Oasisという現象はいかにして幕を開けたのか 関係者の証言から辿る初期の逸話、永遠のアンセムたる理由
来日公演直後、NHK総合『クローズアップ現代』でOasis特集が放送
2025年、ついに実現したOasisの再結成ツアー『Oasis Live '25』。ヨーロッパ、アメリカを回ってきたツアーは、韓国を経て、10月25日・26日、いよいよ日本へとやって来た。この原稿を書いているのは2日間にわたる東京でのライブの直前。様々なメディアに「Oasis」の文字が躍り、渋谷での公式ポップアップショップ(Oasis Live '25 Tokyo Fan Store)をはじめ、街中でも彼らのロゴや写真を目にする機会が明らかに増えている。大歓迎ムードのなか、週末の東京ドームでは最高のステージが繰り広げられていることだろう。
そんな来日公演の翌日10月27日に、NHK総合『クローズアップ現代』で世代を越えて人々に響くOasisの魅力を特集したプログラムが放送される。「オアシス再結成 なぜ彼らの歌は“刺さる”のか」と題されたこの放送では、各地のライブ映像やMV、そしてNHKが行ったファンや関係者への独自インタビューなどを通して、なぜOasisの音楽が、リアルタイマーのみならず若い世代までを含めて人々の心を摑み続けるのかを解き明かしていく。スタジオゲストにはまさに「Oasis世代」であり、彼らから強い影響を受けたサカナクション・山口一郎が出演し、Oasisへの想いを語る。
今回リアルサウンドでは、『クローズアップ現代』に向けてNHKが行ったOasis関係者への取材資料などをもとに、その内容を追いながら改めて初期のOasisの姿を浮かび上がらせてみたい。
Oasisの名曲誕生を支えた“先輩バンド”に独自取材
紹介するのは、クリス・グリフィスとトニー・グリフィスという兄弟のインタビューだ。彼らは1980年代中盤にリバプールで結成されたバンド The Real Peopleのメンバーであり、結成初期のOasisにバンド活動のイロハを教えた。また、サポートバンドとして当時のOasisを抜擢して業界内に彼らを紹介する役割を担うなど、デビューへの道筋を作った、いわば直系の“先輩”といえる存在である。
1991年8月、リアム・ギャラガー(Vo)、“ギグジー”ことポール・マッギーガン(Ba)、“ボーンヘッド”ことポール・アーサーズ(Gt)、トニー・マッキャロル(Dr)によるバンドに彼らのライブを観に来たノエル・ギャラガー(Gt)が加入したところから、Oasisの物語は始まる。その後、同年10月にOasisとしての初ステージを踏んだ彼らは、初のデモ音源の制作を始める。アラン・マッギー率いるクリエイション・レコーズと契約するきっかけとなり、のちに『Live Demonstration』(1993年)と呼ばれるこの音源に深く関わっていたのが、グリフィス兄弟だった。
NHKが行ったインタビューでは、リバプールにあった彼らのスタジオで楽曲制作とレコーディングが行われた当時のことを回想しながら、当事者である2人の口から貴重なエピソードが語られている。たとえば『Live Demonstration』の2曲目であり、のちに1stアルバム『Definitely Maybe』(1994年)にも収録されることとなった「Columbia」について。ノエルがOasisに加入して最初に書いた曲だとされているこの曲は、当初は歌詞とメロディのないインストゥルメンタル曲だったという。そこにメロディをつけたのはグリフィス兄弟であり、最初に歌ったのはクリス・グリフィスだった、と2人は語っている。
「この曲(「Columbia」)だけは、インストゥルメンタル曲としてデザインされていたんだ。歌詞とかそういうものは一切つかない予定だった。でも、レコーディングしてる時に俺が言ったんだ、『これ、良すぎるよ』って」(クリス・グリフィス)
ノエルはそれ以前からソングライティングを行っていたが、その方法論はすべて自己流であり、バンドを組むのもOasisが初めてだった。そんな、ミュージシャンとしては駆け出しの彼に、グリフィス兄弟は楽曲の構造やレコーディングのやり方などを教えた。今となっては意外に思えるかもしれないが、当時のノエルはそうしたアドバイスや指導にも、素直に耳を傾けていたという。
「どんなアドバイスや提案も素直に受け入れるのが本当に上手だった。今は全然違うだろうね。彼は自分のプロデューサーだし、あれだけヒット曲を書いているんだから、今となっては誰かに自分の曲についてアドバイスされるのを嫌がると思う。でも、これを録音していた当時、1993年頃の話だ」(クリス・グリフィス)
ノエル・ギャラガー、初期から突出していた“言葉を超えた”作詞の才能
先輩のアドバイスを吸収して、ノエルとバンドはその才能を瞬く間に開花させていく。グリフィス兄弟が語るのは、彼らのデビュー曲となった「Supersonic」の誕生秘話だ。よく知られているように、Oasisのデビューシングルは本来これとは別の楽曲「Bring It On Down」になる予定だった。だが、グリフィス兄弟も協力してそのレコーディングが行われるはずだったスタジオで、Oasisは突然、まったく別の曲のジャムセッションを始めたという。それが「Supersonic」の原型だった。録音のセッティングが整うまでのあいだ、彼らはウォーミングアップとして新たな曲を演奏していたのだ。結局その夜は「Bring It On Down」のレコーディングは行われず、その“新曲”をまとめ上げることに費やされた。
この「Supersonic」についてよく語られているのは、楽器のレコーディングを終えたバンドのメンバーがパブに遊びに行っているあいだにスタジオに残っていたノエルが、ほんのわずかな時間で歌詞を完成させた、という逸話だ。のちにボーンヘッドも「晩飯を食っているあいだにできた」と語っている通り、ノエルのソングライターとしての伝説を表すこのエピソードを、トニー・グリフィスも自身の記憶をたどって話してくれている。
「ノエルだけ残してパブに行ったのだけど、戻ってきたら歌詞はもう書かれていた。作詞が本当に得意だったんだ。パブにいたのは1時間くらい、一晩中とかじゃなかった」(トニー・グリフィス)
「彼は部屋で起きてることを書いてたんだ。隣でオナラしてる犬のこととか、BMWがあったこととか、その日あったことをただ書いてただけなんだ」(クリス・グリフィス)
ここに、作詞家としてのノエル・ギャラガーの“作法”と“魔法”が透けて見える。様々な解釈をされてきたOasisの歌詞だが、それが書かれた時点で、そこに深い意味はなかった。「Supersonic」でいえば、歌詞に登場する〈Elsa〉というのは、じつはスタジオにいた犬のことだったりする。クリス・グリフィスはこう語っている。
「座って意図的に、真剣に何かを書こうとすると、その物語が“物語すぎて”しまう。読む分にはすごく良いが、歌おうとすると真面目すぎる。だから流れに任せた方が良いんだ」(クリス・グリフィス)
Oasisの歌詞はまさに歌うために書かれた歌詞だ。だからこそ、その言葉は本来の意味を超えて多くの人の心に残り続け、文字通りのアンセムとして響き渡る。そんなOasisの魅力の一端をあらためて感じることのできるエピソードだ。
1990年代に世界を席巻し、時を経て再結成を果たした今も当時に比肩するような熱狂を世界で生み出しているOasis。だが当然のことながら、彼らは最初からビッグなバンドだったわけではない。ノエルとリアムの兄弟を中心としたメンバーと周囲の人々が紡いできた物語があるからこそ、我々はそこに感情移入し、その歌に、歌詞の言語的な意味以上のものを感じ取ることができる。その物語を知ることこそ、Oasisを知ることだと言ってもいい。
その意味で、駆け出しの頃の彼らを知る人物のインタビューは大きな意味を持っており、そこから浮かび上がるOasis像は、きっと単に音楽を聴いているだけでは伝わりきらない魅力をたたえていることだろう。『クローズアップ現代』では、ここに挙げた以外にも様々なインタビューを通してOasisの魅力に迫っていく。“壮大なドラマ”の一端を知ることのできる今回の放送に、ぜひ注目してほしい。
<番組情報>
NHK総合『クローズアップ現代』
「オアシス再結成 なぜ彼らの歌は“刺さる”のか」
初回放送日:10月27日(月)19時30分
番組詳細・配信情報:https://www.web.nhk/tv/an/gendai/pl/series-tep-R7Y6NGLJ6G/ep/JWWJQPVY5M