【対談】田中ヤコブ(家主)× 漫画家 いがらしみきお:“自分のための創作”に宿る嘘のなさ 『ぼのぼの』の哲学と音楽の可能性

家主のボーカル&ギターであり、ソロアーティストとしても活動する田中ヤコブ。昨年は家主でEP『NORM』、ソロでアルバム『にほひがそこに』を立て続けにリリース。部屋の片隅から世間を覗き見ては素朴な疑問を投げかけるような独自の視座、“田中ヤコブ印”とも言えるメロディアスなギターの持ち味などはそのままに、変化に富んだ楽曲の数々を送り出し、インディロックシーンにとどまらないファン層を広げている。
そんな田中ヤコブが心から敬愛しているという漫画家が、いがらしみきおである。いがらしは1979年にデビューし、『ネ暗トピア』『家宝』といった過激ギャグ漫画を多数世に送り出した一方、1986年から連載スタートした『ぼのぼの』が国民的なヒット作品となり、クスッとくるほど人間的な営みを繰り広げる動物たちのシュールな日常が一世を風靡。以降も『Sink』や『I【アイ】』といった大衆漫画とは一線を画した孤高の作品を生み出し続けている。
今回は、田中ヤコブ×いがらしみきおによる初対談が実現。田中がいがらしの漫画から受けてきた影響や、いがらしが田中の音楽を聴いて率直に感じたことなどを皮切りに、互いの創作に対する“一切の嘘のないスタンス”が浮き彫りになる対話にもなった。いがらしの住む仙台で、雪の降る日に行われたホットな初対談をじっくり楽しんでほしい。(信太卓実)

「昔のバンド文化から続いているもの」(いがらし) 田中ヤコブの音楽を聴いて
田中ヤコブ(以下、田中):僕は生まれた頃から、いがらし先生の漫画をずっと読んでいました。親がいがらし先生の作品が好きだったんですよ。それからアニメの『ぼのぼの』を観たり、『家宝』とか初期のギャグ漫画もよく読みました。
いがらしみきお(以下、いがらし):ありがとうございます。私は最近、音楽ってほとんど聴いていないんです。仕事中はラジオをかけているので、そこから音楽が流れてくることもあるんですが、音楽というより、音楽の“音”という感じです。知っている曲だと反応するけれども、知らない新しい曲だとほとんど素通りしてしまうようなところがあります。ですから、最近はどういう傾向の音楽が流行っているのか、そういうことも皆目見当もつかないんです……こんなんで対談していいのでしょうか(苦笑)。
田中:もちろんです(笑)。自分も流行の音楽というものには疎いので。
いがらし:ただ、私が田中さんの音楽を初めて聴かせていただいたときに思ったのは、昔のバンド文化から続いているもののような気がしました。私が若い頃に聴いた音楽からあまり距離がない。そういう意味で、今までの音楽シーンの中の積み重ねがあって、田中さんの音楽もどこかそれに通じているのかなという感じがします。
田中:まさにおっしゃる通りですね。自分は親の影響でThe Beatlesが好きで、その流れで音楽をやっているので、ゼロから新しいものを作るというより、音楽の歴史の中に自分を入れてもらっているような感覚で音楽をやっているんです。

いがらし:そうですか。私が現役で音楽を聴いていたのは、10年前くらいのサニーデイ・サービスまでですね。知り合いから「これだったら、いがらしさんも聴けるんじゃないかな」ってCDをいただいたんです。The Beatlesは世代ではあるんですけど、聴いていないんですよね。The Rolling StonesもLed Zeppelinも聴いていない。じゃあ何を聴いていたのかというと、Pink Floydなんですよ。
田中:おぉ、Pink Floydは自分も特に好きなバンドの一つです。サニーデイ・サービスも大好きです。
いがらし:そういう意味では、なんとなく繋がりがあるんでしょうね。田中さんの音楽を聴かせていただいて、「これは自分も理解できるんじゃないかな」と思いました。
田中:それは嬉しいです。
いがらし:あとは歌詞ですね。田中さんの歌詞は、まず自分の中から出てきた歌詞だと思うんです。私の漫画も、結局は自分の意見を描いています。自分が今思っていることを無視して出てきているものではない。風邪をひいているときは、風邪をひく漫画を描いたりしますから。
田中:それもすごくわかります。
いがらし:だから「imautsu」を聴いたときに、ああいうものを音楽にしてしまうということに共感しました。あの曲を作ったときは本当に鬱だったんですか?
田中:そうです。そういう気持ちだったので、それを歌にして昇華したような感覚ですね。
いがらし:鬱のときに歌を作るとしたら、やっぱり鬱の歌しかできないと思うんです。どこかで無理をして言葉を出さないと、方向性も出てこないじゃない。ですから、鬱だったら鬱の歌を作る。風邪ひいたら、風邪ひいた漫画を描く。そういうところが、僕と田中さんは似ているような気がします。

『ぼのぼの』、『I【アイ】』……田中ヤコブがいがらしみきお作品から受けた影響
田中:ありがとうございます。自分も歌詞を考えるときには、いがらし先生の作品、特に詩からすごく影響を受けています。
いがらし:『ぼのぼの』の漫画は初めの頃、扉絵に簡単なポエムを書いていたんですよね。でも、どんどん難しくなってきたんです。今まで生きてきたことが積み重なってくると、前の詩と同じようなレベルにいられなくなる。つまり、エスカレートしていく自分についていけなくなったんですね。それで扉にポエムを書くのをやめてしまいました。もっと深いところ、もっと広いところ、もっと高いところに行くことができれば、表現の幅というものが広がっていくんだと思うんですが、そういうときって煮詰まりやすい。田中さんは煮詰まったとき、どうしてますか?
田中:自分はスパッと諦めてしまいます。形にして終わらせたいという気持ちがあるので、なるべくうまく着地できるところまでは頑張るっていう感じですかね。
いがらし:それは賢いですね。私はうんざりするまで考えます。寝る時間になっても、まだ終わらなかったら一度寝て、次の日また同じところから考えます。要するに出るまでやるんですよ。そうすると、どうしても越えられない山が出てくる。そこで辞めて別のことを考えればいいので、本当はそんなに意地にならなくてもいいんですけどね(笑)。
田中:いがらし先生の『I【アイ】』を読んでいると、そういった答えが出ないものを突き詰めようとしていることが伝わってきます。それこそが、いがらし先生の作品なんだなという印象もあります。
いがらし:『I【アイ】』は「この世界は何なのか」という疑問から始まった作品で、自分が子供の頃から考えていた疑問でした。『I【アイ】』を描いたのは40歳前後で、「今描かないと、もう描けなくなるかもしれない」と思って描き始めたんです。最初はどういう漫画になるのか、全然わからなかった。とにかく「この世界は何なのか」ということを描きたいと思いました。
でも、描いているうちに煮詰まりましたね。だって、そういう漫画を描いた人はほとんどいない。若いときの人生や生活、生い立ちについて描いている漫画家さんはいっぱいいますが、「この世界は何なのか」というプリミティブな疑問に立ち向かって、答えがわからないのに描こうとする人というのは、あまりいなかった。ですから道筋みたいなものがなくて、本当に手探りで描いていく感覚でした。だから自分が目の見えない人になったように感じて、主人公も途中から盲目にしてしまったんですね。
田中:そうだったんですか。
いがらし:自分で描いているのに、作品との距離感が全く掴めなかった。そういうのは本当はまずいんですけれども、それぐらい自分に近づいてしまった作品というと、やっぱり『I【アイ】』が一番です。『ぼのぼの』はもう少し距離が取れているので、どっちにいこうかという方向性を定めるのも、ある程度余裕をもってやれます。
田中:それは、『I【アイ】』で描く対象が人間で、『ぼのぼの』では動物だったからというのもあるのでしょうか? そこに関する差はありますか?
いがらし:あると思います。『ぼのぼの』以前に描いていた初期の四コマ漫画でも、ほとんど人間を描いてきました。人間の青年が主人公のものが多かったですね。だからその頃もよく煮詰まっていた。自分の描いてきた作品が、私の後ろにどんどん続いて、それをずるずると引きずって歩いていくみたいな感覚になっていました。自分が描いたことが重くて、もう歩けないような感じですかね。だからそれをスパッと切るつもりで一度休業して、その後に描いたのが『ぼのぼの』です。人間の姿形をしたものは、もうあまり描きたくなかった。それで動物の世界を描き始めました。

田中:でも『ぼのぼの』は、登場するのが動物だからこそ、より人間らしい世界がまざまざと見えてくるような気がするんです。
いがらし:そういう部分はあると思いますね。たとえばシマリスくんが、年老いた両親の介護をする話があります。それを動物で描くことで、読む人も距離感を取れて、そんなに深刻に受け止めなくてもよくなる。だから現実に介護をやっている人も、シマリスくんに対して感情移入できるのかもしれないですよね。
田中:自分がすごく好きなのは、アライグマくんのお父さんとお母さんが、罪悪感がどうのこうのと言い合うシーンです。なんと言うか、ものすごく人間らしいやり取りなんですよ。でも動物がやっているからこそ、面白味やおかしさがあるなと思いました。
いがらし:動物同士がやってるから、息苦しさを感じないで済むということはあるでしょう。アライグマくんの両親が言い合うシーンは、人間の男女の立場の違いがモロにぶつかり合うようなセリフの応酬だったので、もし人間で同じシーンをやるとしたら、私には描けないかもしれない。
「形式的な絆を一蹴してくださるところに“絆”を感じています」(田中)
田中:なるほど。自分はエンタメ性というものについてよく考えるんですが、いがらし先生の作品には正直エンタメ性というものを感じたことがないんです。
いがらし:ははは、そうですか(笑)。
田中:そして、そのエンタメ性のなさというものが自分の作品にもあると思っています。自分のために作っているというか、聴く人を前提に作っていないというか。
いがらし:いや、それは間違いないですよね。音楽も漫画も、誰かを慰めたり励ましたりするために作る人ももちろんいると思います。でも、はっきり申し上げて、私にそういう力はないと思っているんです。ですから、自分のことを描いていって、それを読んで「あぁ、世の中にはこういう人がいるんだな」「こういう生き方でもいいんだな」と思ってくれる人がいれば、それはもうお土産みたいなものですよね。自分の作品を読んでくれた人へのお土産みたいなもの。そのお土産がエンタメだと言ってもいいのですが。
田中:いがらし先生の作品やインタビューを読んでいると、世間一般でいいものとされている、絆や友情、助け合いみたいなものを一概には肯定していない印象があるんです。自分もそういう形式的な絆みたいなものには偽善を感じてしまうんですが、一方で先生がそういうものを一蹴してくださるところには“絆”を感じています。
いがらし:ははははははは。なるほど。田中さんは正直な人ですね。自分の気持ちを偽れない。私もそうです。「人間はひとりで生きていけない」って言葉は間違っていないとわかってはいるけれども、それでもたったひとりで生きていこうとしている人を見たら、私は感動します。
田中:僕も同じです。

いがらし:ひとりで悪戦苦闘している人とかを見ると、応援するというより、ずっと見てしまいますね。見るだけで何もしないんですけれども、見続けるというのが一つの誠意なんでしょう。その誠意さえなくしてしまうと本当に自分勝手なことしか描いていない。田中さんの音楽を聴いたときも、「この人はひとりでも何かをやる人だな」という感じがしました。ネットで調べて知ったんですけど、田中さんは自分でいろいろな楽器をやるんですよね。
田中:はい。(ソロ作品では)基本的には全部ひとりでやっています。
いがらし:それはすごい。私も若い頃に一応バンドをやったことがあるんですよ。そのときに、ベースやボーカル、ドラムがどんどん辞めていっちゃったので、「じゃあ俺がやるよ」っていう感じで楽器を弾いていた。でも田中さんみたいに、自分で望んでいろいろな楽器が弾けるようになるほうがよかったですね(笑)。
田中:いえいえ、僕も自分で望んで楽器ができるようになったわけではなくて、友達がいなくてバンドを組めなかっただけなんです。それでひとりでやってみようということで楽器を始めました。
いがらし:あぁ、でもそれは理想的ですね。私の場合は一緒にやれるなら誰でもよくて、身近にいた職場の人間とか、その友達とかと組んでたので、みんな聴いている音楽がバラバラで、やりたいものもバラバラだったんですよ。だからすぐ辞めてしまうので、自分が穴埋めするしかないという感じだったんです。そして最終的には、譜面もなくていいから、とにかくめちゃくちゃやろうっていうことでフリーミュージックみたいなことをやったら、最後は誰もいなくなりました(笑)。
田中:そういう意味では、自分はひとりしかいないので辞める心配がないですね。すごく楽です。




















