レイニに初インタビュー 『相続探偵』主題歌「ラストレター」に至るまで、幼少期からの音楽遍歴を辿る

 新人アーティスト・レイニが、ドラマ『相続探偵』(日本テレビ系)の主題歌「ラストレター」でソニー・ミュージックレーベルズ内レーベル、キューンミュージックからメジャーデビューを果たした。本楽曲は、レイニ自身が最後の手紙ーー“遺書”を書くとしたらというテーマに、ドラマのストーリーと深く響き合う感情を歌に込めた作品だ。レイニにとって記念すべき初のインタビューでは、音楽を通じてどのように自身の想いを表現してきたのか、海外留学を経て音楽活動を本格的にスタートさせるまでの道のり、そして歌とどのように向き合ってきたのかを深掘りしていく。これからの音楽シーンで大きな存在感を放つであろうレイニ、その成長と未来を感じさせる貴重な一作に迫る。(編集部)

“やんちゃ”だった幼少期の思い出

──レイニさんの幼い頃の記憶で、最初に思い浮かぶのはどういったことですか?

レイニ:子供の頃の僕は結構わがままで反抗的で、3つ上の兄とよく喧嘩したりしたんですけど、裸足のまんま家出することが多くて。家出といっても子供なので、本当に近所を走って隠れるだけで、すぐに兄が自転車に乗って探しにやってくる。そういうやんちゃだった頃の記憶が強く残っています。

──周りからもそういう子だと見られていた?

レイニ:そうですね。勉強はできていたんですけど、元気すぎて自分が楽しいと思うことを全部やっちゃうので、親は大変だったとは思います(笑)。

──その頃はどんなことに夢中でしたか?

レイニ:サッカーを5年間やっていたので、その瞬間は夢中になっていました。ピアノ教室にも6年間通っていたんですけど、ちょっとうぬぼれていたというか……「自分、天才だな」と思いながら習ってたんですよ(笑)。本来なら家でも練習してから次のレッスンに行くところを、何もせずにピアノ教室に行っても弾けちゃうから天才だと思って、まったく練習しなかったんです。なので、今は全然できないですね。

──ピアノはご家族に勧められて始めた?

レイニ:そうです。自分から何かやりたいと言って始めたことは……もしかしたらその頃は何もないかもしれないですね。

──音楽に対しての興味は、その頃どうでしたか?

レイニ:音楽を聴くといっても、家で父や母が聴いている音楽がすべてで、当時母が森山直太朗さんが好きだったので、よく聴いていた記憶があります。中学に入ってから、ジャムセッション研究部っていう軽音部みたいな部活に入って、そこでドラムやギターをちょっとやったり、あとは少し歌わされたりとかはありました。

──中学に上がってからも、やんちゃな感じは変わらず?

レイニ:いや、だいぶ変わってしまって、ちょっと根暗というか。周りの人と積極的には絡まないけど、向こうが絡んできたら絡むような感じで、親ともあまり会話したくないなとかよくある思春期みたいな生活を送ってました。

ONE OK ROCKへの強い憧れ 学生時代に単身渡米

──小学校、中学校生活を経て、レイニさんは16歳で渡米しています。どうして単身渡米しようと思ったんでしょう?

レイニ:小学校6年生くらいの頃にONE OK ROCK(以下、ワンオク)の「Re:make」という曲と出会って、そこから中学時代はずっとワンオクが大好きで。ライブも行ってCDもずっと聴いていたんですけど、そこからワンオクのTakaさんみたいに僕も英語で歌ってみたいなと思うようになったんです。ただ、その時点では将来的に歌を目指していたわけではなく、単純に英語で歌えるようになりたいと……本当に大した理由ではないんですけど、それが目的で海外に留学させてほしいと親に伝えました。

──その頃、将来こういう職業に就きたいという夢は具体的に持っていなかった?

レイニ:まったくなかったです。ましてや歌うことは日常生活における楽しみの1つでしかなかったので、プロの歌手になるなんて頭の片隅にもなかったです。同じ生活を続けることが好きじゃなかったので、それもあって海外留学という選択肢が生まれたのかな。別に当時寂しかったとか周りの環境が嫌だったとかそういうことではなく、単純に1人で海外に行って生活できるということが楽しみでしかなかったんです。もちろん、友達と一緒に進学して青春したかったなという気持ちもありましたけど、海外留学に行ってなかったら今の自分はないので、結果よかったなと思っています。

──16歳にして思ったことを行動に移せるその決断力は、正直すごいと思いますよ。

レイニ:よく言えばおっしゃっていただいた通りかもしれないですけど、悪く言ったら自分の世界に入り込みすぎて周りが見えない人なのかもしれない。単に子供すぎて、何も考えてなかっただけかもしれないですよ(笑)。

──実際、現地での生活はどうでした? 生活環境は言葉の違いも大きいし、大変さが伴ったかと思いますが。

レイニ:その頃の僕は全然英語が喋れなかったですし、それこそ中学では英語が大の苦手だったので、当然言語の壁にぶち当たりました。相手が何を言ってるのかまったくわからないし、自分の思いをどうすれば伝えられるのかもわからない。なので、とりあえず「オッケー、オッケー!」とばかり言っていた記憶があります。あと、「How long have you been staying here?(ここに来てどれくらい経ちましたか?)」という質問に対して、「『How long?』って言われたから、『こっちにあと何年いるの?』って聞いてるのかな?」と思って「3 years!」と答えたり(笑)。スタートは大変でしたけど、1年ぐらい過ごしていると……勉強をしているつもりはなくても、自然と会話ができるようになってくるんです。僕は外国人向けの語学学校ではなくて向こうの普通の学生が通う学校に入ったので、数学や化学などの授業も英語で教わっていたんですけど、周りの友達や先生たちと英語で会話していたし、住んでいた寮も日本人がいなかったからずっと英語で会話していて。あっちの人たちってすごくフレンドリーじゃないですか。まったく壁がなくてラフな感じで喋ってくれる、あの環境は大きかったと思います。

──ちなみに、アメリカにいた頃の音楽との距離はどんな感じでしたか?

レイニ:海外の曲はあまり聴いてはいなくて。あっちに行ったら行ったで、「日本の新曲気になる」とか「ワンオクは今どうなってるんだ?」ってそんなことばかり追いかけていました(笑)。ただ歌う機会はあって、コーラスの授業を取らないと卒業できなかったので、そこで歌を歌ったりはしてました。毎年学内でコーラスの発表会があるんですが、その流れで先生から「お前はソロで歌ってみないか?」と言ってもらえて。それまで大勢の人前で歌ったことがなかったんですけど、「お前の声ならいけるよ」と言ってもらえたので、僕は発表会で「You've Got A Friend In Me」という映画『トイ・ストーリー』の曲(日本版タイトルは「君はともだち」)を歌ったんです。すごく緊張して足もガクガクブルブル震えて、前もちゃんと見れなかったんですけど、いざ歌い終わって客席を見たらみんなからスタンディングオベーションを受けて。その景色に「歌でこんな世界が見れるんだ!」と感動して、そこからもっと人前で歌ってみたいと思うようになったんです。

──そのアメリカでの経験が、帰国後の音楽活動に繋がっていったと。

レイニ:そうですね。本当にそれが自分の音楽人生の第一歩だったのかなと思ってます。だって、国も言葉も違う中で初めて歌ったらスタンディングオベーションされるなんて、なかなかないじゃないですか。相手が外国の人たちだからっていうのも大きかったとは思いますけど、本当に向こうに行ってよかったなと思ってます。

──日本に戻ってからは主にどういう活動をしていたんですか?

レイニ:もともと音楽の世界を目指していなかったこともあり、すぐに人前で歌えるような状態ではなかったので、まずは自分で曲を作ったり録音したりということをひたすら繰り返していました。それで慣れてくると少しずつライブをしてみたりという、今思えば下積み期間みたいな感じでした。

──作曲は最初からすらすらできましたか?

レイニ:メロディは出てくるんですけど、歌詞が全然出てこなくて。英語の歌詞も書きたいし日本語も書きたい、だったらワンオクみたいにどっちも混ぜればいいじゃないかと思って試してみるものの、海外に4年間しかいなかったし、もともと英語ができない状態だったから言葉選びもそんなにうまくはない。日本語だって中学校までだったら未熟な部分が多くて、ちんぷんかんぷんな歌詞しかできなくて。歌詞の内容に関しても、恋愛だったり家族やペットのことだったりをテーマに書いてみるんですが、自分の経験をストレートに描こうとすると恥ずかしさも伴ってしまう(苦笑)。そういう内容のほうが歌っていて気持ちを込めやすいものの、今も作詞する際にはなかなか苦労してます。

関連記事