草彅剛にとっての“舞台”は「生きてるって感じ」 苦悩、絶望、圧倒的な生ーー体験することで感じる永遠
草彅剛が主演する舞台『シッダールタ』を観劇したのなら、誰もが驚くだろう。「この熱量の舞台を、彼はほぼ毎日こなしているのか。しかも、1日2公演の日まであるなんて」と――。
圧倒的な“生”のエネルギーが満ちる舞台『シッダールタ』
すり鉢状のステージを駆け下りて始まる冒頭から、草彅演じる男・シッダールタは、胸をかきむしるような渇きに悶え苦しむ。バラモンという上流階級に生まれ、周囲から愛され、何不自由なく育ってきたシッダールタ。しかし、彼のなかにはどうしようもない不満が膨らんでいった。自分とは何者なのか。この世界の正義とは何か。“答え”として差し出される教えは、本当に真理なのか――。その葛藤を、草彅は全身全霊で表現していく。
実際に鑑賞したが、心の奥底から湧き上がる衝動が観客席を呑み込んでいくようだった。そして、すべての恵みを捨て去り、死の匂いがするほどの断食に挑んだシッダールタは、瞑想のなかで輪廻転生を繰り返す。それは、まるで舞台を通じて何度も何度も役の人生を生き抜く草彅の姿とも重なる。
「舞台って、自分が生きてること確認してるわけ」と語ったのは、草彅が香取慎吾とパーソナリティを務めるラジオ『ShinTsuyo POWER SPLASH』(bayfm)の11月16日放送回でのこと。香取に「1日2公演で疲れないのか」と問われれば、「それがいいんじゃないですか、疲れてくるのが」と笑いながら返す。「へえ、おかしな人ですね」とつられて笑う香取に、「そうそうそう。おかしいんだろうね、どこか。だってツラいもん(笑)。だけど、(舞台が)好きなんだろうね」――そう続ける。そして、「なんで好きなのかなって突き詰めて考えたら、やっぱり生きてるって感じがするんだよね」と。
さらに草彅は熱を込めて語るのだ。「当たり前だけどさ、衰えて弱くなっていくと声も出なくなるし、耳も聞こえにくくなってくるでしょ。目も見えなくなってくる。でも舞台って、それを全部使うわけ。暗いなかで立ち位置を確認したり、人のセリフを聞いて反射して動いたりする。だから、もう生きてる以外の何ものでもないわけよ! 『俺、生きてる!』『体まだ動くぜ!』って楽しくなってくるんだよ。だけど、ちょっと(体が)痛くなってきたりして、『大丈夫か、俺の足は持つのか?』『ヤバいぞ、テーピング増やそう』とか。そういうの楽しいよね」。話の止まらない草彅に、香取が「笑ってますね、この人!」とツッコミを入れる。長年の関係性を感じさせる、実に微笑ましいやり取りだった。
杉野遥亮との“共鳴”が生む、ゴーヴィンダの説得力
シッダールタにも、そんな心の友と呼ぶにふさわしい存在がいた。彼を敬愛してやまないゴーヴィンダだ。このゴーヴィンダを演じたのが杉野遥亮だったことも、シッダールタと草彅の人生のリンクをより強固にしていたように思える。
草彅と杉野といえば、2023年のドラマ『罠の戦争』(カンテレ/フジテレビ系)で共演。草彅はドラマ共演を振り返って「僕は勝手に、深い部分で彼と共鳴できているような感覚がありました」(※1)とインタビューで語っていたことを思い出す。そのときに「今度また舞台とかで共演できたらいいね」と話していたことが、今作で実現したというのも胸を熱くさせた。
ゴーヴィンダは、草彅の背中を追う杉野にも通じ、そして草彅の才能に心を掴まれている観客とも重なり合う存在だ。シッダールタの苦悩に心を痛め、突き進む姿に圧倒され、自分なりの思想を見出したゴーヴィンダの姿にこちらも安堵する。その心の軌跡は、生きる時代も置かれた立場もまったく違うはずのシッダールタの物語が、草彅の生き様と響き合う瞬間でもあった。
草彅剛が舞台に立ち続ける理由は舞台を体感することで知れる
当事者にしか見えない“真実”は、言葉にした瞬間に一面的になってしまう。知識として伝えることはできても、知恵として腑に落ちるかどうかは別問題だ。シッダールタが数奇な人生の果てにたどり着いた思想と、草彅が舞台に懸ける思いは、そんな本質的な領域で重なり合っているように見えた。
厳しい修行に身を投じたシッダールタも、富も権力も快楽も味わいながら絶望するシッダールタも、川の声に耳を澄ませ、この世界を丸ごと愛することの意味を悟ったシッダールタも、同時に草彅の身体に息づく。作中でゴーヴィンダが放つ「永遠とは瞬間を焼き付けること」という言葉の通り、舞台は草彅が“今”を生きる証を“永遠”にする時間でもあるのだ。カーテンコールでの穏やかな微笑みからは、その“永遠”を草彅自身が心から愛していることが伝わってきた。
草彅はすでに、日本を代表する俳優として富も地位も栄誉も得たはずだ。それでもなお、痛みや苦しみを抱えながら、まるで修行を続けるかのように舞台に立ち続ける。香取が「なぜ?」と首をかしげるのも当然だ。しかし、『シッダールタ』の原作にある「知恵を賢者が伝えようと試みたりすると、いつでもそれは馬鹿みたいに聞こえるものだ」という一節の通り、それを言葉で理解するのは難しいのだろう。
だからこそ、草彅が舞台に立ち続ける理由は、舞台を“体験する”ことでしかわからない。吹き出す汗。滴る涙。喉が枯れるほどの叫び。人とぶつかり、濁流に飲み込まれ、それでも立ち上がる。苦悩も絶望も、すべて含めて愛するという“生”そのものが、草彅の舞台にはある。そんな草彅剛という俳優の“永遠”を、より多くの人に、その目で、その心で、体感してほしいと願わずにいられない。
※1:https://news.mynavi.jp/article/20251112-tsuyoshikusanagi/