ソニン「記憶を消していかないと生きられなかった」 激動の25年――今生きる場所と新しい挑戦を語り尽くす

 ダンスボーカルユニット・EE JUMPのメンバーとしてデビュー。ソロでの音楽活動を経て、現在はミュージカルやドラマなどで俳優として存在感を放っているソニンが、10月18日、デビュー25周年を迎えた。12月13日には、『Sonim's 25th Anniversary Live「Beautiful Mission」』を開催予定だ。

 今回リアルサウンドでは、ソニンに“これまで”と“これから”をじっくり話してもらった。かつて“波乱万丈”と言われた彼女が逆境を乗り越えられるようになった理由と今ここにいる意味、そして新たな挑戦まで――。そのすべてを語ってくれた。(松本まゆげ)

限界に達する場面はいっぱいありましたね。でも、“辞める”という選択肢はなかった

――EE JUMPとしてデビューして25年。現在は舞台やドラマなど女優業を中心に活動していますが、どんな25年間だったと感じますか?

ソニン:ひとことで言うのはとても難しいですが、仕事に捧げてきた25年だったと思います。10代、20代、30代、40代と、プライベートはほとんどないままひたすら仕事をしてきたので。芸能界って特殊で、私生活もすべて仕事に結びつく世界なので、公私の境界線をなかなかつけづらいんです。それでも、私は(境界線を)つけてきたほうだと思うんですけど。

――気づけば仕事のことを考えている?

ソニン:そうじゃないと生きられない世界だと思っています、芸能界は。そのうえ、プライベートもどこで誰に見られているかわからないじゃないですか。なので、常に仕事と結びつけてすべてを考えて生きてきましたね。25年もやってきたので、もう慣れました。

――しかも、ソニンさんの場合は、2003年にドラマで芝居に挑戦し、翌年舞台の世界へ。2007年にはミュージカルにも初出演するなど、着実に活動の幅を広げている印象です。こんなにもハングリーでいられるのはなぜなんだろうと気になっていました。そもそも、ご自身は自分のことをハングリーだと思っているのでしょうか?

ソニン:ハングリー精神はあると思います。子供の頃から運動にしても勉強にしても負けず嫌いだったし、「楽しい」と思えるものは自分のものにしてなんぼ、と思うようなところがあったと思います。

――ある種、そのマインドが芸能活動の原動力になっている?

ソニン:そうだと思います。私は高校生の頃にデビューしたのですが、親の了承を得てひとりで東京に出てきたんです。だから、デビュー当時から生半可な理由では諦められないというか、やめられない気持ちがあったと思うんですよね。私の芸能活動は、最初からいろんなことが起きていて、ウィキペディアにもたくさんまとめられていますけど(笑)、「ほんっとにもう無理!」となるまではやり切ろうと思っていました。

――でも、これだけ多彩な活動をしていると、「もう無理!」に近い出来事はあったのではないか、と。

ソニン:限界に達する場面はいっぱいありましたね、正直。でも、“辞める”という選択肢はなかったです。そのタイミングで辞めるということは、私にとっては逃げるようなものだと思っていたし、“逃げる”、“あきらめる”という選択は自分の主義に反すると思っていたから。逃げるか立ち向かうかだったら、迷わず立ち向かうほうを選択してきました。今だったら「逃げてもよかったんじゃない?」と、若い頃の自分に言えますけどね。

クリアすればするほど強くなっていく、ゲームの主人公みたいな(笑)

――逃げない選択をすることで、よりつらい状況に追い込まれることもありましたよね、きっと。

ソニン:あったんだと思います。だけど、乗り越えられないものはないと、どこかで思っている自分がいるんです。今でも、「もう限界かも」と思うくらいつらいことは起きますけど、究極を言えば、これで命を落とすことはないからという気持ちが昔からあって。「じゃあ乗り越えよう!」みたいな気持ちでやっています。いまだにそうですね。

――そういうマインドも、子どもの頃から?

ソニン:子どもの時からというよりも、いろいろ経験して強くなったんだと思います。若い頃、自分以外が原因となったことでいろんな崖っぷちを味わってきて、それを毎回乗り越えてきたから「もう乗り越えられないものはないでしょ!」と自分のなかで思っているんでしょうね。クリアすればするほど強くなっていく、ゲームの主人公みたいな(笑)。

――なるほど、そう言われるとわかりやすい(笑)。経験値を上げて、ちょっとやそっとでは倒れない精神が身についたんですね。

ソニン:そうそう。そうやって耐性がついて、心のキャパも広くなったんだと思います。「そのくらいなら全然いける」「きっと今回も大丈夫でしょう」と言えることが増えてきた感じがしますね。だから、これまででいちばんつらかった出来事というのも、挙げづらいんですよ。自分がレベル1の時のつらい出来事は、レベルが上がった今の私が振り返るとなんてことないから。最初に限界を迎えた瞬間は、ユニットでデビューしたけれど意図せずソロになって、570キロのマラソンを走れと言われた時だと思います。

――高知から韓国まで走るというテレビ番組の企画ですね。デビューしてすぐだったかと。

ソニン:2、3年目だと思います。19歳だったかな。「なんで?」と思いながらも、やらなきゃいけないと思って走って、肉体的にも精神的にも追い込まれました。そこで限界を迎えた記憶があります。限界を超えると、人って喋ることも普通にしていることもできなくなるんだなと、その時に体感しました。

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