BEGIN、ニューアルバム『太陽』で紐解かれた“島唄への葛藤” 「涙そうそう」と「島人ぬ宝」の制作秘話も

 沖縄県石垣島出身のバンド・BEGINはデビュー35周年を迎えた今年、実に精力的な活動を展開している。3月22日の大阪城ホール、3月30日の日本武道館と2日間にわたって35周年記念公演『さにしゃんサンゴSHOW!!』を開催。5月10日からスタートした約8年ぶりのライブハウスツアー『さにしゃんライブハウスツアー』は6月15日にSHIBUYA CLUB QUATTROでファイナルを迎えた。6月28日には25回目となる『うたの日コンサート2025 in 那覇』を開催、7月2日には7年ぶり21作目となるオリジナルアルバム『太陽』を発表、さらに9月からは全国ツアー『「さにしゃんサンゴSHOW!!」 ~35年目の音楽旅団ツアー~』も控えている。BEGINの3人、比嘉栄昇(Vo)、島袋優(Gt / Vo)、上地等(Key / Vo)に、新作アルバム『太陽』の話を軸としつつ、35周年の一連の活動や「涙そうそう」と「島人ぬ宝」の制作エピソード、BEGINが考案した楽器、一五一会についてなど、幅広いテーマで聞いた。(長谷川誠)

BEGINの歌は、BEGINだけのものじゃない

――35周年記念公演の日本武道館と大阪城ホールでのライブを終えての感想を教えてください。

比嘉栄昇(以下、比嘉):BEGINは本来、武道館や大阪城ホールをメインの会場とするバンドではないので、「ちょっとお邪魔します」といった気持ちがありました。お客さんにも緊張しすぎないように、せめて「ここは公民館」くらいの感覚になってもらえないだろうかと思って、ステージに立っていました。

島袋優(以下、島袋):友達のミュージシャンが、「めちゃくちゃ大きいライブハウスで見ている気持ちになった」と言っていたので、僕らがやりたかったことは伝わったのかなと思います。

上地等(以下、上地):自分では35周年という実感はなくて、いつの間にかここまで来てしまったなという感じなんですけど、武道館や大阪城ホールのお客さんを目の前にした時に、こんなにたくさん来てくれたのは、これまでの時間がそうさせてくれたかなとは思いました。

―― 武道館でも演奏された代表曲についても、うかがわせてください。「涙そうそう」は森山良子さんの依頼で制作したとのことです。デモテープを送った際に、「涙そうそう」とメモして、そこから森山さんが亡くなられたお兄様を思い、作詞されたとのことですが、その経緯を改めて伺えますか?

島袋:97年頃に3人で作っていて、栄昇が最後にあのメロディに対して、とてもナチュラルに「涙そうそう」と歌ったんですよ。それで、「これ、いいね」ということになり、「涙そうそう」(仮)とMDに書いて森山さんに送りました。森山さんから、「『涙そうそう』ってどういう意味?」と質問されて、「沖縄の方言で涙がポロポロこぼれるという意味です」とお答えしたら、あの歌詞を書かれました。

比嘉:この曲ができて、最後に「涙そうそう」と歌ったら、収まりが良かったんですよ。沖縄方言になったのは、優のお母さんが、子どもたちに沖縄方言で絵本を読み聞かせる会をやっていたことも関係しているかもしれません。

島袋:沖縄でも方言離れがすごいので、うちの母親が方言で絵本を読み聞かせる「くにぶん木の会」という会を作っていたんですよ。母はもう亡くなってしまったんですが、まだ元気だった頃に、月に1、2回、そういう活動していましたね。

――大切な人を亡くすことは、誰しもが経験していることです。「涙そうそう」はそうした経緯で制作されて、普遍的な歌になったのですね。

比嘉:自分だったら書けていない歌詞だと思います。共作することで思いがけず人生の深い部分、もしくは蓋をしておきたい部分の蓋が開くことはあるのだなと思います。

―― 「島人ぬ宝」も、石垣中学校の生徒の書いた文章をもとにして作った楽曲ということですが、経緯を教えていただけますか?

上地:僕らが子どもの頃に『あたらしい沖縄のうた』というNHKの歌番組があったんですよ。いわゆる『みんなのうた』みたいなもので、現在は放送されていないんですが、そこで流れた歌を、子どもの頃によく歌っていたんですね。その歌たちを巡る番組が沖縄のNHKで放送されて、「もう1回、新しい曲を作りたいね」ということが「島人ぬ宝」の制作のきっかけになりました。僕たちの同級生が中学2年生の担任の教師をやっていたので、授業で生徒たちに「島への思い」についての文章を書いてもらうところからスタートしました。

比嘉:島の子どもたちから出た言葉の中には、「色白になりたい」、「ヤギは可愛い」みたいなものもありました(笑)。その中に、「島は宝です」「じいちゃんは宝です」など“宝”という言葉が入ったものがあり、自然と浮かび上がってきた柔らかい気持ちのままの言葉を拾っていった感じですね。もしかしたらBEGINの歌は、「島人ぬ宝」に限らずどの曲も、BEGINだけのものじゃないという気がします。自分の中では、歌というものを自分で作っているとは到底思えないんですよ。ブルーズ、ハワイアン、マルシャなどもそうですが、自分が深く影響を受けている音楽から、「ここはこうしなさい」「こんな節回しで」と教えられている気がします。

―― ニューアルバム『太陽』は7年ぶり21作目のオリジナル作品です。7年ぶりとなったのは、どうしてでしょうか?

島袋:2020年がBEGINの30周年だったので、そのタイミングで、ライブや作品制作の計画を立てていたのですが、コロナ禍で流れてしまいました。それまでにリリースした曲をまとめてアルバムにするよりは、新しく一から作るほうがいいのではないかということで、去年の暮れから準備し始めて、今年になって、石垣島でレコーディングして、“MADE IN 石垣島”の作品になりました。

上地:35周年もいいきっかけになりました。僕は18歳で上京してから、ずっと石垣島に戻っていなかったんですが、それでも石垣島への思いは常にあって、今回のレコーディングを石垣島でやれて、良かったと思っています。

比嘉:僕としては、せっかくレコーディングで長い時間を過ごすんだから、このタイミングで、等(上地)も優(島袋)も実家に帰ったらどうなのかという気持ちが、まずありました。レコーディングのやり方も変わってきて、以前のように大きなスタジオでやらなくてもいいですし、暮らしの中の音楽を作りたいですし、暮らしているところのほうが歌いやすいから、石垣島でレコーディングしたいと思っていました。

島袋:長期間、石垣島にいることが最近はなかったので、新鮮な気持ちになりました。スタジオに行くまでの道のりも楽しいんですよ。今日は、違う道からスタジオに行ってみよう、みたいな感じで。そういうことも含めて、かなり気持ちは違いました。

――不便なことは?

比嘉:いちばん面倒くさかったのは夕飯ですね。東京だったら出前を取ることもできますが、石垣では出前をやっている店がない。スーパーで肉でも買ってきて、炭火で焼いて食べたりしていましたが、そういうことができるのが石垣島なんですよ。

――そうした環境の中で生まれたニューアルバム『太陽』、素晴らしい作品です。根底には喪失感も漂っていますが、未来へのまなざしも存在する作品です。35周年にして、新たに始まっていくアルバムという印象も受けました。タイトル曲の「太陽」は、どんなきっかけから生まれた曲ですか?

比嘉:この歳になると別れもあって、親や祖父母など、順番通りの別れは、まだ納得のいく部分もあるのですが、後輩や音楽仲間、先輩方が亡くなられると、家族とは違う喪失感があるんですよ。「憂歌団のフルメンバー、もう間近で観られないんだな」とか、「清志郎さんも逝っちゃったな」とか。でも今になって、悲しみしかないと思っていた影の部分に、ふと日が差したと感じる瞬間があったんですよ。影の部分だからこそ、光に転換することもあると思ったことが、「太陽」を作るきっかけになりました。

――この曲が出来上がってきて、どう感じましたか?

島袋:もしかしたら、俺も栄昇も等も、「太陽」で思い出す人が違うのかもしれません。「涙そうそう」もそうですが、それぞれに思い出せる人が存在している曲になったんじゃないかと思います。〈俺の太陽は お前の笑い顔さ〉という部分でも、俺は、去年亡くなった大好きだった大先輩の顔が浮かぶんですよ。歌は映像がない分だけ、自分の頭の中で映像を作れるところがいいなと思います。

上地:最初にこの曲を聴いた時に、栄昇があるスタッフの名前を言ったので、その人のことを歌っているのかって、その瞬間にすっと入ってきました。歌詞の意味がリアルにわかるんですよ。この曲、いいな、ぜひやりたいと思いました。

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