モノブライト、再始動の真実と20年以上ぶりに生まれたロックバラードを語る 「今のメンバーだったらおもしろくできる」

モノブライト、再始動と新曲「いつも雨」

 モノブライトが本格的に再始動した。北海道時代に松下省伍(Gt)&出口博之(Ba)と一緒に3ピースバンドをやっていたドラマー・岩中英明(Dr)が加入して桃野陽介(Vo/Gt)を含めた4人になり、休止まで所属していたマネジメントに戻り、2025年9月、10月、11月に「ジャンピンジャックフラッシュ」「君だってパイオニア」「この道の続きで」と、デジタルシングル3曲をリリース。2026年になると、2月13日大阪・梅田クラブクアトロと、19日東京・渋谷クラブクアトロの2本のツアーを行い、そのアンコールで、再始動後の4曲目になる新曲「いつも雨」を披露した。同曲は、3月18日にデジタルリリースされた。

 その東京のライブレポ(※1)に書いたが、再始動後のモノブライトのステージを観て、自分がいちばん驚いたのは、過去のどの時期よりも、よくなっていたことだった。「過去にひけをとらない」とか「よかった頃を取り戻した」とかではない。超えている。なんで。こんなにブランクがあったのに。ドラマーの岩中は、加入したばかりなのに。松下なんて、休止期間の8年のうち、5年くらいは音楽から足を洗っていたそうなのに。

 ということも含めつつ、活動休止→再始動→現在までの8年間について、4人に問うた。(兵庫慎司)

活動休止のきっかけと決断「同級生であることを守ろう」

――再始動後、オフィシャルのX(旧Twitter)にアップされたインタビューで、桃野さんは、2016年のアルバム『Bright Ground Music』が、とても納得がいくものにできた、でもそれで力尽きて、次にやることが思い浮かばなくなった、という話をされていましたが
――。

桃野陽介(以下、桃野):そうですね、そういう感じでした。やっぱり、いろいろ試してやっていくバンドだったので、「次に何をやろう?」っていう時に何も浮かばないというのが、本当にきっかけのひとつとしてあって。メンバー同士で「それだったら休んだらいいんじゃないか」っていうことを、何回か話し合ってね。

松下省伍(以下、松下):おもしろいことが思い浮かばない。だったら「じゃあもうダメだね、このバンド」となる前に、「いったん止めよう」という判断だったので。外的要因ではなかったですね。

――そこで、松下さんと出口さんは「桃野、ちょっと待て!」というのはなかった?

出口博之(以下、出口):正直、僕とかも「もう終わるか」という感じで思ってはいたんです。

桃野:僕は、『Bright Ground Music』というアルバムが自信作だったっていうのもあって。自分のなかでも、ちょっと達成した気持ちがあったんですけど、それが自分の思っていたまわりの反応と少し違った気がして、「どうしようかな?」っていう思いは、漠然とあって。

――この自信作が思ったほど世に広がっていかないとなると、次はどこに向かえばいいのかが見えない、というのはわかりますね。

松下:『Bright Ground Music』は、バンドとしても結構腹をくくったアルバムだったんですよ。ホーンとか入れたのもそうだし、ライブのやり方にしてもそうで。覚悟を決めて、勝負したんだけど……手応えがなかったわけじゃないけど、自分たちが思っていたより広まらなかったな、って。ここまでやっても暖簾に腕押しだったら、「何をやればいい?」っていう気持ちは、正直ありました。みんな、疲れてましたね。

出口:次の新しい曲も作ってたし、いろいろやってたんだけれども……今にして思えば、もっとほかにも広め方とか戦い方はあったんだろうけど、あの当時は視野が広くなかったから、思い詰めてたというか。「これはちょっと、どうしたもんかね」「今やってる作業も、あんまり楽しくないよね」「楽しくないなら、無理にやる必要もなくない?」っていう。このまま無理してやっていたら、本当にもう戻れなくなるところまで行っちゃうかもね、と。

松下:最後は「同級生であることを守ろうぜ」みたいなところは、正直あったんですよね。このままいくと、同郷の同級生としての関係まで、全部ダメになっちゃいそうだったので。

出口:友達だしね。「もっと楽しいものとして、バンドも音楽もやりたかったよね」っていうのが、みんなで最後に話したことだったかもしれないですね。「楽しいことが思い浮かんだら、またやればいいじゃん」っていう。それで結構気持ちが軽くなって、「じゃあ休止ってことにしようか」っていう流れになった気がします。

空想委員会・三浦、THEラブ人間・ツネ……“音楽”に引き止めた存在

モノブライト(撮影=堀内彩香)

――桃野さんは解散と言ったけど、ふたりが「休止にしよう」と――。

桃野:僕はもうやり尽くしたぐらいの気持ちになってたんで。モノブライトをやめるというより音楽をやめる――田舎に帰ろうかな、ぐらいの。それに、言い方はなんでもよくて。活動休止でも解散でも、復活する人は復活するので。呼び方が何でもいいんなら、解散がわかりやすいんじゃないかとも思ったんですけど、ふたりは、今まで応援してくれたお客さんのことを考えると、「もしかしたらまたあるかも」と思える余白があったほうがいいんじゃないか、と。たしかにそうかな、という気持ちもあってね。

――その時点では、「いつかまたやろう」という気持ちは……。

桃野:僕、なかったです。

松下:3人ともなかったと思います。だって僕、そのあとギター自体やめたし。

出口:すんなり会話は進んでたもんね。重たい話だから喋りはゆっくりですけど、サクサク進んでる感じで。だから、みんな一旦休もうっていう感じだったんだと思います。

桃野:それで休止して、それぞれのやりたいことをやって。僕はもう本当に自由に、ソロで歌いたいものを作って歌ったり。デーさん(出口)は、人のサポートをやったり、まっつん(松下)は、ギターのレコーディングに関わったりとか。

――そこ、それぞれ聞きたいんですけど。まず桃野さん、一回故郷に帰ったとか。

桃野:一回帰りました。実家が北海道で酪農をやっているので、酪農と音楽で田中義剛さんのような活動もあるのかなと思い、帰ったんですけど、思いのほか音楽が出来る感じがしなくて。自分には酪農をやりながら音楽はできないな、と。それで東京に戻って、体力作りぐらいのノリで、定期的に弾き語りのライブを続けてたんですけど。その時に、THEラブ人間のツネくん(ツネ・モリサワ/Key)に「桃野くん、絶対曲を書き続けたほうがいいよ。うちのレーベルを使っていいから」と言われて、「ああ、こんなことを思ってくれる人がいるんだ」って。それで、THEラブ人間のレーベルにお世話になりながら、また曲を書き出したという感じでした。月に3、4本、弾き語りのライブを続けて。あと、モノブライトの頃からやっているHokori(golf・関根卓史とのユニット)をまたやり出したりとか、Momonobandというバンドも始めたりして、自由にやりたい人とやってみようというノリで活動してました。

――それは心は充実しているんですか?

桃野:やりたいことをやってるので楽しいんですけど、先が見える感じでもないっていうのが、漠然と不安にはなってくるというか。30代後半で、音楽の目標がないのも、なんかなあ、って。いろいろトライはしてみても、実感はない感じが続いてた8年間ですかね。

――で、松下さんは、音楽をやめた?

松下:はい。ギターもしまって、普通に仕事して、趣味を見つけて、キャンプに行ったりとか、車を買ったりとか。時々SNSでふたりの活動は見てたんですけど、ライブを観に行く気にもなれず。音楽に触れる気にすらなれなかったので。

桃野:でもね、LINEではまっつんがいちばん生存確認をしてくれていて。3人のLINEグループがあって、フリーズしてたけど――。

出口:コロナ禍の時とか、まっつんが「大丈夫?」って。

松下:時々ですけどね。5、6年は普通に働いてたんですけど、昔のスタッフから声がかかって、新人バンドのサウンドアドバイザーみたいなことをやったんですよ。アレンジとか、レコーディングの現場の音作りとかを一緒にやる、っていう。育成中の新人のレッスンとかもやりましたし。でも、それをメインでやっていこうというわけではなく、仕事は仕事で続けながら、話があったらやるというくらいで。

――出口さんは、あちこちでお名前を見かけていたような。DJとか、サポートとか。

出口:はい。桃野さんの話と似てるんですけど、「出口さん、絶対ベース弾いたほうがいいですよ」って言ってくれた人がいたんですよ。空想委員会の三浦(隆一)くんなんですけど。

――そうだ、彼のソロで弾いてましたよね。

出口:活動休止の翌年に、テレビの仕事が増えたんですよ。特撮が好きだということで、呼んでもらえたりするようになって。その頃に、仲間うちで集まって曲を作ったりしようということになって、その場所に三浦くんがいたんです。「出口さんは絶対ベース弾いてたほうがいいから、俺のソロで弾いてください」っていうのが最初のサポートで。

――三浦くん、大腸がんで亡くなってから、もうすぐ3年経ちますよね。

出口:彼が最初に入院した時、「俺はちゃんと治すし、今やってることも止めないから、出口さんはベースの練習をしといてくださいね」って。で、退院して、レコーディングしてアルバムを出して、ツアーもやって……その間で「必要とされるんだな」「だったら応えなきゃ」と思ったんですよね。ただ、自分のために弾いちゃダメだなとも思って。今まではバンドで、自分のために、バンドのために弾いてたけど、全然違う立ち位置で弾かなきゃダメだな、と。それで自分のプレイを見直したら、まあヘタクソだったから。これはよくないと思って、イチから練習し直して、叩き直した。そういうふうにプレイを変えたら、三浦くんのレコーディングで知り合ったディレクターが、いろいろ仕事を依頼してくれるようになっていったんですよ。だから、自分のためにやっていたのをやめて、人のために、誰かのためにっていうふうに切り替えた時に、いろんなことがつながっていった、というか。

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