氷川きよしへの憧れから掴んだ『レコ大』新人賞 小山雄大、新曲「じゃがいもの花」に込めた思いを語る

 小柄で童顔のやさしい雰囲気ながら、歌声は地元・北海道の大地のように広くて大きく温かい。演歌歌手・小山雄大が、3月5日の誕生日に新曲「じゃがいもの花」をリリース。昨年4月10日にデビューして以来、同年12月には『第66回 輝く!日本レコード大賞』(TBS系)で新人賞を受賞するなど、着実にその名を全国に広めている小山。演歌歌手を目指したきっかけから、作曲家・弦哲也の元での修行について、「じゃがいもの花」制作にまつわる話など多岐にわたった質問に、一つひとつ丁寧に、正直に話してくれた。一度会ったら誰もが応援したくなる、「全国民の孫」小山雄大の魅力に迫った。(榑林史章)

“氷川きよしごっこ”から拓いた演歌の道「僕には歌しかなかった」

――もともと氷川きよしさんに憧れて演歌歌手を目指したとのことで、好きになったのは2歳頃だったそうで。

小山雄大(以下、小山):テレビに氷川きよしさんが映ると「きよし! きよし!」と叫んで、一緒に「きよしのズンドコ節」を歌っていたそうで、その姿がホームビデオに残っています。とは言え、決して演歌好きの親だったわけではなくて、コブクロさんやDREAMS COME TRUEさんが好きで、むしろ家ではそういうJ-POPが流れていることのほうが多かったんです。でも、僕はたまたまテレビで歌っていた氷川さんを好きになり、演歌にドハマリしてしまったわけです。

氷川きよし / きよしのズンドコ節【公式】

――おじいちゃん子、おばあちゃん子で、祖父母の影響で演歌好きになるという話は、よく聞きますけど。

小山:演歌歌手あるあるですよね(笑)。でも、僕の場合は自発的でした。

――演歌の何が響いたのでしょうか。

小山:そもそも、子どもながらに和っぽい、日本っぽいものが好きだったんです。たとえば、お祭りの和太鼓演奏って、大きな音にびっくりして小さい子は泣いちゃうことが多いと思うんですけど、僕は2、3歳の頃から最前列で、かぶりついて和太鼓演奏を観ていたそうなんです。民謡を始めたのも、4歳の時に北海道・奥尻のお祭りで三味線の演奏を観たのがきっかけで。それを考えると、氷川さんの姿に食いついたのも頷けるなと、自分でも思います。そんな幼少期を経て、気がつけば「演歌歌手になる」と、ことあるごとに口にしていました。

――小山さんにとってのガチャピンやムックが、氷川さんだったと。

小山:そうかもしれません(笑)。4歳で民謡教室に入った時も「僕は演歌歌手になります」と宣言したらしく、あとから教室の先生にも「すごくびっくりした」と言われました。僕の歌の基礎を作ってくれたのは、民謡教室の先生なんです。『日本レコード大賞』で新人賞をいただけたのは、教室で鍛えてくださったからだと思っているので、新人賞の時も真っ先にご報告させていただきました。先生からは「よかったね」「北海道から応援しているから、しっかり歌いなさい」と言っていただきました。

――そういう民謡教室の先生をはじめ、地元の応援というのはアツくて力になりますね。

小山:はい! 地元の民謡教室の関係者、通っていた学校の先生やクラスメイトたち。CDを買ってくれたり、すごく応援してくださっていて、モチベーションになっています。初めて会ったばかりなのに「私の孫だから」と言ってかわいがってくださる方も多くて、本当に嬉しい限りです。僕はすごくポジティブ思考なので、もちろん落ち込む時もありますけど、ずっと笑っています。朝起きた瞬間から笑っていますね。

――そのポジティブ思考が、夢を叶えるために必要なスキルだったのでしょうね。

小山:そうだと思います。たとえ落ち込むことがあっても、ただ落ち込んでいるだけではダメで。「じゃあ次はこうしよう」「ああしよう」と対策したり、「僕ならできる!」と自分を鼓舞したり、マイナスをプラスに転換することができるのは、ポジティブ思考が根底にあるからだと思います。

――すぐに切り替えができて、あまりクヨクヨしない?

小山:はい。ネガティブになりそうなときは、いつも歌が力になってくれました。

――氷川さんの楽曲とか?

小山:たしかに、氷川さんの歌はいつも隣にありました。学校から家に帰ると氷川さんのライブDVDをかけて、2時間半一緒に歌ったりしていましたね。早着替えのシーンでは、僕も早着替えをして、着物を着たり、私服に着替えたりして(笑)。下からせり上がるシーンでは、ソファの背もたれにしゃがんで隠れて、少しずつ上がっていったり。

――ヒーローごっこのように、“氷川きよしさんごっこ”をしていたんですね。

小山:そうです。セットの階段を歌いながら下りていく練習は、幼稚園の時からやっていました。いかに下を見ずに前を向いて歌いながら下りることができるか、という。そういう子どもでした。

――それはもう演歌歌手にさせるしかないと、親御さんも思いますよね。

小山:僕には歌しかなかったんです。北海道日本ハムファイターズが好きで、ファンクラブに入って試合を観に行ったり、放課後にみんなと野球をやったりしていましたけど、あくまでもそれは趣味であって、「プロになりたい」と思ったことはなくて。演歌歌手になるという夢が、ブレたことは一度もありませんでした。声変わりの時期に声が出なくなったこともありましたが、それでも歌うことをやめようとは思わなかったです。

先輩・三山ひろしの付き人にも――修業時代と『日本レコード大賞』新人賞

――小山さんはマジックが得意ですが、マジックはいつからやっていらっしゃるんですか?

小山:小学校の5、6年生の時にクラスでマジックが流行っていて、最初はトランプを買って友だちにカードマジックを教わったんですけど、1カ月くらいで飽きちゃって。そのあと、高校1年生の年末に大掃除をしていたら当時のトランプが出てきて、それを触った瞬間にハマりました。僕は一度ハマったらとことんまでやってしまう性格なので、それからは毎日のようにトランプを触って練習するようになって。手ではトランプを触り、口では演歌を歌うという練習方法を編み出しました(笑)。

――マジックボイスの由来はそこですね。

小山:はい(笑)。マジックも最初は本当に趣味で、皆さんの前で披露するなんて思ってもみなくて。

――でも、一般社団法人 日本マジックファンデーションの「The Japan Cup 2025 〜著述放送文化賞〜」を受賞されて。趣味の域を超えていますよね。

小山:本当にありがたいです。事務所の先輩である三山ひろしさんが、歌とけん玉の二刀流なので、それを見習って僕も歌とマジックの二刀流を極めていけたらと思っています。

――上京から6年、デビューから1年が経ちました。この1年は、どんな期間でしたか?

小山:デビュー曲「道南恋しや」をひとりでも多くの人に届けるべく、北は北海道、南は九州・鹿児島まで、全国約100カ所でキャンペーンをやらせていただいて。皆さんから「この歌好きだよ」「この歌で元気になる」と言っていただけて、すごく嬉しかったです。事務所の松前ひろ子先生、三山先輩にもたくさんご指導をいただきながら、本当に多くの方の支えがあっていただけた『日本レコード大賞』新人賞だと思っています。放送当日はド緊張してリハーサルからガチガチだったんですけど、袖からステージのセンターまで歩いているあいだ、これまでのことが走馬灯のようによみがえって泣きそうになりましたけど、グッと涙を堪えて、そして一年の感謝の気持ちを込めて、「道南恋しや」を歌わせていただきました。

「第66回 輝く!日本レコード大賞」新人賞|小山雄大「道南恋しや」Music Video (Full Ver.)

――で、ステージ袖に戻った瞬間に――。

小山:泣いてしまいました(笑)。

――デビュー前に約6年間の修業時代があったわけですけど、その期間はどういう6年間でしたか?

小山:デビュー前は作曲家の弦哲也先生に師事をして、歌の勉強をさせていただいていました。弦先生のところには中学1年生から通っていて。当時はまだ北海道に住んでいたので2カ月に1回くらいの頻度でレッスンしていただいて、高校1年生で上京してからは毎日のようにみっちりといろいろなことを学ばせていただきました。歌の勉強はもちろん、弦先生のコンサートにもついて行って学ばせていただいたり、すごく貴重な経験をたくさんさせていただきましたね。松前先生の事務所を紹介してくださったのも、弦先生です。事務所に入ってからは、三山先輩のコンサートからこういった取材現場まで見学して、付き人のように同行させていただきました。まだデビュー前にもかかわらず、三山先輩のステージで歌わせていただいたこともあったりして。歌のことだけでなく、歌謡界や芸能界のことも学ばせていただきました。あの6年がなければデビューは叶わなかったでしょうし、今の僕はいなかったと思っています。

――高校に通いながらでしたもんね。

小山:もちろん学業優先ではありましたが、空いている日は弦先生のコンサートのお手伝いをさせていただきました。

――歌謡界ならではの礼儀作法とかもあるので、現場でそれを見ることも大切ですね。

小山:はい。いろいろなことを間近で勉強させていただきました。

――早くデビューしたいのになかなかできないと、苦しい時期もありましたか?

小山:苦しいというよりも、不安な時期はありました。上京した時には「本当に演歌歌手になれるのか」と、くじけそうになったこともありました。でも、そこは持ち前のポジティブ思考で「弦先生を信じていれば絶対大丈夫!」「悩んでいる暇があったら、もっと歌の練習をしよう」って。いつデビューしてもいいように、準備を整えていました。

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