SUPER BEAVER 渋谷龍太、紆余曲折の20年で確信した“音楽をやる意義” スピッツ愛や「楓」カバーの秘話も語る
SUPER BEAVERは2025年、結成20周年のアニバーサリーイヤーを迎えた。初のスタジアム公演となるZOZOマリンスタジアム単独公演を6月に成功させ、「まなざし」「主人公」「生きがい」といった新曲もコンスタントにリリース。さらに2026年には自身初の東京ドーム公演を含む、2大ドームツアーの開催も決定し、大いにファンを沸かせている。
そんなSUPER BEAVERの渋谷龍太(Vo)がカバーした「楓」(スピッツ)が劇中歌となっている映画『楓』(福士蒼汰と福原遥がダブル主演。監督は行定勲)が絶賛公開中。今回は渋谷にインタビューを行い、「楓」カバーにまつわる秘話や、大きなルーツであるスピッツへの想い、そしてSUPER BEAVERとしてアニバーサリーイヤーを駆け抜けていることへの手応えなどについて、20年間を振り返りながら語ってもらった。(編集部)
名曲「楓」のカバーは「嬉しさ半分、怖さ半分」
ーーまずは「楓」という楽曲が映画化されると知ったときの、渋谷さんの率直な感想を教えてください。
渋谷龍太(以下、渋谷):なぜか何の根拠もないのに「そうだよな」と思ってしまいました。本当に不思議な感覚でしたね。というのも僕はもともとスピッツがすごく好きで、「楓」も好きな楽曲でした。だから、もちろん曲に対するイメージも持っていたんですが、まさか映画になるとは露ほどにも思ってはいませんでした。それなのに、なぜか「そうだよな」と思ってしまったんですよ。おそらくこれは、楽曲が持つ想像の伸びしろや器の大きさが、僕にそう感じさせたのかなと思っています。
ーーそんな中で、楽曲のカバーをオファーされた際はどう感じましたか?
渋谷:嬉しさ半分、怖さ半分ですね。大好きなスピッツの楽曲を歌わせていただけることはすごく嬉しいんですが、今までいちリスナーとしてしかスピッツと対峙してこなかったので。歌を歌う人間としてスピッツと向き合ったことがなかったから、光栄なことだとは思いつつも、「怖ぇな」という感覚も正直ありました。オリジナルの楽曲がすごく好きなので、その楽曲にまた違うアプローチをかけていかなければいけないということにも、かなりプレッシャーを感じていましたね。そういった想いが入り混じった複雑な気持ちでした。
僕はカバーがオリジナルを凌駕することは不可能だと思っているんです。でも、オリジナルが唯一できないことってリスナーの立場になることなんじゃないかなって。だからオリジナルときちんと対峙できるよう、僕は一人のリスナーとして、スピッツに与えてもらった感動と敬意をふんだんに込めてカバーしようと腹をくくりました。
ーー渋谷さんから見たスピッツの魅力はどんなところでしょうか。
渋谷:うーん……変化しているので形容しがたいですね。20年間音楽をやってきた今は、スピッツが音楽的にめちゃくちゃ優れていることを理解していますが、僕がスピッツを好きになったのは小学生の頃で、当時は音楽のことなんて全然わかっていなかった。つまり、彼らの音楽的な魅力の真髄、なぜ彼らの音楽に惹かれるのかという理由を理解していなかったんです。それでも本能に訴えてくる素晴らしさがあったから、好きになったわけですよね。そして、音楽に従事してきた僕がいまだにスピッツを聴き続けているということは、音楽とは何たるかをわかってきた人間でも、変わらずプラスの魅力を感じて聴き続けられるということなんです。音楽を好きになると、わりと独りよがりなものを作りがちですよね。そういった玄人好みの音楽って、一般的には受け入れられにくいものもあると思いますが、スピッツは一般の人々も玄人もどちらも取り込んでいる。双方を兼ね備えているというのは本当にすごいことです。
ーー「楓」という楽曲自体の魅力を渋谷さんはどう解釈されましたか?
渋谷:歌い手としてすごく難しい曲だなと思いました。サビとか言葉を詰めたくなる部分をロングトーンだけで持たせたりしていて、おそらくロジカルに考えて作っているわけではない気がするんですが、音楽構成として難易度が高いなと感じます。でもスピッツに関しては、あえて自分の中で深堀りをしてこなかったんです。ワクワクやドキドキの根源を発見して、全部を説明できるようになってしまったら、なんとなく寂しさを感じるような気がして意識的に遠ざけていて。だから「楓」も“なんか好き”なんですよね。この気持ちをずっと持ち続けられているアーティストってなかなかいないから……いい曲ですね、純粋に。
「どう感じるのかは自由」ーー音楽が持つ“多面性”
ーーレコーディングの際、行定勲監督から歌に関するリクエストは何かありましたか?
渋谷:ほとんど僕に委ねてくれました。細かな要望というよりは、僕のやりたいことや表現したいことをすごく尊重していただいたように感じています。先ほどお話ししたように、楽曲に対しての敬意の込め方や、リスナーとして感動した部分を体現するという点において、僕がやるべきことはある程度見えていたんです。だからまずは好きなようにやらせていただきました。その後に、僕の歌が使われるシーンの映像を流しながら歌う、というテイクに一度トライさせてもらって。このテイクに関しては、行定監督から「セリフみたいに」というディレクションがあり、それを僕は「歌に気持ちを込めるというより、言葉に気持ちを込める感覚で」というニュアンスに解釈してトライしましたね。
ーーご自身の曲のレコーディングとカバー曲のレコーディングでは、感覚が違うものでしょうか。
渋谷:違いますね。オリジナル曲を紡いでいくときは、舗装されてない地面に自分たちで道を作っていく感覚なんです。スタートからゴールまでの道順も自分たちで決めるので、何をやったって正解なんですよ。でもカバーはすでに道が作られていて、その道に自分も含めたリスナーが感動してしまっているので、そこからさらに別の道を作っていくというのは結構難儀なことですよね。「ここを左じゃなくて右に曲がった方がいい景色だよな」というよりも、「こっちの道もいい道じゃね?」と発見するような感覚というか。そういった感覚を持ちながら音楽と接する機会もたまにありますが、大抵は「この曲のカバーをやる」となってから発見しにいく形ですね。何度もトリビュートアルバムに参加させていただいた経験もありますが、いつも難しいなと思っています。
ーー映画『楓』を鑑賞して、さらにご自身が歌われた曲が劇中で流れるシーンを観ての感想も教えてください。
渋谷:込められているメッセージ、死生観、一人の人に対しての想いが切実に伝わってくる、すごく素敵な映画だなと思いました。物語の流れ全体が印象的で、始まりのシーンなどは「この後どうなっちゃうんだろう?」と思いましたし、物語が進み出すにつれて「ん、どういうこと?」って。そんな感情を抱きながら観進めていくと、少しずつ謎が紐解かれていって、「あぁ、そういうことか」とパズルがはまっていくような感覚でした。気持ちが一つのところに帰結するような感覚が気持ちよかったですね。僕の「楓」が流れたシーンは、映画の中でも一つ肝になるシーンだと思いましたし、ここで曲を流すことに決めたというのもすごく腑に落ちました。
ーー楽曲から映画が作られるということについて、アーティストとしてはどう感じましたか?
渋谷:もしかしたら語弊を生んでしまうかもしれませんが、オブラートに包まず言うなら「好きにしていいよ」という感じかもしれません。自分たちが放ったものに対して、どう感じるのかは自由だと思うので。こちらの意図と違う受け取り方をされても構わない。例えば「これはすごく勇気が出る曲だろう」と思って歌っていても、どこかの一節で心がギュッとなって、別の意味合いで奮い立つような気持ちになるかもしれない。これって音楽が持つ多面性だと僕は思っているんです。それと同じで、楽曲から何かを得てくださって、自分の感覚、自分のアンテナで何かを紡ぎたいと思ってくれたなら、これほど光栄なことはないと思います。だから「こんな風にしてくれよ」とか、どうこう言いたいとはおそらく思わない。突き放すという意味では決してなく、すごく広い間口で「好きにしていいよ」という感覚になるんじゃないかな。
ーー映画をこれから観る方にはどんなことを伝えたいですか。
渋谷:いちスピッツファンとしても素敵な映画になっていると思いますし、観る人次第で感じ方が違うかもしれない。ぜひ劇場で楽しんでいただければと思います。僕の歌も聴いてくれたらとても嬉しいです。