映秀。×カツセマサヒコ、音楽と文学で紡ぐ誰かを救う言葉 「僕らが見ていた景色はほとんど同じだった」

カツセが「歌うための言葉」で見つけた新たな発見

ーー例えばUiLLoUさん(本作のサウンドプロデュースやアレンジを担当)のような「音楽畑」の人たちと制作するのと、カツセさんのように言葉を扱う方とコラボレーションするのでは、やはり全然違いますか?

映秀。:まるっきり違います。音楽家と一緒にやる場合、考え方や視点が似ているところもあるので、大抵は「そうそう、そうだよね」で話が進んでいくことが多い(笑)。でも、カツセさんとの作業では「え、そうなる!?」みたいな意外性が毎回あって、そこから新しい発見がどんどん生まれていく……。自分の中でパラダイムシフトが次々と起きているような感覚でした。

 中でも印象的だったのは、曲が完成した時の「ピースがすべて揃った」みたいな感覚です。今まで歌詞を作っていて、こんなに「気持ちいい!」と思えたことは正直なかったんですよ。バラバラだった要素がすべて繋がり、一つの作品として成立した時の感覚は本当に特別でした。聴いてくれる人のことを考えたり、視点を多層的に動かしてみたりすることで、ようやく得られた経験だったと思います。

ーーカツセさんは、これまでもindigo la Endなどとのコラボなど他ジャンルのクリエーターと積極的に制作をしていますよね。そこでインスパイアされることも多いのでは?

カツセ:おっしゃるとおりです。今回の一番の発見は、「歌うための言葉」という感覚に触れたこと。僕が普段、小説を書いているときは、言葉そのものが完結した世界というか、目的にも手段にも取って代わる感覚に慣れています。でも、音楽では言葉が一つのツールとして音に乗り、それによってリズムや感情、メロディが加わることで、さらに深みや広がりが生まれるんです。

 このプロセスを知った時、まるで今まで見えなかった景色を見せてもらったような感覚がありました。小説と違い、音楽では言葉そのものに頼らなくても、リズムやメロディが感情を補完してくれる。その違いに、ものすごく刺激を受けました。

ーーそれは小説にもフィードバックできそうですか?

カツセ:例えば小説を書く時にも、単なる文章にとどまらず、リズムや感情の流れを意識して書けるようになると思いました。韻を踏むとかそういう次元ではなく、読み心地を良くしたり、逆に意図的に感情を揺さぶったりするような表現が自由にできるようになるのではないかと。

ーーもう1つのコラボ曲「瞳に吸い込まれて」は、どのようなテーマや経緯で制作されたのでしょうか?

映秀。:最初は一人で作るつもりだったんです。何かに没頭してしまう瞬間や、幸せな時間にふと終わりを意識してしまう感覚を書きたいなと。日常の中でも、たとえば今のこの会話だって、数分後には終わってしまう。そういった時間の流れを感じつつも、その瞬間を精一杯味わいたい、という思いが根底にあります。それを曲にしたかったんです。ただ、「youme」を作り終えた直後だったので、ハードルが上がって筆が全く進まなくなり……そこで「もう一度カツセさんと一緒にやりたい」とお願いしました。

カツセ:送られてきた曲が「youme」とは全く違うテンポ感の曲で、「これは新しい挑戦ができる!」とワクワクしました。仮歌と歌詞を聴いた時点で、すでにフレーズもメロディも良いし、可能性をすごく感じました。たとえば、〈駅前の本屋が潰れてた〉というフレーズは、最初から映秀。さんの仮歌に含まれていたんですよ。

ーーえ、そうなんですか? カツセさんらしい表現だなと思っていました。

映秀。:ですよね。でも、実は僕が書いたんです(笑)。

カツセ:そのあたり、お互いの感覚が自然に寄り合っていた部分もあるのかもしれない。Bメロのメロディもすごく良くて、いろんな歌詞パターンを試しながら、「これなら歌いやすい」「このフレーズがしっくりくる」というのを映秀。さんに確認しながら進めました。

映秀。:カツセさん、最初は「僕、歌詞にハメるのとか初めてで無理かも」なんて言っていたのに、後半になると「これだ!」って完璧な歌詞を出してくださるようになってきて(笑)。「読み物」ではなく「歌詞」として仕上がっていく感覚がありました。

カツセ:「先生」のおかげです(笑)。

映秀。:(笑)。僕も「youme」の制作を通じて、情景描写だけじゃなく、主人公の視点からどう切り取るかを考えるようになりました。その結果として、〈駅前の本屋が潰れてた〉というフレーズが、自分の中でも特に引っかかるものになったんです。こういった発見ができたのは、今回のコラボがあったからこそですね。

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