『日本語ラップ 繰り返し首を縦に振ること』著者・中村拓哉 “ヒップホップが似合う国=日本”に投げかけるメッセージ
韻踏み夫名義でライター/批評活動をしていた中村拓哉が本名で『日本語ラップ 繰り返し首を縦に振ること』(書肆侃侃房)を上梓した。アメリカのブロンクスで誕生したヒップホップを日本(語)で体現することに対して、真正面から向き合った一冊だ。ヒップホップヘッズなら誰しも体験したことがある、「繰り返し首を縦に振ること」。この行為を肯定と捉え、一人称のアートフォームを徹底的に解説していくのが、『日本語ラップ 繰り返し首を縦に振ること』という本である。今回、中村が本書を執筆した動機、過去/現在の日本のヒップホップシーン、さらに今後の活動に至るまで深く話を聞いた。(宮崎敬太)
日本語ラップが「誤解や偏見に晒されている」ことへの危機感
――本書はどのようなモチベーションのなかで書かれたのでしょうか?
中村拓哉(以下、中村):僕は韻踏み夫という名義で2022年に『日本語ラップ名盤100』(イースト・プレス)というディスクガイド本を書きました。過去の日本語ラップの作品や、それがどう受容されてきたかといった歴史を書籍という形で残しておくことが必要だと考えていたからです。そしてそれが“音楽ライター”としての自分にできることかな、と。一方、その次のステップとして、自分のもうひとつの軸である“批評家”として、これまでずっと日本語ラップを聴き、考えてきたことをまとめたいというのが出発点でした。
――本書からは中村さんの初期衝動――「自分がこの文章を書かねばならない」という強い熱気を感じました。
中村:僕が文章を書き始めた頃、世間的には日本語ラップやヒップホップが過小評価されていたり、誤解や偏見に晒されていると感じていました。それを一つひとつ解きほぐしたり、ひっくり返したりしたかった。思い返せばそれが“初期衝動”だったと思います。だって日本語ラップってすごいカルチャーじゃないですか。でも、世間にそのことを訴えるためには、個々の作品やアーティストを紹介したり、レビューしたりするだけでは足りない。日本語ラップというものには、こういう文化的、社会的、文学的、思想的な価値があるんだということを根底から論じる必要があって、その結果として自分は“批評”という文章のスタイルを通してずっと日本語ラップと向き合ってきたのだと思います。
――どんな面で「誤解や偏見に晒されている」と感じましたか?
中村:ひとつには、昔から言われてきた“猿真似”“不良自慢”“右傾化”みたいなクリシェに代表されるような無理解です。それと、批評の領域でも、日本語ラップを論じうるような場所がなかったと思っていました。ゼロ年代の日本のサブカルチャー批評は大きく分けてオタク系とカルチュラルスタディーズ系とに分かれていたとよく言われますが、日本語ラップはそのどちらからも、微妙にズレた場所にあり、掬い取れない状況にあったと思います。当時のインテリの価値基準からすると、日本語ラップはダメなものと評価されてしまうような磁場になっていたというか。なので、そうした批評側の考え方自体を吟味して、それに代わる価値観を提示するというところにまで踏み込まなくてはならなかった。
――「批評側の考え方を吟味して、それに代わる価値観を提示する」という点について、もうちょっと具体的に教えてほしいです。
中村:日本語ラップの独自の本質のようなものが「繰り返し首を縦に振ること」という身振りに象徴的にあらわれているのではないかと考え、それを“反復=肯定”として概念化しました。その前提には、日本語ラップというのは単なる音楽、サブカルチャーであることを超えて、独自の“日本語ラップ的思考法”のようなものをひとつの思想として語ることができるのではないか、という思いがありました。そしてその思考法は価値あるもののはずだ、と。でもそれは自分としては全然難しいことをやったつもりではなくて、普段日本語ラップを愛している人たちがみんなすでに実践していることであって、僕はそれを思想の言葉に翻訳しただけのつもりなんですね。
――繰り返し首を縦に振ること、“反復=肯定”という思想は、本当に日本語ラップ的だと思ったんです。僕もライブやクラブで最初は身体を揺らしているけど、本当にフィールしたら繰り返し首を縦に振るんです。書籍を読んでいて、「自分もやっている!」と気づかされました。
中村:ですよね。「首が振れる」ラップやビートこそが良いもの、みたいな言い回しもされることがあると思います。そこに注目しました。MONJUの歌詞に〈都会の暮らしにリズムをもたらす〉(「Blackdeep」)とありますが、たとえばイヤホンでヒップホップを聴いて、うっすら首を振りながら街を歩いたり、通勤通学したりしていると、その“反復=肯定”のリズムや感触が普段の日常生活にも浸透していく。本で伝えたかったのは、そういうフィーリングでした。
――ここでJJJさんの「Kids Return」の出だしのライン〈地下鉄の脇/首を振るのを我慢できない/そんな大人〉を引用されているのも最高でした。
中村:本当に素晴らしいリリックですよね。実際、地下鉄で首を振っていたら、周りからするとたぶん変な人だと思うんですよ。でも我慢できない。日本でヒップホップを好きになった人はそうやって生きている。そこが、見事に表現されていると思いました。
――あのあたりから、本書が一気に身近になりました。
中村:基本的な構えとしては、日本語ラップと批評というふたつがテーマですが、両者の関係をどうするかということが問題になる。そのとき、批評や思想の価値基準を使って、外側から日本語ラップをジャッジしたりすることはしないと決めていました。昔はそういう言説が多くて、それがずっと嫌いだったので、僕は逆のことをしようと。日本語ラップの本質のようなものがまずあって、その可能性を最大限引き出せるように書きたかったんです。
RHYMESTER、KOHH、BAD HOP……変わっていくヒップホップと時代
――発売されて1カ月弱(取材は9月下旬)ですが、反響は届いていますか?
中村:どのあたりの層が読んでくれているのか、まだ掴めてはいないんですけど、批評を読むような人に日本語ラップというカルチャーがあることを伝えたかったし、日本語ラップを聴いている人には、僕たちが好きな日本語ラップってこういうところが素晴らしいカルチャーだよねと確かめ合いたかった。自分でも読みやすい本だとは言いませんが、それでもいちばん伝えたかった“日本語ラップ的生き方の感覚”みたいものは、皆さんにとても正確に受け取ってくれていただけているなと感じています。
――発売後、本書でも言及されていた磯部涼さんとのトークイベントも開催されました。
中村:磯部さんは、日本語ラップというカルチャーに対して愛憎入り混じるスタンスで書いてきたと語っていました。実際、当時の磯部さんは雑誌『blast』(シンコー・ミュージック・エンタテイメント)などで歯に衣着せぬ評価をするスタイルで登場した書き手でもありますし。他方、その目から見て僕の本には“憎”がない、そこが違いだという話になって面白かったです。それはいくつも理由があると思いますが、ひとつには書き手としてシーンとの距離の取り方に由来する面もあると思います。磯部さんは、パーティーに行って、アーティストとも一緒に遊んで、フッドに取材に行くようなスタイルで、“ルポルタージュ”的に書いていた。僕はシーンからは離れた場所から、いわば一方通行の届かない“ラブレター”のように文章を書いている(笑)。
――“日本語ラップ”という言葉自体、ある種の時代性を持っていますよね。
中村:そうですね。磯部さんも“日本語ラップ”という言葉を使わないとおっしゃっていて、実際、日本で行われているヒップホップ実践を最もうまく表すかどうかという点では、いまや不正確で時代遅れな言葉とも言えると思います。ただ、そのうえで“日本語ラップ”という言葉に刻まれた歴史性やニュアンスのようなものを、僕は書き残したかった。
たとえばその精神性を代表するひとりが宇多丸(RHYMESTER)だと思っているので、本でも特権的に論じました。ごく個人的な話になってしまいますが、僕が日本語ラップを聴きだしたのは2000年代後半か、2010年前後のあたりですが、そのあたりの時期にはまだ、「キングギドラとブッダブランドが教科書」「ヒップホップを聴くなら、ジェームス・ブラウンから聴かねばならない」「Wu-Tang ClanとBoot Camp Clikを聴かないといけない」みたいな、ある種の教養主義的な空気がまだ残っていて、僕はそれに少しだけでも触れることができた。たぶんもう今のシーンにはないですよね(笑)。良い悪いの話ではなくて、自分は当時のそういう熱気や暑苦しさみたいなものも含め、“日本語ラップ”という言葉に愛着を持っています。
――実際、僕も全然違う音楽を聴いてきて、たまたま2000年代後半に“日本語ラップ”と出会いましたが、その頃は自分の不勉強も相まって排他的なコミュニティだと感じていました。
中村:今言ったような昔ながらの“日本語ラップ”から現在のシーンへの転換点としては、やはりKOHHが大きな切断点だったと思います。リリックの面でも、ビートの点でも、ファッションなどの面でも。僕が文章を書き始めたのも2015年で、まさにKOHHが席巻していた時代でした。なので、たぶんちょうどシーンの移り変わりの狭間を体験した世代なのかな。僕、Benjazzyと同い年なんですけど、彼は中学生のときにMSCだったりを聴いて、それが一貫して「カッコイイの基盤になっている」のでこの世代でよかった、という風に話していました(※1)。自分もそのあたりの時期の日本語ラップがあらゆることの価値観の基準になっているので、勝手に同世代的な共感を覚えたりしました。
――それで言うと、さらに以前の時代の「日本語ラップを正当化するために批評が必要とされた」(P19)や「日本的リアリティと対決することが、日本語ラップ最大の社会的意義」(P92)はKOHH以後を語る上でも本書で論じざるを得なかったわけですね。
中村:かつて日本語ラップは、〈「日本には Hip Hop は根付かねぇ!/日本人がラップするとはイケスカねぇ!〉(RHYMESTER「ウワサの真相 featuring F.O.H」)みたいな声と戦っていた。それはつまり、平和で裕福な日本では不可能だ、ということですね。でも、いつしかそうした中流幻想のようなものは崩壊した。結果、日本にヒップホップは根付くことができました。KOHHやBAD HOP、それ以降のラッパーたちを見れば分かると思います。でもそれは逆に言えば、日本社会が荒廃したということで、とても皮肉な話でもある。
――本書で「残念ながら、ヒップホップが似合う国になってしまいました」という宇多丸さんのラジオでの発言を引用されていました。
中村:その発言は、2011年の3.11以後の社会について述べられた言葉でした。あそこで日本社会は大きく変わったのだと思います。それで少し興味深いのは、その前年の2010年という年は、ある種日本語ラップシーンがひとつの集大成を迎えた感があったということです。一時活動休止していたRHYMESTERは『マニフェスト』でカムバックし、Ski BeatzのビートでANARCHY、RINO LATINA II、漢、MACCHOがマイクリレーした「24 Bars To Kill」が出たり。「I Rep」もそのへんでしたよね?
――2010年ですね。DABO、ANARCHY、KREVAの並びは今思うと普通だけど、当時は世代的にも、活動している場所的にも、越境して集結した感じがありました。
中村:それまでの日本語ラップの歴史を総括するような動きがあったのだと思います。ちなみにその時期は日本では民主党政権の時代で、アメリカではオバマ大統領の時代。しかし、2011年以後で切断が入る。日本では第二次安倍政権の時代になる。世界も暗くなっていく。“Me Too”や“Black Lives Matter”はヒップホップにもとても大きな影響を与えましたし、音楽性ということでもトラップが登場して一新される。そういう状況を含めていまの日本社会のリアリティは「ヒップホップが似合う国」と言えると思います。
――当時の中村さんにとって、そういった変化のなかで日本語ラップを聴くという行為はどのようなものだったんですか?
中村:2011年はまだ高校生だったので、社会のことなんて何も考えていませんでしたが、日本のリアリティの変化を強烈に感じたのはやはりBAD HOPの登場でした。2015年あたりですね。磯部さんが書かれた『ルポ 川崎』(サイゾー)にも衝撃を受けましたし。また、2010年代後半は、僕も含めて、フェミニズムやフィメールラッパーの声とも向き合う必要が出てきましたよね。男性中心主義のシーンについて、自分なりにどう考えればいいか、自分をどうあらためればいいか、当時悩んでいました。
――僕は生まれてからずっと神奈川県で暮らしているんですが、BAD HOPが出てくるまで川崎の南部の状況を知らなかったんです。でも、ケンドリック・ラマーがコンプトンの問題を「側に住んでいる中流階級の人間たちは知らない」と話していたことの意味を、身をもってわからされました。
中村:ヒップホップの力を感じる話ですね。