいが、彼女が仲介すると不思議なくらい良縁が結ばれるというので頼む人が殺到し、子育てが一段落したのを機に仕事として請け負うことを決めたらしい。その手腕は息子の勉にも引き継がれ、ブルーバードは彼らの人徳で保っているといっても過言ではない。

 だから、華音があらかじめ指名されることなど、めったにない。中邑葉月の到来にいつもよりそわそわさせられたのは、所長・紀里谷のサポート役ではなく、最初のアポイントから仲人として見定められる機会が、これまでなかったからだった。

「なんだかいい匂いがしますね」

 14時5分前にやってきた葉月が、事務所をぐるりと見渡しながら言うのを聞いて、華音の口元に微笑が浮かぶ。事務所にはいつもアロマオイルをたいているのだが、いつもはもうひとりの仲人が香りを選ぶところを、今日は華音がブレンドしたのだ。ラベンダーとシダーウッド、それからレモンと、事務所においてあったものを適当に使っただけなのだが、我ながらいい香りだと思った。事務所を訪れる人はたいてい緊張しているので、それを和らげるのが目的だが、今日ばかりは葉月ではなく華音により強く効果をもたらしている。

「ありがとうございます。そちらにおかけください。いま、お茶をお持ちしますから」

 今日はほかに来客の予定もないので、狭い個室ではなくデスクの隣に置いたソファをすすめると、葉月は小さくお辞儀をしてそっと腰かけた。

 中邑葉月は、上品で優しい印象の女性だった。

 毛先まで艶のある薄茶色の髪が肩の上で揺れている。丸首だが鎖骨の見える薄桃色のニットに、紺地にやはり薄桃色の花をちらした膝丈スカートがよく似合っていた。そのまま写真館へ連れて行ってもいいくらいだ、と思っていると、葉月はうかがうように立ったままの華音を見上げた。

「私の洋服、合格ですか?」

「え?」

「ごめんなさい。このあいだ、喫茶店で盗み聞きしちゃったんです。黒い洋服を着た女性に、ダメ出ししてるの」

 あっ、と華音が声をあげるのと、葉月の向かいに座った紀里谷に、軽くにらまれるのとが同時だった。言いたいことはわかっている。会員と面談するときは、ホテルのラウンジでなくてはならないとまでは言わないが、座席の距離がある場所か個室を選ぶように、と口酸っぱく言われている。あのときは土曜で、深澤に呼び出されたのも急で、あいている場所がほかになくて、と浮かんだ言葉はすべて言い訳だとわかっているので口をつぐんで、表情だけで謝意を示す。

「なので今日は、手持ちのなかでもいちばん、婚活に向いていそうな洋服を着てきました。合っていますか?」

「パーフェクトです」

 と、答えたのは紀里谷だった。

「でもそれは、洋服が婚活仕様だからじゃないですよ。中邑さんが、見ず知らずの結城が言っていたことを素直に実践されたのが、僕はすばらしいと思います」

 紀里谷が面談モードに入ったの気づき、華音はあわてて冷蔵庫から麦茶をとりだしコップに注ぐ。葉月の前に置くと、そのまま紀里谷の隣に腰かけた。

 ブルーバードでは、男女年齢を問わずすべての会員と入会希望者を紀里谷が受け持つことになっている。見た目と性格、プロフィールと相手に求める希望。なにが好きで、どんなことで傷ついてきたか、そのすべてを紀里谷は把握するのだ。といっても、紀里谷が全員に細やかな応対をするのはどだい無理な話。だから、華音ともう一人の仲人で、悩み相談からお見合いのセッティングまで親身にサポートするというわけだ。

「結城がなにを話していたのかわかりませんが、まあ、直截的な人なので、それなりに厳しい物言いだったんでしょう」と微笑む紀里谷に、葉月も微笑で応じる。いやあれは、深澤さんがあまりに頑固だからちょっとこっちもムキになっちゃって、と口を挟みたくなるが、それもやっぱり言い訳なので、華音は小さくなっているしかない。

 紀里谷は続けた。

「正直、洋服なんて好きなものを着ればいいんです。自分のスタイルを貫いて、そこに惹かれた人としか結婚したくないというなら、尊重されるべきですから。ただ、おそらく時間はかかるでしょう。はやく結果を出したい、なるべく多くの人と会いたいというなら、こういう格好をしたほうが確率はあがりますよ、というご提案を僕たちはさせていただいています」

「大丈夫です。ちゃんと伝わってきました。結城……さん? が、あの女性に誠実に対応していたことも。だから、私もお話を聞いてもらいたいな、って思って来たんです。盗み聞きしてごめんなさい」

「迂闊なのは、結城のほうですから。改めまして、ブルーバードの所長・紀里谷勉です」

「仲人の結城華音です。よろしくお願いいたします」

 二人の差し出した名刺を受け取ると、葉月は丁寧に机のうえに並べた。そして背筋をすっとのばし、紀里谷と華音を交互に見る。

「最初に確認しておきたいことがあります。……私、あと3ヶ月ほどで30歳になるんです。婚活市場における女性は、20代と30代でまったく価値が異なると聞きました。それは本当ですか? 私が婚活をはじめるとしたら、あと3ヶ月で相手を決めないとまずいんでしょうか」

 葉月の瞳は、小さな不安に揺れていた。どう答えるべきか迷い隣をうかがうと、紀里谷は瞬きで華音をうながす。きみのお客さんでしょ、とその表情が告げている。

 息を吸い、それでもほどけない緊張で肩に力が入るのを感じながら、華音はいつも紀里谷が初対面の客に告げる言葉を唇に乗せた。

「少なくとも、20代と30代では、成婚しやすいお相手の年齢と年収が大きく異なります。具体的に算出できる計算式がありますので、まずはそちらをお教えします」

■橘もも(たちばな・もも)
2000年、高校在学中に『翼をください』で作家デビュー。オリジナル小説のほかに、映画やドラマ、ゲームのノベライズも手掛ける。著書に『それが神サマ!?』シリーズ、『忍者だけど、OLやってます』シリーズ、『小説 透明なゆりかご』『リトルウィッチアカデミア でたらめ魔女と妖精の国』『白猫プロジェクト 大いなる冒険の始まり』など。『小説 空挺ドラゴンズ』が11月に発売予定。「立花もも」名義でライターとしても活動中。

(イラスト=野々愛/編集=稲子美砂)

※本連載は、結婚相談所「結婚物語。」のブログ、および、ブログをまとめた書籍『夢を見続けておわる人、妥協を余儀なくされる人、「最高の相手」を手に入れる人。“私”がプロポーズされない5つの理由』などを参考にしております。

結婚相談所「結婚物語。」のブログ

『夢を見続けておわる人、妥協を余儀なくされる人、「最高の相手」を手に入れる人。“私”がプロポーズされない5つの理由』

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